先憂後楽ブルース
終わりよければ全てよし
俺達は素早く正面玄関まで移動すると、矢のように駐車場に向かいゼゼの車に乗り込んだ。息急き切って戻ってきた俺達をぽかんと見つめるゼゼに、すぐ発車するよう指示する。その間中ずっと、俺のまた来る発言に不服らしいクロエは隣で怒鳴り散らしていた。
「何だよテメェさっきのは! 俺は二度とあんなとこ行かないからな!」
「ちょ、だから落ち着けって。お前をタワーに行かせたのは悪かったと思ってるよ。まさかダヴィットがあそこまでするとは…」
普段のダヴィットは軽いスキンシップこそあるものの、俺が一度嫌だと言ったことは絶対にしない、妙なところで律儀な男だった。変な薬を飲まされキレてからはセクハラの類は一切なくなったといってもいい。にもかかわらずクロエのこの嘆きよう、一体2人に何があったのだろう。行き過ぎた演技をクロエが行った、というのが妥当なところか。クロエがうまく化けてくれて良かったと思う反面、気づかれなくて残念という気持ちもある。一緒にいて変だと思うことはなかったのか。いや、思ってたらあんな風にデレデレにはなるまい。
「お前、なんでそんな顔してんの…」
「そんな顔?」
「いらついてんじゃねえか」
「いらついてなんかない」
クロエ的表現では“苛ついてる”のかもしれないが、これは、アレだ、ちょっと拗ねてるだけだ。……いや、違う。断じて拗ねてなんかない。気にくわないんだ。幻滅と言ったっていい。どれだけクロエの演技が良かったか知らないが、ダヴィットの奴あれだけ好き好きうるさいくせに、少しぐらいおかしいと思ってほしかった。…あれ、やっぱいらついてんのかな俺。
「あのクソロン毛、ずっと俺を閉じ込めてたんだぜ。部屋から一歩も出してくんねーの」
しばらくの間、車に揺られながら俺の様子をうかがっていたクロエが、ずっとため込んでいたらしい愚痴をこぼし始める。
「寝るときもな、ベタベタ身体触られるかもと思ったらぞっとして、俺一睡も出来なかった」
「ああ、俺も昨日は……ってちょっと待て。何でお前ダヴィットと一緒に寝てるんだ」
「え、だって」
「自分の部屋があるだろ!?」
「嘘っ、あんのかよ!?」
衝撃の事実にクロエは目を瞬かせ、その後マリアナ海溝よりも深く落ち込んだ。ダヴィットへの恨み辛みをぼそぼそと吐き出すクロエはものすごく不憫だ。ダヴィットの横に寝るとか俺でも出来ないぞ。間違いが起こらなくて本当に良かった。恋愛感情もよく理解出来てないクロエを、あのセクハラ男の毒牙にかけてたまるか。
空飛ぶ車に揺られて10分程。どうも眠いなと思ったら俺は昨夜ジーンのせいで一睡もしていなかった。ちらりと隣を見ると、同じく睡眠をとっていないクロエもうつらうつらしている。俺の顔がすっかり間抜け面だ。
「ゼゼ、あとどれぐらいで家に帰れる?」
早く戻って足りない睡眠量を補給したい。目をこすりながら尋ねるとゼゼはバックミラー越しに俺の様子を見ながら申し訳なさそうに答えた。
「帰るとちゅう薬局によるので、まだ時間かかりマスよ」
「あ、そっか」
「あの、到着したら起こしマスので、それまでお休みしても…」
「マジ? じゃあお言葉に甘えて」
俺の寝不足はゼゼにも気づかれるぐらいひどかったらしい。お前も無理しないで寝ろよ、とクロエに声をかけるため左を向くと奴はすでに夢の中だった。フロントガラスによりかかって、すやすやと眠りこんでいる。最初は座ったまま眠れるのかと不安だったが、俺もクロエを真似て窓に頭を預けると驚くほど早く睡魔が襲ってきた。そして俺はそれに抵抗することなく、夢の世界へと身をゆだねた。
ゆさゆさ、と優しく揺り起こされ、深いノンレム睡眠から目が覚める。起きて早々ゼゼの顔がドアップになっていて心臓にものすごく悪かった。
「起こして、ごめんなさいデス。ゼゼ、今からお薬買ってきマスね」
「あぁ…うん」
窓の外を覗くと薬局は見えなかったが、地下の駐車場のようだった。脇には先程まで走っていた高速道路が見える。
「エンジンかけっぱなしにしておくので、鍵はリーヤが閉めてクダさい」
「りょうかい……って今リーヤって言った!? ちがうよ! 俺リーヤじゃないよ! クロエだよ!」
ゼゼの突然の爆弾発言に頭からさーっと血の気が引いていく。終わった、と絶望に打ちひしがれる前に、俺は周囲の異変に気がついた。後部座席の右側に座っていたはずの俺は今、何故か反対側にいる。その理由もわからないまま右を向くと、そこにはすやすやと眠るクロエの姿があった。黒い髪、整った顔、無駄のない引き締まった身体、間違いなく本物のクロエだ。
「わあああ俺の身体!」
慌てて自分の服と手を確かめる。色黒じゃない。完全に元通りになったんだ。
「リーヤ、どうしたんデ…」
「おいクロエ! 目を覚ませ! やったぞ!」
隣で大口開けてぐーすか寝ている友人を乱暴に揺さぶる。急に起こされて不機嫌なクロエの目をこじ開け俺の顔を見せてやった。
「なっ、おま…リーヤ!?」
「そうだよ! 俺達元に戻ったんだ!」
俺の言葉を聞いて飛び起きたクロエは、自分の服を引きちぎらんばかりに引っ張り中の体を確かめた。
「うおおお俺の腹筋!」
自分の割れた腹を見て大興奮するクロエ。今回のことでこいつが相当な筋肉バカだと知ったわけだが、今はそんなところも微笑ましく感じる。だが自分の身体を取り戻した喜びにひたっていると、突然肩をつかまれた。顔をあげるとそこには号泣したクロエの顔が。
「俺達、元に戻ったんだな…!」
「だからそう言ってんじゃん! やったなクロエ!」
だーっ、と馬鹿みたいにクロエは涙を流し続ける。心底ほっしているらしい。俺も感極まってもらい泣きしてしまいそうだった。
「俺、あのバカ王子に、身体とか、めっちゃ触られて…っ。抵抗しようとしても、力出なくって」
「よしよし、つらかったなぁクロエ。ごめんな、お前の気持ちも考えないで」
呆然とするゼゼの目の前で俺はクロエの頭を優しく撫でる。こいつ、あの馬鹿力がなければ意外と可愛い性格になっていたかもしれない。
「2人とも、何泣いてるんデスか…」
すっかり盛り上がっている俺とクロエを見てあっけにとられるゼゼを後目に、俺達は同じ思いを心の底から叫んでいた。
「「戻れて良かった…!」」
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