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先憂後楽ブルース
非力な乱暴者


「それにしても、あの化石の名前は傑作だったわ」

先程の俺の言葉が尾を引いてるのか、ハリエットはクスクスと笑ったまま、そんなことをこぼした。

「あっ! そうだ、アレどういう意味なんだよ!」

「あれ?」

「王子がリーヤにやった化石の名前! ちゃんと意味があるんだろ?」

色々あって忘れていたが、あの名前の意味はぜひ聞かせて欲しい。クロエは俺にいじわるをしておしえてくれなかったが、ハリエットなら知っているはずだ。

「クロエ…、こんな簡単な言葉もわからないようじゃ、あなたの中の血が泣くわよ。Lo sientoは『ごめんなさい』という意味のスペイン語じゃない」

「…ごめんなさい?」

そういえばあの時、クロエはこの化石のことを謝罪代わりの石と呼んでいた。石が俺のご機嫌取りであることをクロエが見抜いていたのは、ダヴィットが化石を通じて俺に謝っていたからだ。ダヴィットもなかなか面白いことをしてくれる。…くそ、何でもっと早く気づかなかったんだ。そしたらクロエに馬鹿にされることもなかったのに。

それにしても、俺がスペイン語を理解出来ないことに対してハリエットは血が泣くといったが、もしかしてクロエはスペイン人なのだろうか。だとしたらLo sientoの意味を知っていたとしてもおかしくない。

「──あ。そうだ、もうひとつ教えてもらいたいことがあるんだけど」

「なによ」

「タビサ、って何だと思う? 外国の言葉? それとも名前?」

俺の突拍子もない質問にハリエットは驚いてみせたが、それでも快く答えてくれた。

「普通は名前ね。日本じゃ珍しいけど」

「ああ、やっぱりそうなのか…」

なんだかジーンの浮気説が濃厚になってきた。いや、ジーンに限ってそんなことあるもんか。彼は絶対1人の女性を一途に愛するタイプだと俺は信じている。

「今日初めてまともに話したけど、クロエって意外と無知ね」

「…は!?」

「となると今までのは、全部私の勘違い…?」

いきなり険しい表情のハリエットに侮辱され、俺は衝撃だった。俺のせいで彼女のクロエ株を下げてしまったのだろうか。だとしたらクロエにも彼女にも悪い。それにしてもハリエットの奴、前回クロエに会ったときのあの可愛らしさはどこにいったんだ。もしかしたらハリエットは、本当にもうクロエを好きじゃないのかもしれない。

「着いたわよ、クロエ。行儀良くして」

しっかりと前を見据えたままハリエットが小声で俺に釘をさす。見慣れたダヴィットの部屋の前にはお馴染みのジローさんか立っていた。

「護衛官、ダラー・ジュニアをお連れしました」

「ああ、ご苦労様。ハリエット」

行儀の良い猫の皮を被ったハリエットにジローさんがいつもの笑顔を見せる。無性に彼を抱きしめたくなる気持ちを必死で抑え、俺はクロエらしく機嫌の悪そうな表情を浮かべた。

「お久しぶりです、ダラー様。いつぞやは大変失礼な態度をとってしまい申し訳ございませんでした」

「え? …あ、ああ」

「是非お詫びをさせていただきたいと思いまして、実は別室に菓子類をご用意しております」

「お菓子!?」

菓子好きな俺はガキ丸出しで、ジローさんの魅惑的な誘いにふらふらついて行きそうになる。だがハリエットが呆れた表情でダヴィットの部屋のドアを見つめ、俺を呼び止めた。

「クーロエー、あなた的にはこの扉、早く開けた方がいいと思うけど?」

「ハ、ハリエット!」

「まあ、これは失礼。失言でしたか護衛官」

いたって真面目な表情でジローさんに謝罪するハリエット。それもそうだと思い直した俺がドアノブに手をかけると、ジローさんが何故か必死で目の前の扉を死守し始めた。

「駄目です! 今はここは開けちゃ駄目なんですっ!」

「おいおい、まさか…」

俺だって馬鹿じゃない。ジローさんの挙動で、すぐクロエに危険が迫っていることに気がついた。

「おいリーヤ! 大丈夫か!? 入るぞ!」

どんどんと扉を強く叩いても部屋から返事がなかったため、俺は青ざめるジローさんを無視して強行突破した。てっきり鍵がかかっているものと思っていたが、予想に反して扉はすんなりと開いた。

「げえっ! 何やってんだお前ら!」

最初に目に飛び込んできたのは、ベッドの上でダヴィットがクロエを押し倒す姿だった。思わず、俺の身体になんてことを! と素で怒りながら阿鼻叫喚。けれど怒り心頭だったのは俺だけではなかった。

「てめぇええ迎えにくるのが遅いんだよぉおお! この1日俺がどれだけ苦労したと思う! 我慢して我慢して我慢して、何度奴を絞め殺したいと思ったことか! しかもアイツやけに慣れた手つきで俺の太もも撫でてきやがるし、まさかお前、あの野郎にいつもあんなことさせてるんじゃないよな!?」

「あんなこと、って…ちょ、ひとまず落ち着け!」

ダヴィットからすばやく逃れたクロエが俺の胸ぐらを掴み激しく揺する。暴言でも、あくまで小声であるところがなんともいじましいが、せっかくダヴィットに入れ替わりがバレなかった様なのに、そんな異常なテンションでは怪しまれてしまう。俺は微妙に涙目になっているクロエをなだめようと手をのばしたが、後ろから来たダヴィットにかすめ取られてしまった。

「意外と来るのか遅かったな。だが、お前に私の可愛い婚約者をそう易々と渡すわけにはいかない」

嫌がるクロエの腕を掴んで完全に自由を奪い、首元に顔をうずめているダヴィット。明らかに普段より過激なスキンシップだ。どうやらクロエは本当にダヴィットに優しく接していたらしい。それだけ元の身体に戻りたいということだろう。しかし図に乗ったダヴィットの行為が我慢の限界に達したのか、今はすっかり素だ。けれど俺の身体であるがゆえの非力なクロエがダヴィットに適うはずもなく。

「どうしたんだ愛する者よ、そんな悲しい顔をして。私と別れるのがそんなに嫌か」

「アホ! んな訳ねえだろ!」

「昨日のお前は本当に可愛かった。いつもあれくらい大胆で積極的になってくれれば良いのに」

「誰が大胆で積極的だボケ!」

「………」

昨日のリーヤが大胆で積極的なら、今日のダヴィットのノリはまるでクリスさんのようだ。一刻も早く俺が止めなければ、これ以上は自分もクロエも耐えられそうにない。

「おいロン毛王子、さっさとリーヤから離れやがれ! 1日で帰すって約束だろ!」

俺はクロエの腕をつかみ、ダヴィットを睨み付けてきっぱりと言い放つ。いまいち状況がつかめず、ぽかんとしているハリエットとジローさんとは対照的に、なぜかダヴィットは愉快そうに笑っていた。

「今日は行かせてやってもいいが、また明日必ず戻ってこい。もし、この条件がのめないのであれば絶対にタワーからは出さない」

「こんなとこ二度と来るかバーカ!」

クロエの口の悪い反抗にしれっとした表情のダヴィット。クロエが怒りに我を忘れ、取り返しのつかないことを口にする前にここから離れなければ。

「…わかった、お前の言うとおりにしよう」

「お、おい! 何言ってんだよ!」

俺は愕然とするクロエに、仕方ないだろと耳打ちする。そして一刻も早くこの場から離れようと、ダヴィットから哀れなクロエを引き離した。

「とにかく、こいつは返してもらう。明日迎えに来るなりなんなり、勝手にしたらいい」

「わかった。約束だ、待っているからな」

やけに機嫌の良いダヴィットは俺に微笑みかけながら小さく手を振る。俺は戸惑うクロエを引きずり、逃げるように出口へと向かった。


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