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先憂後楽ブルース
キスの相手は


その夜、俺は恐ろしいことになんと一睡も出来なかった。リビングにハンモックをかけ、さあ眠ろうと目を閉じるのだが先ほどのことが気になってどうしようもない。クロエの部屋から連れてきたまじない人形ドロシーちゃんに助けを求めるも、所詮は人形、何も答えてはくれなかった。
ジーンが最後に呟いたタビサとは一体誰なのだろう。そもそもタビサは名前なのか? クロエがロ・シエントの意味を知っていたことから察するに、ここの日本人は外国語にも精通しているらしいから、どこかの国の言葉とも考えられる。もし名前であれば、やはり例の写真の女性だろうか。どちらにしても、酔ったジーンが間違えたのは事実だ。
あんな表情をするほどの相手がジーンにはいた。ジーン、本当は誰に告白したかったんだろう。俺が聞いてはいけないことだったように思う。









明朝8時、俺は眠気を押し殺しつつジーンの部屋に向かった。なんとなくもうすぐで眠れそうな気がするのだが、酔いつぶれたジーンが心配だ。昨日は逃げるように部屋から出て行ってしまったし、なんとなく後ろめたい。一度様子を見に行こうと、俺はジーンの部屋に向かった。

ノックをしてドアを開けるとジーンはまだうつ伏せになって眠っていた。人工窓の光のみの部屋は少し薄暗い。ジーンの身が心配で俺はとりあえずベッドの横に座り込んだ。

「…何の用」

枕に顔をうずめていたジーンが、突然俺を見てそう言ったので俺は死ぬほど驚いた。

「起きてたのかよ!?」

「頭が痛くて寝れやしない…。記憶も飛んでるし、飲むんじゃなかった」

「ど、どこまで覚えてる?」

「…家に、帰ろうとしたとこまで。帰り道の途中から、まったく覚えてない。あー…頭がガンガンする」

幸運なことにジーンは俺にキスしたことをすっかり忘れているらしい。良かった、覚えてたらどうしようかと思った。

「兄貴、何で酒なんか飲んでたんだよ」

「…別にいいだろ。もう飲まないよ」

訊かれたくないことだったのか、ジーンはぷいと壁側を向いて俺の視線から無理やり逃れた。ジーンの奴、何か隠してやがる。

「クロエ、朝はパン1人で焼いて食べて。食パンぐらい焼けるだろう。昼ご飯はゼゼが来てくれるだろうから、彼女にまかせるんだ。絶対台所をさわっちゃいけないよ」

ジーンは、小学生かよとつっこみたくなるほどの注意をして俺を指差し、

「わかったら、さっさと出て行く」

その指先をドアに向け、再び枕に顔をうずめた。しっしっと手で追い払う仕草をしたジーンに、心底彼を心配していた俺は多少むっとした。仮にも昨日あんなことした相手に向かって何て奴だ! いつもは優しいのに、酒飲んだジーンの自業自得なのに! まさかあれは身内以外仕様なのか。そういえば以前、ジーンは外面がいいとエクトルに指摘されたことがあったような。

「………」

ったく、ジーンの優しさが外面だろうが何だろうが俺の知ったことか! ジーンは俺を追い出したいようだし、二日酔いしてるだけで特に問題みたいだ。もう出て行こう、つか出て行ってやると片足を部屋から一歩出した時、机に置かれた写真が目に入った。

「…うーん」

これは昨日見つけたジーンの恋人(らしき人)の写真だが、彼女が例の“タビサ”なのだろうか。しかし手にとって見れば見るほどクロエの容姿とは正反対だ。彼女は金髪、クロエは黒髪。透き通るような真っ白な肌の彼女に対してクロエは浅黒い褐色で、人種がまるで違う。そもそも女と男だ。いくら酔っていたからといって間違えるものなのだろうか。あの時のジーンは酔ってはいたが、俺の質問にきちんと答えていたはずだ。恋人と弟を間違えるなんて有り得るのだろうか。
タビサさん(仮)の写真をよく見ながら考え込んでいると、玄関の扉の鍵を開ける音がしてゼゼが勢い良く入ってきた。

「ただいまデース!」

ゼゼは相変わらずセクシーな服を着て、腕には不釣り合いなカゴをぶら下げている。そこからトマトやらレタスやらの野菜が見えた。

「クロエ! 久しぶりデスね〜」

「あ…」

新妻よろしく俺に駆け寄ってくるゼゼに、俺はかける言葉がなかった。クロエが普段どうやってゼゼに接しているのかわからなかったからだ。この2人がフレンドリーにしている姿を見たことがない。

「あれ、その写真…グレイスさんデスね」

「えっ、ゼゼこの人知ってるの!?」

「はい。前にジーンにおしえてもらいマシた〜」

ゼゼは、この写真の女性をグレイスと呼んだ。タビサじゃないのか…? ゼゼに詳しく聞き出せたら良かったのだが、彼女が知っているということはクロエだって知ってるはずだ。俺が訊いたらきっとゼゼは変に思う。彼女は外国人だし危ない橋は渡れない。
しかしこの女性がタビサではないとすると、タビサとは一体誰だ。やはり名前ではないのだろうか。二股なんて…ジーンに限ってそんなことはしないだろう。

「あれ、ジーンまだ寝てるんデスか…?」

「いや二日酔い」

「ふつかよい!?」

ゼゼは綺麗な瞳をまん丸くさせて慌ててジーンに駆け寄った。

「ジーン! 大丈夫デスか〜!」

「ゼ、ゼゼ…」

ジーンの手を取り涙目になっているゼゼ。ジーンも青い顔をしながらもゼゼに優しく微笑んだ。

「来てくれて、ありがとう。僕、今日は動けそうにないから…クロエ達を頼めるかな?」

「もちろんデス!」

「ごめんね、ゼゼ。いつも苦労ばっかりかけて」

「ジーン〜!!」

「わかった、わかったから揺らさないで…」

優しい言葉に感動したらしいゼゼはジーンの横でわんわん泣き出した。まるでジーンが死にかけてるかのような大げさっぷりだ。ジーンも若干うるさそう。

「でもジーンがベッドから出れないとすると、…あーどうしよ」

「どうし、たんデスか、クロエ」

俺の独り言にゼゼが涙声になりながら尋ねてきた。泣き顔が最高に可愛い。

「今日はリーヤをタワーに迎えに行かなきゃいけねえんだけど、交通手段が…」

「? バイクがあるじゃないデスか」

「いや、あれは…いま修理中で」

本当は故障してなんかないけど、乗れないんだから仕方ない。迎えに行かなきゃダヴィットは絶対クロエを返してくれないだろうし、どうすりゃいいんだ。

「じゃあ、ゼゼの車つかいマスか?」

「車!?」

「はい、ゼゼもリーヤに会いたいデス。ジーンの薬も買いたいし」

ゼゼが車を持っていたとは知らなかった。ちゃんと運転出来るのだろうかと心配になったが、この際わがまま言ってられない。

「ぜひ、お願いします…」

こうして胸に一抹の不安を残しながら、俺はゼゼの車でタワーまで送ってもらうことになった。


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あきゅろす。
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