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先憂後楽ブルース
擬似告白


ラスティさんは夕方までねばったものの、一向に帰ってこないジーンを待つのをやめ、ちょうど腕時計の針が6時を指した時点で帰っていった。てっきり泊まっていくものと思っていたが、彼は奥さんがここに来たら連絡して欲しい、と言い残しただけで、最初から帰るつもりだったようだ。俺はまったく知らなかったのだが、エクトルのお母さんは週に一度は息子達に会いにきていたらしい。離婚協議中の今でもその習慣は変わらないだろうというのがエクトル父の考えだった。

ラスティさんがいなくなってエクトルとイルの不毛な闘いも一時休戦だ。イルはほどなくして帰り、エクトルも自分の部屋へさっさと引きこもってしまった。俺は1人取り残されたわけだが、夜ご飯どうしようという悩みがあること以外は今日一番の穏やかで安らげる時間だ。唯一の悩みも8時を過ぎると吹っ切れてしまい、冷凍庫にあった冷凍ピザを食べた。初めて食べたものだったが、なかなかうまかった。エクトルはロールケーキをほとんど食べ尽くして満腹なのか、夕食の催促はしてこない。今日はもうこれでいいや、とだらだらソファーで寝転びテレビを見ていた時、玄関の扉が開く音とガツンという大きな物音がした。

こんな時間に不審者か? とびくびくしながら玄関をのぞき込むと、そこに見覚えある男が倒れていた。

「ジーン!?」

びっくりした俺は慌てて廊下に横倒しになっているジーンの身体に駆け寄る。だがうつ伏せになっていたジーンを仰向けにした瞬間、鼻につく匂いが漂ってきた。

「な、何これ、お酒…?」

いつもの白馬の王子様フェイスは見られないほど赤くなっている上、口からは完全にアルコール臭。本当にあのジーンなのかと二度確かめた程だ。

「ジーン! おい何があったんだよ! ジーン!」

「う…、の、飲み過ぎた……」

やっぱりかー!

何にせよ意識があって良かった。こんなところで潰れられてはかなわない。意識のあるうちにジーンを起こそうと俺は身体を引っ張りあげた。

「ジーン大丈夫? 吐きそうなのか? 何でお酒なんか飲んだんだよ、ジーンはまだ未成年だろ!」

「吐、かない…平気…」

意識が朦朧としているジーンに肩を貸しながら、このときばかりはクロエの身体に感謝した。アイツの力がなければジーンをこんな風に運べたかわからない。この時点で俺はクロエのふりをすることを完全に忘れていたが、酔いつぶれたジーンに対して演技する必要はないだろう。

ジーンをなんとか部屋まで運びベッドにそっと寝かしてやる。まるで彼らしくない有り様に俺はかなり動揺していた。

「酔いつぶれるまで飲むなんて、何があったんだよ。今日の朝からずっと変じゃないか」

「う…あ……」

「ジーン、どうした!? 水? 水なのか!?」

酔っ払いの介抱の仕方はわからないが、とりあえず水でも飲ましてみよう。そう考えた俺は台所に向かおうと立ち上がった。
だが、

「待って!」

ドスンッ


ジーンに素早い動きで腕を引かれ、ベッドに押し倒される。状況が飲み込めない俺は、目の前にいる虚ろな瞳のジーンを凝視するしかない。

「ジ、ジーン? どうしたの…?」

「……」

俺の身体にのしかかったジーンは無言で片口に顔をうずめる。一体何なんだこの状況、と硬直しているといきなり俺の唇に温かいものが押し当てられた。

「んっ…!?」

それがジーンの唇だと理解するのに時間はかからなかったが、抵抗は出来なかった。ジーンが信じられないような力で俺の腕を押さえつけていたからだ。それでも俺は顔を必死にそむけて拒否した。

「やめっ、ジーン何す──」


「好きだ」


「…………え」

好き? いま好きって言った?
誰が、…誰を?

「愛してる、愛してるんだ。誰よりも」

「……」

俺の耳元で愛の言葉を囁きながら、ジーンは両手で俺の輪郭をなぞっている。視線が重なった。

「僕じゃ…駄目かな」

「…っ」

その時のジーンの顔ときたら! ちょっぴり赤く紅葉した頬に今にも泣き出しそうな潤んだ瞳。わかりやすく例えると、ハムスター、ゴマアザラシ、ヒヨコの類の目だ。俺の胸に今すぐ飛び込んでおいで! と熱く抱擁したくなるような表情に加え、可愛い小動物にはけしてない色気というものがプラスされているのだから、たち悪いことこの上ない。

息が止まりそうな空間の中、ジーンは再び俺にキスをした。それは壊れ物でも扱うかのように優しくて、動作からも愛情が伝わってくる。ジーンの縋るような目から視線をそらせなくて、今度はろくに抵抗しなかった。抵抗するのも馬鹿らしくなるぐらい、ジーンは優しかったのだ。
だがジーンの手が俺の腰に触れた瞬間、俺はとても大切なことに気がついた。



これ、これ…っ




クロエの身体だったああああ!!!


なんでこんな大事なこと忘れてたんだ! 駄目だろ流されちゃ! 俺の場合は最悪自己責任で終わるが、身体がクロエでは話が違う。兄弟でこれはマズい。傍目にもこんな気持ち悪い光景はないはずだ。
しかし力の限り抵抗しようと腕に力を込めたと同時に、ジーンはふっと力を失い、そして俺を下敷きにしたままシーツに突っ伏してしまった。

「…ジーン?」

返事はない。かすかな息づかいが聞こえるだけだ。どうやら1人夢の世界に飛び立っていったらしい。

「何なんだよ、一体…」

ジーンが何を考えて、こんなことをしたのかわからない。酔うとキス魔になり誰彼かまわず告白するのかもしれないし、飲みすぎて恋人と間違えたのかもしれない。可能性は色々ある。俺だとわかっててキスしたなんてことは絶対有り得ないだろう。ましてやクロエだと思って、なんて寒気がする。いくら男同士の結婚が普通の世界だからと言って、兄弟ではさすがに異常だ。おまけにジーンはクロエを心底嫌っている。弟にキスしてしまったと知ったら、ジーンの奴唇を移植しそうだ。

うるさいくらい鳴り響く心臓のせいで、まともな思考力が奪われていく。でも考える手掛かりがないわけじゃない。
気を失う寸前ジーンは確かに


「……タビサ」



そう、呟いたのだ。


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あきゅろす。
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