先憂後楽ブルース
ラブ! マイファーザー
いきなりの急展開に驚いた俺は自分の状況も忘れ、エクトルに向かって大声で叫んでしまった。
「父ちゃんって…まさかクロエの!?」
「何でだよ俺のだろ。つか自分のこと名前で呼ぶな。きしょい」
「きしょい!?」
エクトルにゴミでも見るかのような目で睨みつけられ、俺の胸にはグサリと痛いものが突き刺さる。エクトルはそんな兄を無視して、普段の彼からは想像もつかない程はしゃぎながら眼鏡のおじさんに抱き付いた。
「父ちゃん! 父ちゃん!」
「元気にしてたかい、エクトル」
「うん! 父ちゃんは?」
「僕も元気だよ。ずっとエクトルに会いたかった」
よくよく見てみると、おじさんはエクトルに似ている。久しぶりの再会なのだろうが、この仲良しっぷりには驚いた。反抗期真っ最中なエクトルは、てっきり親に反発しまくりだと思っていたのだ。こんなに仲が良いなら、どうして別々に暮らしているんだろう。
「自己紹介を忘れていたね。どうも初めまして。エクトルの父の、ラスティ・ターナーです」
名をラスティというらしいエクトルのパパは、俺達に向かってそうやって丁寧に挨拶した。一応、義理の息子である俺と初対面ではないだろうから、初めましてはきっとイルに向けた言葉だろう。
「こちらこそ初めましておじ様! あたし、チームメイトのイルカ・カマリーっていいます」
「…っす」
イルのきゃぴきゃぴした自己紹介とは対照的に、俺は自分の学校の野球部員と同じ挨拶をした。というかイルは何故こんなに猫を被っているのだろう。
「これお土産だから、みんなで食べてね」
「わあ! ありがとう」
ラスティさんが持っていた袋をエクトルに渡すと、彼はさっそくそれを豪快に開けて中身を覗き込んだ。
「ロールケーキだ! 兄ちゃん切って!」
「エクトル、みんなが揃ってからにしなさい」
息子に促されて椅子に座ったラスティさんとエクトルを親子水入らずにしてやろうと、俺とイルはソファーからこっそり様子をうかがった。親子は相変わらず仲睦まじい会話を続けている。
「ジーン君は今いないの?」
「うん、出かけたんだと思う」
「…じゃあ、噂のアウトサイダーは? ここに住んでるじゃなかったっけ」
「リーヤ? 住んでるけど今はいない。タワーに行ったんじゃないかな」
「そっかー…、一度話してみたかったよ」
本気で落胆しているらしいラスティさんを見て俺はほんのり申し訳ない気持ちになった。エクトル父もやはり異世界人は気になるのだろうか。俺ならここにいるんだけどな。
「父ちゃん、いま仕事で何してんの?」
「えっとね、今は生徒達に多細胞生物の講義をしたり、ウシゲノムの全塩基配列を解読したりしているんだ」
「何、それ」
「うーん、エクトルにはまだちょっと早いかな?」
父の真向かいに座り、まるで幼い子供のようになったエクトルと、よく意味がわからない仕事の内容を語るラスティさん。生徒って言ってたから、やはり彼は教師だったのだろうか。
「なあ、カマ。あの人何やってる人なんだ?」
「え、あんた義理の息子のくせに知らないの…? めったに会わないからって酷いんじゃない」
カマの言うとおり確かに酷いが、本物のクロエも知らない気がする。あくまで勘だけど。
「ターナーさんは有名な一流大学の名誉教授よ。なんでも博士号3つ持ってて、生物学教えてるんだって」
「へぇ…すごいな」
「テレビにもたまに出てるし」
「す、すげえ!」
「去年、なんとかっていう研究でノーヴェル賞とってた」
「すげえええ!」
エクトル父に対する見る目が一気に変わった。生徒にいじめられてそうとか思ってごめんなさい。
「彼は財政力も将来性もあるし、俄然アリね」
「アリって何が!?」
イルは何を今更、とでも言いたげな顔をして俺に指を突きつけた。
「あたしの結婚相手候補に決まってるでしょ! あたしは玉の輿狙ってるの。年配だし顔もタイプじゃないけど、余裕で範囲内だわ」
「え、いやでもあの人はエクトルの…」
「おじさまー! あたしともお話ししてくださーい!」
クロエの話なんか聞きやしないイルは、俺を置いてラスティさんのところに飛んでいってしまった。とてつもなく嫌な予感がする。
「えっと、君はカマリーさんだよね」
「やだー、イルって呼んでくださいー」
「おいカマ! 父ちゃんから離れろよ!」
目の前で壮絶な三角関係が繰り広げられている。焦る俺を残して諍いはどんどんヒートアップしていった。
「エクトル、そんな言い方よしなさい」
「だって父ちゃん、こいつ男なんだぜ!」
「男!?」
「エクトルてめぇバラしてんじゃねえよ! 俺の幸せ計画邪魔すんな!」
「カマこそ父ちゃんに近づくなよ! 俺の父ちゃんは既婚者で子持ちなんだぞ!」
「関係ないねー! ガキは引っ込んでな!」
「関係大有りだ!」
「夫婦なんていつ離婚するかわからないだろ!」
「不謹慎なこと言うなー!」
「あの、エクトル…?」
「「何だよ!!」」
2人の壮絶なバトルを止めたのは、遠慮がちに声をはさんだラスティさんだ。だが次の瞬間、彼の口から出たのは信じられない言葉だった。
「…実は今日、そのことで来たんだ」
「?」
「母さんが、離婚届けを置いて出て行った」
「は、ああああああ!?」
絶叫するエクトルに、まさか本当に離婚の危機だと思っていなかった放心状態のイル。そんな2人を見ながら俺も衝撃の事実にショックを受けていた。一体ターナー夫婦に何があったんだ。
「何でそれを早く言わないんだよ!」
「ごめんエクトル…言い出しづらくて」
椅子から立ち上がったエクトルは険しい表情で頭を下げる父を見下ろしている。エクトルの気持ちは想像するに難くない。
「母さん、夜に大喧嘩して朝起きたら離婚届けだけを残して消えてしまっていたんだ。実家にはいなかったし、ここに来てるかもしれないと思ったんだけど…」
「……」
一気に深く沈み込む周囲の空気。人生の経験不足である俺にはラスティさんにかける言葉が見つからなかった。もしジーンがここにいたなら、気の利いた慰めの言葉をかけられただろうに。
「大丈夫だよエクトル。僕は離婚なんてしたくないし、喧嘩事態はしょっちゅうやってることなんだ。母さんの説得なら慣れてる」
「でも、離婚届け置いて家出したことはないじゃんか…」
「心配しないでエクトル。母さん可愛い息子達に会いに来るだろうから、しばらくここで待たせてもらっていいかな。ジーン君にもきちんと挨拶したいしね」
「……わかった」
形だけではあるが、ようやく話は落ち着いた。
重苦しい雰囲気に俺はジーンの帰りをまだかまだかと待ち望んだが、結局、その後夕方になってもジーンが帰ってくることはなかった。
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