先憂後楽ブルース
金持ちおじさん
何故かその男を見た瞬間、この男は教師だ、と根拠もなしに思った。男の格好はスーツに地味な色のネクタイという、さながら家庭訪問仕様だ。上手くは説明出来ないが放つオーラは教師。しかも夕日に向かって走り出しそうな熱血教師ではなく学校に1人はいる生徒にナメられるタイプの先生だ。
「クロエ君、こんなところで、な、何してるの…?」
男はおもいっくそビビりながら、それでも俺に話しかけてくる。顔は見る限りでは日本人。体型は細身のなで肩で髪はボサボサ、秀才に見えるはずの眼鏡でさらに頼りなさげな第一印象を受ける中年の男性だ。手にはなぜか菓子折りをぶら下げている。
「クロエ君、き、聞こえてる?」
「…あ、ああ」
まったく見知らぬ相手にどう接していいかわからず無言を通していた俺に、男はなおも話しかけ続ける。意外と度胸のある人だ。クロエとどういう関係なんだろう。やっぱ担任とその生徒?
「ちょうど良かった。今ね、君の家に行こうとしてたとこなんだ」
「えっ、マジで!?」
担任教師がクロエの家に何の用……まさかまたクロエやばい事やらかしたんじゃないだろうな。
「よ、よければ一緒に家まで行かない?…なあんちゃって」
「行きます!!」
「ごめんなさいごめんなさいっ調子乗りまし……って行くの?」
なんて、なんてグッドタイミングなんだ…! 俺って何だかんだいってやっぱ幸運の神様がついてるのかも。この人についてけば絶対家に戻れるじゃないか。
「ぜひ! お供させて下さい」
「そ、そこまで言うなら全然、かまわないけど…」
本当は嫌なんだオーラを全身から発しながらも同行を許してくれた男性の横に、俺はちゃっかり張り付いた。良かった、これで路頭に迷う心配はなくなった。
「……」
「……」
2人仲良く並んで歩くも互いに無言の眼鏡のおじさんと不良。俺は下手なこと言えないし、おじさんは俺にビビりまくってるし。
「えっと、ジーン君から聞いてる? 僕らのこと…」
「は? いや別に…」
「そっか」
気を使ってくれたのか、おじさんが唐突に質問してきた。だが俺には何のことだかさっぱりだ。っていうかまたジーンかよ。
「今日の今日だもんね。知らないに決まってるよね…」
「今日の今日?」
「うん。今朝電話したらジーン君が出てね、彼にここに来ること伝えたんだけど、クロエ君は知らなかった…かな」
「ジーンが…」
「彼には僕が来た理由も話したんだけど、やっぱり聞いてない?」
「……」
「そ、そうだよね。そんなこといちいち話さないよねっ。な、なんかごめんね」
クロエに平謝りのおじさんの言葉は耳に入らず、俺の頭の中はジーンのことばかりだった。しっかり者であるはずのジーンのこの伝達不足は何だ。気味が悪い。
「こ、ここじゃ何だから、事情は家についてから話すよ」
「はぁ…」
ジーンのことも気にはなるが今一番重視すべきなのは、この人は何者なのかということだ。近くで見ると彼はなかなか上等なスーツを着ていて、いち教師とは思えない金持ちな要素もある。担任だと思っていたが、それもただの俺の想像でしかない。
名も知らぬ男を連れ立って歩く俺は、存外、不用心な人間だった。
「どうぞ、あがってください」
「お、お邪魔します…」
訪問客のおかげでなんとか家に帰れた俺は男性を丁寧に招き入れた。クロエがこんなことをするかは謎だが、俺が知らない相手にまでクロエの真似事はしたくない。
客人用のスリッパがないかと探していた俺の耳に、奥からテレビの音が聞こえてくる。なんとなく状況を察した俺は、おじさんをおいて一直線にリビングに向かいドアを開けた。
「げ、兄ちゃん」
「……エクトル」
そこにいたのはソファーに横たわりながら、虫けらでも見るかのような目でこちらをねめつける弟。
てんめぇエクトル普通に家にいんじゃねえか! いやいるのは知ってたけど! 何が留守だボケェ!
「兄ちゃん、妊婦はもういいのかよ」
「…ニンプ? なにそれ」
「電話で言ってたじゃん。妊婦轢いたって」
「…あ、ああ! いや、うん、なんか大丈夫だったみたい」
「へえ、残念。今度こそ少年院から出られないと思ったのに」
すっっごく馬鹿にしたようなツラでエクトルは俺を嘲笑う。もう俺、こいつ殴っていいかな。
「クロエ、あんた人に電話しといて何出かけてんのよ馬鹿」
俺達の穏やかでない会話に割り込んできたのは、見慣れた赤い髪の小さな女子。その名も、
「イル…カ・カマリー」
「何でフルネーム?」
「どうしてここに…!」
椅子に座ってふんぞり返っているのは間違いなくイルだが、何故ここにいるのかわからない。帰ったんじゃなかっただろうか。
「どうしてって、あんたが電話してきたんでしょ。かけ直しても出やがらないし、来てやったんだからもっと喜びなさいよ」
「え、あっ悪い!」
どうやら俺が電話をかけたせいで、イルをわざわざ来させてしまったみたいだ。悪いことをした。
「別にいいけどさぁ、あんたに謝られるとどうも……って嘘、お客!?」
俺の後ろから顔を出してきた眼鏡の男性に、イルはびっくりしたのか固まってしまった。いかにこの家の客人が珍しいかがわかる。
「お邪魔します。す、すみません急に押しかけて」
「…えっと、さっきそこで会ったんだ」
彼を紹介したいが、どうやって紹介すればいいのかわからない。だって俺自身この人が誰なのか知らないのだから。
しかしこの状況の中、1人過剰に反応した人物がいた。クロエの可愛くない弟、エクトルだ。
ガタンッ!
「…エクトル?」
「と…と…」
灰色の目をまん丸くさせたエクトルは大きな音をたてて立ち上がり、客人を見てこう叫んだ。
「父ちゃん!?」
と、とうちゃん…?
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