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先憂後楽ブルース
なりきりクロエ


クロエが連行された後、俺はどうかダヴィットにバレませんようにと祈りながら、リビングの椅子に1人座って考え込んでいた。1日から3日で戻るとクロエは言っていたが、はたしてそれまで俺がこの身体でやっていけるのだろうか。とりあえず、もしこのまま平日を迎えても学校には絶対行かないでおこう。このときばかりはクロエのサボり癖に深く感謝した。

引きこもりのエクトルと天然ボケのゼゼは大丈夫として、問題はイル、そしてジーンだ。特にジーンは普段から非常に鋭く、些細なことですべて見透かされてしまう。正直、隠し通せる自信はない。断言しよう、もしバレるとしたら彼にだ。

幸いジーンはまだ起きていないし、イルとゼゼもまだ来てはいない。今のうちに調子が悪いとかいって部屋に引きこもってしまおうか。いや、クロエが体調を崩したりしたらそれこそ人が集まってくる。それは前回ここに来た時に、嫌というほど身にしみている。

とその瞬間、俺の中に小さな悪魔が現れた。

先ほどから俺は、この状況をマイナスの方向に考えてばかりいる。だがいっそこの身体で楽しんでしまうというのも1つの手だ。こんな体験めったに出来るものじゃない。それどころか、もう一生味わうことは出来ないだろう。
せっかくのクロエの顔なわけだが、もし人との接触を控えるとすれば楽しみ方は限られてくる。

俺はおもむろに机に置かれていた手鏡をとり、自分のものとなったクロエの顔を見つめた。まず手始めに奴が絶対言わないようなことを口にしてみようか。クロエが絶対言わないこと………下ネタ? いや普段暴言ばかりだから、逆に真面目なことを言わせてみるのもいいかもしれない。クロエもこんな顔してんだから性格変えりゃモテモテだろうに。

「はー…何食べたら男がこんな綺麗な肌になるんだよ」

気がつくと俺は当初の目的を忘れクロエの顔にすっかり見とれていた。今までまじまじと見つめたことはないが、こうやって意識するとかなりヤバい。金の瞳はぱっちり、睫も長く鼻筋も通っている。おまけに歯並びまで完璧。非のつけどころがまるでない、均整のとれた面立ちだ。これが俺の顔になってるなんて、何のご褒美だろう。

「やべぇ、俺ってカッコいい…」

自分でないのは百も承知だが、これは平凡街道まっしぐらだった俺に神様が与えてくださった恵みなのだと受け取り、美形になった自分を堪能することに決めた。出来ることならこのまま永遠に鏡にうつる自分を見つめていたかったのだが、ふと気配を感じ顔をあげると、そこにげんなりとしたイルの侮蔑の眼差しがあった。

「うわあああ!! いつからそこに!?」

「……俺ってカッコいい、のとこから」

「………」

さ、最悪だ。確実に1番見られちゃいけないシーンを目撃されてしまった。つーかいるならいるってさっさと言えよ!

「違う、これはなんていうか、その」

「いいのよクロエ、あたしは例えあんたがナルシストでも、友達やめたりしないわ。ちょっとかなり気持ち悪いけど」

「だ、だから違うんだってばっ」

否定したところでもう誤解はとけない。望んだことではないとはいえ、俺はクロエにナルシストキャラを植え付けてしまった。本当にごめんなさい。

「起きてるのってアンタだけ? ジーンとリーヤは?」

「ジ…兄貴はまだ寝てて、リーヤはタワーに連れて行かれた」

「うそ、それは残念ね。てか戻るの早すぎ」

残念? イルは俺が戻ったのが残念だったのか。意外だ。なんだか俺が今まで見られなかったイルが見られて楽しいぞ。

「リーヤがいないんだったら2人で走りに行かない? どうせ暇なんでしょ」

「いや、やめとく」

「何で?」

「えー……気分じゃないから」

クロエらしくしゃべれているかドキドキしながら、俺はイルの申し出を瞬時に断った。そもそも俺はバイクになど乗れないのだから。

「あっそ、めずらし。リーヤもいないし、クロエが家から出ないんだったらあたし帰るわ」

「えっ、本当に?」

「うん。じゃ、ジーンによろしく」

「あ、待って」

まったくバレる気配もなく背を向けたイルを、俺は呼び止めた。どうしても気になる事が1つあったのだ。

「今日ゼゼは? 昨日もいなかったよな」

「例の探しものでしょ。あの子もえらいわよね。仕事だって忙しいのに」

探し物? そう言われても俺には皆目見当もつかない。気にはなるが、当然クロエは知っているであろうから質問するのは不自然だ。ここはふりだけでも納得するしかないだろう。

「ゼゼがいないからって、あんま部屋汚すんじゃないわよ。あーあ、今回はリーヤに期待してたんだけどな、掃除」

「……」

そんなことを期待されてるなんて知らなかった。確かにこの家はほっとくとすぐ汚くなる。ゼゼがいなければすぐにゴミ屋敷と化すだろう。

イルが再びリビングを出ようとした時、入れ替わるようにして寝起きのジーンが顔を出してきた。ジーンはイルの姿を見ると、朝から爽やかな笑顔を振りまき挨拶した。

「あれ、おはようカマ、もう帰っちゃうの?」

「クロエにふられたから、今日は出直すわ」

「リーヤは?」

「タワーに連れてかれたんだって」

「えっ、いつの間に」

なんとか何事もなく去っていくイルに手を振っていたジーンの視線が俺にうつった。新たな嵐がやってきそうな予感。

「おはようクロエ」

「……おぅ」

「リーヤ行っちゃって残念だったね」

「…別に」

ヤバい、ボロを出すのが怖くて単調な返事しか返せない。クロエは普段どんな風にジーンと話してたっけ?

「クロエ、朝ご飯食べた?」

「まだ」

「顔ちゃんと洗った?」

「…いや」

死ぬほどビックリするようなことがあったせいで、日常生活にまで手がまわっていない。というかジーンはいつもクロエをこんな甲斐甲斐しく世話しているのだろうか。あれだけ嫌っている風なのに、まるでお母さんだ。

「クロエ、どうかしたの」

「え」

「今日のお前、なんか変だよ」

うわあああさすがジーン早速感づかれた! つうか『お前』って何だ!? ジーンそんな口調だったっけ。

「そんなことはないぜ! 俺はいつもこんなんだろ兄貴!」

「え〜そうかなぁ」

「そうなんだって! じゃ、俺顔洗ってくるから!」

ジーンの尋常じゃない観察力に身の危険を感じた俺は、その鋭い目から離れることしか頭になく何か感づかれる前にリビングから一目散に逃げ出した。


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