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先憂後楽ブルース
Lo siento




「お手数ですが、もう一度説明していただけませんか」

ダーリンさんが、まったく感情を表に出さない冷たい瞳で俺を真っ向から見上げていた。正しくは、クロエの姿の俺を威嚇していた。

「だから、リーヤを今引き渡してもいいが、1日で帰すって約束してくれ。明日になったら迎えに行く。それが条件だ」

ダーリンさんにタメ口を使うのはかなり心苦しかったが、この場合致し方ない。クロエが敬語を使うなんて、どう考えても変だ。

「それは、リーヤ様のご意見で?」

「当然だろ! なあ、リーヤ」

「おう」

ダーリンさんの問いかけに隣にいたクロエが軽快に答えた。絶対ヘマするから2語以上しゃべるなと注意していたのだが、早くもボロを出しそうな予感。

「こちらの言い分は聞いてくださらないのでしょうね」

「もちろん」

俺はダーリンさんとクロエの間に割り込むように立ちはだかり、毅然とした態度でダーリンさんを威圧した。はたして効果があったのか定かではないが、ダーリンさんは無表情のまま胸元から携帯を取り出した。

「暫しお待ちを」

そう断ってから彼女は少し離れたところで俺に背を向け、電話をかけ始める。間違いなくダヴィットに連絡をとっているのだろう。側にいるスキンヘッドの男達の視線を感じながらも俺はクロエを引っ張り、いったん室内に戻った。




「1日ってどういうことだよ」

クロエが不機嫌そうな(俺の)顔をして、こちらを睨みつけてきた。まさか行くはめになるとは思っていなかったのだろう。

「クロエ、考えてもみろ。俺達はいま一緒にいない方がいい。少なくとも名前を呼び間違えられる心配はしなくてすむ」

「そりゃそうかもしんねえけど…」

「ほんとは元の身体に戻るまで離れてた方がいいんだろうけどさ、クロエがダヴィットに長い間我慢出来るとは思えないし」

ほんとのことを言えば、今の俺にタワーへ帰らないなんて選択肢はなかった。昨日ダヴィットに1日だけだとキツく約束させられたからだ。もしこれを破ったらどんなことになるか、想像もしたくない。だからこれが今の俺の最善策だった。

「それから、俺クロエに頼みたいことがある」

「なんだよ」

「ダヴィットにうんと優しくして、うんと」

「はあ!? 無理に決まってんだろ」

「無理じゃない! あれでダヴィットけっこう鋭いんだから、うまく演技しなきゃ気づかれるかも。そうなったらお前も困るだろ! それに今は特に…」

「特に、なんだよ」

よくぞ聞いてくれました! と、もう少しで手を叩いて叫び出しそうになった。自慢になるかもと思い意図的に避けていた話題だ。でもほんとは話したくて話したくて仕方がない。

「実はさぁ、ダヴィットが俺のために貝殻の化石見つけてくれたんだよ。新種の! しかもその貝に俺の名前入れてくれたんだ。ヤバいだろ!?」

「化石ぃ〜?」

「そう! 化石」

ダヴィットからその話を聞いた瞬間、俺は本気で卒倒しそうになった。仰天と喜びで脳が混乱している俺を見て、ダヴィットが楽勝だと言わんばかりの余裕の笑みを浮かべていたことを覚えている。それとは対照的にジローさんは相当感激していて、涙目になりながら『素晴らしい!』を何度も繰り返していた。

「確か、ロ…シエント? リーヤだったかな。化石の名前」

「ロシェント・リーヤ? どういう意味だよ」

「知らない」

俺の名前が入っていたことが嬉しすぎて、前の文字にまで気が回らなかった。外国語だろうが、意味はもちろんのこと、どこの国の言葉かもわからない。けれどあのダヴィットのことだから、間違っても『くたばれ』とか『短気野郎』とか、そういった中傷のニュアンスではないだろう。きっと。

「ロシェント、ロシエント…それってもしかして、Lo sientoか?」

「うーん、多分」

「ははははっ! だとしたら傑作だ!」

「えっ…」

突然けらけらと笑い出すクロエ。それがあまりに意地の悪い笑い方だったため、目の前の自分の顔が一瞬クロエに見えたほどだ。平生の奴の笑顔は、いじめっ子のそれにかなり近いものがある。

「何がそんなにおかしいんだよ。ロ・シエントってどういう意味なんだ」

「絶対おしえてやらねぇ」

「何で?」

「おもしろいから」

「……」

クソ生意気でクソ意地悪なクロエを睨みつけながら、俺は後で絶対調べてやると決意した。だが、そもそも何でコイツがそんな外国語の知識なんて持ってるんだ。

「で、何か? お前はその謝罪代わりの化石とやらでバカ王子にまんまとご機嫌とられて、昨日ここに来るまで奴とイチャイチャしてたってわけか」

「…表現の仕方に問題があるぞ。何でそんな悪意のこもった言い方するんだよ」

「別に。ただお前がそんなヘラヘラ喜んでるからだろ。あのロン毛がてめぇに寄越した化石と、俺がやった石どっちが大事なんだ」

「はあ!? 今そんなこと関係ないじゃんか!」

「いいから答えろ」

どうやらクロエはダヴィットに相当対抗心を燃やしているらしい。それともまさか俺との友情を試しているのだろうか? 嘘をついてこの場をおさめるのは簡単だが、クロエのためにも本心を伝えなければ。

「俺には2つとも同じくらい大事だ。どっちかなんて選べっこない」

「あぁ!? なんだよそれ!」

うわ、クロエがキレた。当然といえば当然か。

「いいかリーヤ、冷静になって考えてもみろ。その化石は絶対奴が見つけたものじゃねえ。日頃奴のために汗まみれになって働いてる下っ端兵士達が、苦労して探し当てたものだ。クソ王子がやったことはそいつらの仕事を増やしただけ。感謝する相手、完全に間違ってるだろ」

「うっ……」

相変わらず、なんて容赦のない正論だ。自分は普段破天荒なくせして、他人のことになると妙に論理的になる。厄介な性格だ。

「確かにクロエの言うとおりかもしんないけどさ、しょうがないだろ! 本当に両方同じくらい嬉しかったんだから。でもあの化石は俺の名前がついてるからであって、クロエの石はお前にもらったから嬉しいんだよ。その違いわかるだろっ」

「わかんねぇよ!」

俺は自分のヒステリックな声を鬱陶しく思いながら、クロエの背中を両手で押した。

「ああもう、とにかく! 今こんなことでもめても仕方ない! この2、3日俺がダヴィットに甘かったのは事実だ。だからお前はちゃんと俺に化けてくれ。元の身体に戻りたいならな!」

「お、ちょと待っ…」

これ以上悪いこともしてないのに責められたくはない、と俺はクロエの自慢の腕力で自分の貧相な身体を玄関先まで押し出した。


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