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先憂後楽ブルース
それはまるで生き地獄


無理やり自分を落ち着かせた俺は、クロエのいうとおり大人しく椅子に座っていた。だがやはり目の前にいる自分の姿に納得は出来ない。俺の顔をしたクロエはどこかから持ってきた医学書らしき分厚い本を、一生懸命読みふけっていた。

「あったぞ、これだ」

そう時間をかけずクロエは急性入れ替わり病の記述があるページを見つけたらしい。俺は自分の声が意外と低いことに少し驚きながら、話を聞こうと身を乗り出した。

「急性入れ替わり病。東の国や乾燥地帯でよく見られ、初期症状はなし。身近な人間と精神が入れ替わる病気である。発症期間には個人差があるが、だいたい1日から3日程度。最長では一週間にも及ぶ」

「発症期間…?」

「入れ替わってる間の時間のことだ」

「えっ? じゃあこれ何もしなくても元に戻るのか!? 1日から3日で?」

「ああ」

「なんだよそれ〜」

元の体に戻るときいて、俺は心底安堵した。それならもっと早く言ってくれればいいのに。

「ただ1つ問題がある。それがこの病気の1番厄介なところだ」

「な、なに…?」

クロエが思いっきり険しい表情を作った。うわぁ、俺不機嫌だとこんな顔になるのか。…ふてぶてしすぎる。もう嫌なことがあっても表情には出さないようにしよう。

「発症中、もし誰かに入れ替わってることがバレたら、一生元の体には戻れない」

「…………え」

今クロエは何て言った。元に戻れない? そんな馬鹿な。

「正確にいえば本当の名前を呼ばれたら、だ。つまりお前が俺の姿をしていながら『リーヤ』と呼ばれたらアウト。俺達は一生このままだ」

「なっ、なんだよそれ! 嘘だろ!?」

本当の名前を呼ばれたらって、だったらさっき俺がジーンにバラそうとしたのはかなりまずかったんじゃないだろうか。間一髪助かった。あの時ジーンを起こさなくて正解だ。

「この急性入れ替わり病は日本じゃあまり知られてねえ。もっと東の国でさえ稀とされる病気だ。日本じゃ知ってる奴は殆どいないだろう。だからヘマしなきゃバレることもないと思うが…」

「でも、もし俺達がこのまま入れ替わったままなんてことになったら…」

俺はクロエの姿で、クロエは俺の姿。一生そのまま、元通りになることはない。考えると寒気がした。

「そんなのぜってぇ嫌だ!!」

そう叫んだのは、俺ではなくクロエだった。クロエはいつになくうろたえた顔で、真っ青になっている。

「もし元の体に戻れなかったら、俺は死ぬ!」

「死ぬってそんな物騒な…、ってかどんだけ俺が嫌なんだよ! 失礼だぞ」

「仕方ねえだろ! こんな貧相な体…1秒たりとも耐えられねえっ。生き地獄だ。だいたいお前も男なら普通もっと体鍛えようとか思わねえ? 腹筋ぐらい割っとけよ!」

「む、無茶言うなって。俺だって割れるもんなら割りたいよ」

クロエに自分の体を否定されて、俺は地味にかなり落ち込んだ。ひどい言いぐさだ。まぁ自分のものとなったクロエの素晴らしい筋肉を見ると、彼の気持ちもわからなくはないが。

「確かに、俺に比べたらクロエの方がダメージ大きいかもな。別に俺はこのままでも…」

クロエの肉体美は男として申し分ないし、声も程よい低音で心地よい。そしてなによりイケメンだ。イケメンとしてモテモテの第2の人生をすごすのも悪くない気がする。俺がこんなスマートな容姿になったら、きっと弟も喜んで…………弟?

「ってこの顔じゃ俺だってわかんないじゃん!」

「な、なんだよいきなり」

前言撤回。やっぱ駄目だ。この顔じゃリーザ絶対兄貴だって気づいてくんない。弟に一生他人として接しなければならないなんて、生き地獄だ。

「クロエ!」

「?」

「死ぬ気で元に戻るぞ…!」

突如態度を変えた俺を見て口を半開きにさせたクロエの手を取り、力強く握る。うわ、俺の放心した顔ってこんな感じなのか。アホ丸出しだ。これからは絶対人前で気を抜かないようにしよう。

「とりあえず本当の名前を呼ばれなきゃいいんだよな。うっかり名前呼び間違えられちゃった、とかもアウト?」

「アウトだ。中身がバレるバレないに関係なく、真の名前を呼ばれることがポイントだからな」

ぜひ、その病気の仕組みを教えてもらいたいものだ。未来で異世界とはいえ、信じられないような病気が日常に横行している。次もう何がきても寛容に受け入れられる気がしてきた。


とそのとき、家のインターホンが突然鳴り響き、俺とクロエは硬直した。こんな朝っぱらから、めったに客人のこないジーン宅に一体何の用なのか。

「……誰だろ」

「回覧じゃねえの」

「いや土曜の早朝からそんな……あーーっ!!」

「わっ、またかよ」

大声を出した俺を、耳を塞ぎ冷たい目で見てくるクロエ。でも俺はそれどころじゃなかった。

「やっべぇ、忘れてた……」

「何が?」

「ダヴィットとの約束! 1日だけだからって、ここに来るのを許してもらったんだ。あぁどうしよう」

そう、俺はなかなか離してくれないダヴィットに1日という条件付きでクロエ達に会いに行くことを承諾させた。つまり今玄関先にいるのは、俺が出て行くたびに迷惑を被っているダーリンさんということだ。

「ああ、くそっ、ここで悩んでも仕方ない。ダーリンさん待たせるわけにはいかないしな。――クロエ」

「あ?」

こんなときにタワーに戻るだなんて、いい選択だと思わない。なんとかしなければ。

「ドアを開けよう。俺に任せてくれ」


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