先憂後楽ブルース
閨事疑惑
朝、そっと目を開くと、いつも俺が眠っているリビングのハンモックの上ではなかった。
薄暗いのとまだ寝ぼけているので、まだここがどこかはわからない。だが自分がちゃんとベッドの上に寝ていることに気づいた俺は、すぐ横を見て愕然とした。
「うわぁあ!」
素っ頓狂な声をあげ慌ててベッドから離れた俺は冷水を浴びせられたかのように目が覚めた。あろうことか隣には無防備な顔をしたジーンがすやすやと眠っていたのだ。しかも周りを見回すとここは間違いなくジーンの部屋。その上なぜか俺は半裸だった。
「……!?」
まさかまさかまさか、ジーンと俺、何かあったんじゃないだろうな。もしこれが俺のいた世界ならここまで慌てなかっただろうが、この世界は男同士の恋愛が普通。つまり大袈裟にいえば、女性と一夜を過ごしたも同然の状況なのだ。
とはいえ、いくらなんでも常識あるジーンと自分に限って有り得ないと結論づけた俺は、昨日の出来事を落ち着いて思い返してみた。
こっちの世界に来たのは3日前、ジーンの家に来たのは昨日だ。昨日俺は手厚い歓迎を受け、ここのみんなと楽しく過ごした。間違ってもジーンのベッドで寝てはいないし、ちゃんと自分でハンモックを吊し眠った記憶もある。にもかかわらず上半身は何も着ていない上、穿いていたはずのズボンも違っていた。昨夜の俺はこんな黒いのじゃなく灰色のだぼたぼした緩い寝間着だったはずなのに。
場所も違う、服も違う。そしてジーンが隣で寝ている。
…一体どんな状況だ。
これはジーンを起こして訊いてみた方がいいかもしれないと思った矢先、俺は体に違和感を覚えた。なんだか妙に自分が大きくなった気がする。手もゴツゴツしているし、心なしか目線も高い。そもそも俺ってこんなに筋肉があっただろうか。
「ぎゃあああ!」
その瞬間、ただ事とは思えない叫び声が近くで聞こえ、俺はすぐさまジーンの部屋を飛び出した。そして慌てて声のしたリビングの扉を開けた俺に、本日二度目の衝撃が訪れた。
「うああああっ!!!」
「ぎゃあああ!!??」
最初、鏡を見ているのかと思った。けれど信じられないことにリビングから見えたのは、灰色のズボンを穿き手鏡を持ちながら絶叫する自分の姿だった。
目の前の存在を、有り得ない有り得ないと俺の頭が否定する。だが何度見てもそこにいるのは、上半身裸の俺に負けず劣らず狼狽した“俺”だ。
「テメェ何者だ!!」
「はぁ!? お前こそ誰だよ!」
偽物が俺の声でしゃべってる。俺の顔で怒ってる。有り得ない有り得ない。
「──いや、ちょっと待て。お前もしかしてリーヤか」
「あ、当たり前だろ!」
偽物がいきなりそんなことを尋ねてきた。じゃあ一体お前は誰なんだと問い詰めようとした時、偽物はなぜか手にしていた鏡を俺の方へ向けた。
「う、あぁああ!!」
今の今まで、もうこれ以上驚くことはないと思っていたにもかかわらず、俺は鏡に写った顔を見て心臓が飛び出そうなほどびっくりした。
自分の顔だと思って覗きこんだ鏡の中には、クロエの顔。つまり、自分がクロエの姿になっていたのだ。
「な、な、なんだよコレ! 俺の顔がぁ!」
「落ち着けリーヤ、俺はクロエだ! 俺とお前はいま入れ替わってるんだよ!」
「はぁ!?」
俺の姿をした自称クロエがとんでもないことを口走る。そんな作り物みたいな話、簡単に信じられるわけがない。
「いやいやいや中身が入れ替わるなんておかしいだろ! 仮にもしそれが本当だとして何でそんな落ち着いてられるんだよ! 入れ替わってるんだぞ!? 普通なら発狂もんだろ!?」
絶対これは夢だと言い聞かせてなんとか理性を保っている俺からすれば、何食わぬ顔で入れ替わってるなんていうクロエの冷静さは異常だった。ほとんど動じていないように見えるクロエは、俺の顔を見上げながらゆっくり説明を始めた。
「──こういうことが稀にあるんだよ。ほんとならもっと東の国でしかない病気だけどな。でも日本で発症例がないわけじゃない」
「え、待って何これ病気なの? こっちの世界では普通なの?」
またしても常識を根底から覆された。だが毎朝起きるたびに誰かと入れ替わってたら体がもたないだろうに。
「昔、本で読んだことがある。急性入れ替わり病だ。普通じゃねえけど、まったく有り得ないってわけでもない」
「急性入れ替わり病…!?」
怖い。なんか病名が怖い。そんでもってそのまんまだ。急性があるなら慢性もあるのだろうか。
「じゃあこれ治る? 薬とかで治る?」
俺が涙目になりながらクロエにすがりついたのと同時に、開けっ放しだったリビングの入り口から寝ぼけ眼のジーンが顔を出した。
「ちょっと2人とも、さっきの絶叫なに? 近所迷惑だろう。今日は土曜日なんだからみんなまだ寝てるんだよ」
「ジ、ジーン…! 実は──」
「馬鹿!」
俺はこの緊急事態をジーンに伝えようとしたが、クロエにすぐさま口をふさがれた。そんな俺達を見てジーンが訝しげに眉を顰める。
「とにかく、僕もう一回寝るけどこれ以上騒いじゃ駄目だからね。次また叫んだりしたら、しばくよ」
なぜか俺だけを見て釘をさしてくるジーン。なにやら可愛い口調だが、目は本気だ。
ジーンが出ていってやっと、クロエは俺の口を塞いでいた手を放す。いったい何してくれてんだと、俺は自分の姿をしたクロエを睨んだ。かなり奇妙な感覚だった。
「おいおい、俺の面でそんな眉間に皺をよせるな。余計けったいな顔になるだろ」
「…自覚あったんだ」
「うっせえ、とにかく座れ。いま説明してやる」
異世界トリップを受け入れた身としても、この入れ替わり病にはなかなか順応出来ない。とりあえず今はクロエの話を素直に聞くしかないだろう。
……だか俺には、もう1つどうしても気になることがあった。
クロエとジーン、お前らやっぱり一緒に寝てたのか。
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