[携帯モード] [URL送信]

先憂後楽ブルース
011


後から追いついてきたクリスと共に部屋へと戻ったリーヤは、遠慮がちにダヴィットの顔色をうかがった。彼に怒っている様子はなく、ダヴィットはリーヤと目が合うと嬉しそうに顔をほころばせる。

「戻ったのか、無事で良かった」

「…ごめんなさい」

「なぜ謝る」

リーヤの後ろでドアがパタンと閉まった。クリスが出ていって、この部屋にはリーヤとダヴィット、2人きりになった。

「勝手に出ていってごめんなさい。それから、ひどいこと言ってごめんなさい」

「リーヤが謝ることはない」

「でも、もし俺がダヴィットの立場だったら、絶対傷つく…」

リーヤのずいぶんな変わりようをダヴィットは変に思ったが、きっとクリスが説得してくれたのだろうと深くは思量しなかった。ダヴィットはすっかりしおらしくなったリーヤの手を引き、ゆっくりとベッドに座らせた。

「かまわないよリーヤ。それよりお前の方が心配だ。記憶を元に戻す方法は必ず見つけるからな」

よしよしとダヴィットに頭をなでられ、リーヤは胸がいっぱいになった。自分はあんなひどいことを言ったのに、彼は怒りもせず優しく接してくれる。

「ありがとう。俺、絶対ダヴィットのこと思い出すから」

「焦らなくてもいい。今日はもう安静にしていろ」

ダヴィットはリーヤをベッドに誘導しようとしたが、その手は空中で止められる。怪訝な表情を浮かべるダヴィットに、リーヤは心をふるわせながらも慎重に話し出した。

「実は、ダヴィットに頼みがあって」

「頼み? 何だ、言ってみろ」

内容のあまりの恥ずかしさに、リーヤはダヴィットの胸元ばかり見ていた。一瞬やめてしまおうかとも思ったが、そのたびにクリスの言葉が蘇りリーヤの背中を押し続ける。

「あの、頼みってのいうのは………スして欲しいんだ、俺に」

「え?」

「──キス、してくれないか」

口に出した瞬間、やっぱり言うんじゃなかったと後悔した。そのときのダヴィットの顔ときたら、まるで自分が宇宙人としゃべっているかのような驚愕と唖然の狭間にある表情だった。

「もしかして、俺達キスしたことない?」

「い、いや、なくはないが」

「あるんだ…」

あまりのウブな反応に、キスもしたことのないプラトニックすぎる関係を想像したが、やることはやってたらしい。そのことにリーヤは小さなショックを受けたが気づかないふりをした。

「どうしていきなりそんなことを? 誰かに何か吹き込まれたのか」

「別に、何もないよ」

本当はクリスの入れ知恵があったのだが、それをばらしてしまうとダヴィットへのお詫びという効果が消えてしまう。もし仮にこれで記憶が戻っても、それだけでは意味がないのだ。

「悪いがリーヤ、私には出来ない」

「どうして? 俺達恋人同士じゃないの?」

予想に反して少しも嬉しそうな反応を返してくれないダヴィット。リーヤの中に一抹の不安がよぎる。
鏡で自分の顔を客観的に見たが、可もなく不可もない平凡な男に見えた。にもかかわらず、なぜこんな俳優のような見目の良い男が自分を好いているのかわからない。相手なら選り取り見取りだろうに。リーヤからはどんどん自信がなくなっていた。

「もしかして、俺のこと嫌いになった?」

「まさか! そんなわけないだろう!」

誤解を生みたくないとダヴィットはリーヤの手を握りしめ必死に否定する。けれどダヴィットにはリーヤを拒否するという選択肢しかない。記憶を失う前のリーヤが自分とキスしたがっているとは到底思えないからだ。このままなし崩しにしてしまえばリーヤを騙すことになり、後で絶対後悔する。

「だったら何でそんなに拒むんだよ…」

落ち込むところまで落ち込んでしまったリーヤの肩を、ダヴィットはやるせない気持ちでなでていた。リーヤが自分への申し訳なさから、こんなことを言い出したことはダヴィットにもわかっている。最近ずっと口が悪くて忘れかけていたが、本来彼はとても優しい人間なのだ。

「リーヤ、私なんかのために無理はするな。今のお前は私のことを好いてはいないだろう」

そうでなくても自分は一度、リーヤを手込めにしかけているのだ。あの後、ことの次第を知った両親からこっぴどく怒られたことは、まだ記憶に新しい。物事には順序があるのだと何度も何度も言い聞かされた。

「好きでもない相手に気を使ってそんなことをする必要はない。私はお前の記憶が戻るまで、いつまでも待つつもりだ」

ダヴィットは今すぐにでも押し倒したい衝動を抑え、リーヤに微笑みかける。けれどリーヤにはその笑顔が哀しいもののように感じた。

「好きだよ、ダヴィット」

「──っ!」

リーヤの突然の告白に戸惑うダヴィット。無論、記憶を取り戻したわけではない。その言葉の半分はリーヤの想像によるものだった。記憶を失う前、自分はこの人を愛していたのだという確信を持った想像。そして残り半分は、きっと自分は彼を愛せるだろうという曖昧な予感。

「だからお願い、して」

その言葉と熱い視線にダヴィットの理性の砦はいとも簡単に崩れ去る。ダヴィットはリーヤをそのままベッドに押し倒すと、迷うことなく馬乗りになった。

「お前が悪い…」

突然のダヴィットの変貌にリーヤは驚いたものの、逃げようとはしなかった。ただ自分に向けられる色を含んだ視線を受け止めることが出来ず、顔を赤らめ目をそらした。

「怖いのか?」

リーヤの体の震えに気づいたダヴィットが、のばそうとした手を途中で止める。リーヤは慌てて首を振った。

「平気」

せっかくダヴィットがその気になってくれたのだ。また彼の気が変わらないうちにと、リーヤはダヴィットの首に手をまわす。それに応えるかのようにダヴィットはリーヤの頬に手を添え唇を近づけた。

「私はお前を愛しく思っている。何があろうともこれだけは真実だ」

罪悪感と欲求、そして確かな愛情を持って口づけようとしたそのとき、突然リーヤの目が大きく開きダヴィットの体を拒むかのように押し返した。

「リーヤ…?」

呼びかけてみても返事はない。リーヤはダヴィットを見てはいるものの、意識がどこかに飛んでいってしまったようだった。そして次の瞬間、ノックもそこそこに部屋の扉が勢い良く開き、軽く息を切らしたジローが飛び込んできた。

「殿下!! わかりましたよ、あの薬の秘密が! ステフさん達がやっと僕におしえてくれたんです! 実はあの薬、効果は1時間で、それをすぎると効き目はなくなるんです! どうりで解毒剤がないはずですよ、1時間たてば記憶は戻るんですから。でも良かったですね、殿下。これでリーヤ様も安心……って殿下?」

ダヴィットとリーヤのあらぬ状況に出くわしてしまったジローは、そのまま凍りついたように固まった。そのまま10秒間、誰もがピクリとも動かず、また口を開くこともなかった。

「………」

「………」

ダヴィットとリーヤの視線がかち合う。まるで歯車が噛み合うかのように。
ダヴィットが状況を理解、把握したのと、リーヤが横たわりながらダヴィットめがけて拳を振り上げたのはほぼ同時だった。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!