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先憂後楽ブルース
010


リーヤの口から記憶を失ったことを聞かされたダーリンは、柄にもなく自分の動揺を隠しきれなかった。彼女がダヴィットのこと以外で、ここまで表情豊かになるのはめずらしい。

「本当の本当に、俺はダヴィットと付き合ってるんですよね」

「はい、何度聞かれても断言出来ます」

「俺と、あなたじゃなくて」

「は? …いえ、私とリーヤ様は何もありませんが」

やはりそんなうまい話はないか、と思いつつ内心うなだれていると、ダーリンがリーヤの手をそっと優しく握りしめた。

「動揺なさってるんですね、リーヤ様。ダヴィット殿下のことで何か覚えていることはないのですか」

残念ながらダヴィットはもちろんのこと誰の記憶もなかったリーヤだが、一応自分の知っていること、おもに先ほどダヴィットから聞かされたことをダーリンに説明する。リーヤの話を真剣に聞いていたダーリンだが話が終わると彼女は途端に険しい顔つきになった。

「とにかく、早く陛下にこの一大事を知らせなければ……」


「お待ちなさい」

ダーリンの言葉を遮ったのは、リーヤの後方から颯爽と現れたクリスだ。彼は品格のある笑みを浮かべダーリンに近づき、その手をとった。

「久しく、その美麗な顔を見つめることは叶わなかった。だが君は相も変わらず麗しい。君の手を握ることが出来る私の、なんと幸運なことか。この身に余る幸せ、一生忘れは──」

「クリス! そんな馬鹿なことを言ってる場合ではありません。リーヤ様が記憶を失ったのですよ」

ぴしゃりと手をはねつけられたクリスは、慣れているのか傷ついた顔ひとつせず冷静に返した。

「もちろん知っているよ。そもそも私はリーヤ様を追いかけていたのだからね。ああリーヤ様、お怪我はありませんか?」

「えっ、あ…はい」

完全に自分をスルーしていたクリスにいきなり尋ねられて、リーヤはどもるように答えた。近くで見たクリスの背が意外に高く威圧感があったことも理由の1つだ。

「貴方はアウトサイダーとしてはもちろんのこと、王子の婚約者としての立場もありますから。その高貴な体に傷でもついたら大変です。さあ、早くダヴィット王子の元へ戻りましょう」

アウトサイダーという慣れないはずの言葉に違和感と妙な親しみを感じたが、特に追求はしなかった。ただ“ダヴィット”の名を聞くとどうも気まずくなってしまう。

「俺、ダヴィットに会えません…あわせる顔がないんです」

「それまた、どうして?」

「俺の態度、見たでしょう。きっと彼を傷つけました」

自分を心配してくれた彼に対して、あんな横柄で恩知らずなことがよく言えたものだ。リーヤはダヴィットと記憶をなくす前の自分に心の中で謝った。けれどクリスは、なんのことはないとでもいうようにリーヤに明るく微笑みかけた。

「殿下はあれくらいじゃリーヤ様を敬遠なさったりしませんよ。…でも、そうですね、手っ取り早く解決出来る方法があるにはありますが」

「なんですか!?」

一縷の望みにすがるリーヤをクリスはたくましい腕で受け止める。すぐ横にいて事の成り行きを見守っていたダーリンは嫌な予感を察した。

「リーヤ様は記憶を取り戻したいのでしょう? 記憶喪失というものは記憶が完全になくなるわけではありません。ただその部分に蓋をしてしまっているだけなのです。もう一度その蓋を開けるには、鮮明に刻みつけられた楽しい場所や嬉しかった出来事を再現するのが一番です」

「再、現…?」

「リーヤ様、殿下と接吻なさい」

「ぶっ!!」

大真面目なクリスの発言にリーヤはその場で勢いよく吹き出した。無論、面白くて吹き出したわけではない。彼の提案が信じられなかったのだ。

「クリス! あなた何を…っ」

「まあまあ、少しは落ち着いて私の話を聞いたらどうです。貴女らしくもない。少し考えればわかることです。愛し合う2人の最高の思い出といえば、ファーストキス以外にありますか?」

呆然としていたリーヤよりも第三者であるはずのダーリンの方がずっと動揺している。やっと自分をを取り戻したとき、リーヤは顔を真っ赤にさせるダーリンをちらちら気にしながらクリスにいった。

「でも、そんなことで簡単に記憶は戻らないと──」

「戻ります! いいですか、リーヤ様。このまま何もしなければずっとダヴィット殿下への愛を忘れたままなんですよ。何事もやってみなければ結果はわかりません。そうでしょう?」

「まあ、確かに…」

「それにリーヤ様から求められればきっとダヴィット王子も嬉しいはず。記憶も戻って王子へのお詫びも出来て、まさに一石二鳥じゃないですか」

「………」

不思議な話だが、最初はそんなの有り得ないと考えていたはずのリーヤは、クリスにまんまと丸め込まれ別にキスしてもいいかと思い始めていた。男同士のキスにもちろん抵抗はあるが、記憶がなくなる前の自分はためらいもなくしていたのだろうし、それで逆に悟りが開いて記憶を取り戻せるかもしれない。もしそうなればこの同性愛への拒否反応は消え失せるはずだ。

「……わかりました。やるだけやってみます」

「リ、リーヤ様!?」

「潔い決断、さすがはリーヤ様。愛らしい内面とは裏腹に中身は男の中の男ですね」

クリスから男らしいとほめられ、気をよくしたリーヤのやる気はさらに向上していく。もう迷いはなかった。

「俺、ダヴィットのところへ戻ります。色々騒がせてすみませんでした」

「それは良かった」

有言実行、とばかりにぐるりと踵を返しもと来た道を逆走していくリーヤ。単純だなぁと思いつつ、クリスがその背中を見つめているとリーヤが唐突に振り返った。

「お姉さん、名前は?」

自分のことを聞かれたのだと気づいたダーリンは、背筋をピンと張ってよく通る声で名乗った。

「ダーリン・ゾルゲと申します」

リーヤはその名を一生忘れないよう心の中で何度も唱えると、ダーリンとクリスに向かって大きく手を振った。

「クリスさん、ダーリンさん、あなた達のこともきっと思い出してみせます。色々ありがとう!」

言い切って満足したリーヤは、まばたきを繰り返すダーリンらを残してばたばたとかけていく。その姿がまだ見えている間に、にこにこと笑みを浮かべるクリスを見てダーリンはうなだれつつ、うめいた。

「クリス、よくあんなことが言えますね…」

「すべては殿下のためにしたこと。貴女も殿下が喜べば嬉しいでしょう」

ダーリンにとって、ダヴィットは一喜一憂の源だ。しかしそれと同時にダヴィットはダーリンの思い人でもある。そんなダーリンの複雑な感情を理解していたクリスは、彼女の手を取って優しく微笑みかけた。

「それよりも、ダーリン。今夜私と一緒にディナーでもどうかな?」

「結構です。そんなふざけたことを言う暇があるなら、さっさとリーヤ様を追ってください。何かあったらどうするんですか? 私も早く、陛下にこの件をお知らせしなければ」

「陛下に? いや、その必要はないよ」

「…なぜ?」

クリスの指示を奇妙に感じたダーリンは、彼に理由を問い詰める。けれどクリスは意味深な笑みを浮かべるだけで、その口からは何も答えようとはしなかった。


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あきゅろす。
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