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先憂後楽ブルース
008


「お前の名前はリーヤ・垣ノ内。そして私はダヴィット、横にいるのがクリスだ」

「はあ…」

薬のせいで記憶を失い自分が誰かもわからないリーヤは、不安げな表情の若い長髪の男と笑顔を絶やさない年配の男を目の前に、すっかり萎縮していた。明らかに自分と種族が違うであろう見知らぬ2人の美形に介抱され、天蓋付きのベッドに寝かされているこの状況は、ただでさえ混乱している人間がすんなり呑み込めるものではなかった。

「体の調子はどうだ。何か思い出したことはないか? もっと水持ってこさせようか」

「いえ、大丈夫です」

悪い人ではなさそうだが、どうにも信用しきれない。まず第一に、美形すぎる。おまけに日本語ペッラペラ。彼らは何者なのだろうか。

「あの、ダヴィットさんは…」

「ダヴィットでいい。敬語も使うな。変な気分になる」

「はい。…いや、うん」

そうはいっても、彼の年齢もわからないし、そもそも自分がいくつなのかも知らない。気軽にタメ口などきいてもいいのだろうか。そしてこれは自分の勘でしかないが、なんとなく彼は偉い立場にいる人間のような気がした。

「ダヴィット…は日本語、お上手なんですね」

「日本人だからな」

「ああ、やっぱり」

きっと彼らは日本で生まれ日本で生活しているのだろう。しかし一体自分と何の関係が? 先ほど自分の顔を鏡で見せてもらったが、れっきとした日本人だった。

「あの、ここはどこなんですか。まさか俺の家じゃ…」

「敬語はやめろ、リーヤ」

「…ごめん」

敬語を使ってしまうのは緊張と警戒のせいだ。まだダヴィット達を完全に信用しきれてはいない。ダヴィットはそんなリーヤの気持ちがわかるかのように、深くため息をついた。

「ここはお前の家だ。細かく言えば、私の家にお前が住んでいる」

「えっ、これが個人の家? すごい!」

高そうな照明や装飾品が置かれているので、この部屋は豪華なホテルのスイートルームのようだ。寝室を見ただけで豪邸だということがわかる。

「こんな広い家に住んでるなんて、何の仕事してるの?」

リーヤの質問にダヴィットとクリスは互いに顔をあわせる。どう答えるべきか一瞬迷ってから、ダヴィットは重たい口を開いた。

「王子だ」

「えっ」

リーヤは一瞬、自分の耳を疑った。ダヴィットの口から『王子』という言葉が聞こえた気がしたからだ。確かにダヴィットの着ている服は一般的なものではない。艶のあるシルクの布は彼の体を足元まで覆っていた。チャイナ服に似ているが、それよりもずっとゆとりがある。リーヤはてっきりコスプレ衣装かと思っていたが。

「王子って、それはショーか何かで?」

「違う。私は国王の息子、だから王子だ」

「……メルヘンですね」

「信じてないのか」

心外だと言わんばかりの語調だったが、確かなことを何一つ持たないリーヤにしてみれば当然の反応だ。

「あなたみたいな外国人が皇子なんて、ふざけないでください」

「………」

しばらく考え込んだ後、ダヴィットは隣にいたクリスにぼそっと耳打ちした。

「記憶がなくなったのではないのか? 私が王子ではないなどと言っているぞ」

「殿下、リーヤ様が消された記憶はエピソード記憶のみです。ですから今の彼にも一般常識はあります。きっと向こうの世界の王子を覚えているのでしょう」

「なるほど」

こちらを気にしながらこそこそと話す2人の姿を見て、リーヤは正直いらついた。自分のことが何もわからない不安と、目の前の男達への疑心ばかりが膨らんでいく。

「記憶がないからといってからかってるなら、怒りますよ。あなた達、いったい俺とどういう関係ですか」

はっきりとしたリーヤからの敵意を感じながらも、臆することのないダヴィットのブラウンの瞳からは彼の感情は読み取れない。ただ黙ってリーヤを見つめながら椅子に座っている。そんな王子の代わりにクリスが愛想の良い表情で答えた。

「リーヤ様、あなたはダヴィット殿下の正式な伴侶です」

「………」

衝撃的な事実を聞かされても、リーヤは何も言わない。言えなかった。彼の瞼は極限まで開き、今にも眼球が飛び出しそうになっていた。

「…………はん、りょ?」

「ええ、まだ婚姻届は未提出ですが」

ベッドに上半身だけ起こしていたリーヤは、足を曲げて何かから自分を守るように体を丸め込む。そうして自分の手をそっと両胸にあてた。もちろんそこに女性特有の膨らみはない。

「男だ…」

「勿論。王子とリーヤ様はお二人とも男性です」

「そ、そんな馬鹿な!」

楽しんでいるのか、それともただ愛想がいいだけなのか、クリスは皺を作りながら笑っている。リーヤは急に何もかもが怖くなった。

「まさか、俺が男と結婚なんてするはずない…」

「リーヤ、落ち着け」

ダヴィットは青ざめながら後退するリーヤに近づくが、不安と恐怖で疑心暗鬼に陥ったリーヤはそれを完全に拒否した。

「く、来るなっ」

リーヤはベッドから転がるように降りると、靴も履かずに出口まで走る。そしてあっという間に外へと飛び出していった。

「リーヤ!」

すぐさま追いかけようと駆け出したダヴィットだが、1メートルも進まないうちに足を止め、ため息をついた。

「クリス、リーヤを追ってくれ。彼奴に何かあったら大変だ」

「殿下は行かれないのですか」

「私が行けばまた逃げ出すだろう。私はここにいるから、早くリーヤを」

「……了解しました」

命令通りクリスはドアに手をかけリーヤを追おうとしたが、ふと立ち止まって振り返りダヴィットに笑みを見せた。

「私にすべてお任せください、王子。悪いようにはなりませんよ」

「………」

彼の言葉の意図がわからずダヴィットはすぐには返事が出来なかったが、クリスは主の応えを待つことなく部屋から出ていった。


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あきゅろす。
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