先憂後楽ブルース
005
人の住む建造物としては日本一の高さを誇るレッドタワーだが、王城としての役割を果たしつつもそれは所詮鉄塔で、高さの割に階数は少ない。よってたった1階上へと上がるだけでもかなりの時間を必要とする。リーヤらをのせたエレベーターが長い時間をかけてようやく最上階へとたどり着いた時、ややよろめきながら自分を誘導するハリエットの血色を失った顔を見て、リーヤはやっと彼女の異変の原因がわかった。
「もしかして、ハリエットって高所きょ──」
「違う!」
「あ、そう……」
恐ろしい形相で否定され、それ以上何も言えなくなる。だが今ので確信出来た。図星だ。
「なあハリエット、さっきの話だけどさぁ」
「…さっき?」
「俺の考えが足りないって話」
外が丸見えな展望エレベーターをおりたとたん、ハリエットのおぼつかなかった足取りが元に戻っている。これならちゃんと話を聞いてくれそうだ。
「クロエが友達だって言ってくれたから俺は一緒に祭りに行ったんだけど…、この考えっておかしいかな」
リーヤがクロエと夏夜祭に行かないと言ったのは、自分のせいで散々な目にあってしまったハリエットのためだ。もしクロエの持つ感情がどういう類のものかわかっていなかったなら、自分のしたことは大層な裏切りになる。だからこそクロエがはっきりと公言してくれたことで、友情を確認でき、ただの友達として祭りに行くことが出来たのだ。
「間違ってた、かな?」
「……」
どきどきしながら答えを待つリーヤの真横で、ハリエットはずんずん歩きながら深いため息をついた。
「そもそも間違ってる間違ってない以前に、カキノーチのそれ全然理由になってないじゃない」
「え?」
ハリエットの言葉の意味がまったくわからなくて、器用にも歩きながら固まってしまう。高所のショックから完全に自分を取り戻したハリエットは、そんなリーヤの様子を横目で見ながら呆れた口調で話し続けた。
「あのねカキノーチ、私があなたをクロエの特別だって思ったのは、あなたがクロエに対して抱いていた“勘違い”とは違うの。私はクロエの気持ちを“勘違い”していた訳ではないのよ」
「…?」
彼女の話の中身がまったく見えない。言われた言葉を記憶にとどめることすら出来なかった。
「……簡単に言えば、クロエがいくら友情を口にしたところで、そこに真理はないってこと」
どうにもはっきりしない説明だったが、ここでまたわからない素振りを見せればなんとなく彼女に怒られるような気がして、リーヤは考えに考えを重ねてから尋ねた。
「………それって、クロエが嘘ついてるかもってこと?」
「そう。ついてるかもじゃなくてついてる」
「ぶっ…!」
ハリエットには悪いが、リーヤは吹き出さずにはいられなかった。あの正しい友人関係のあり方すら知らないクロエが自分を騙すなど、たとえ天地がひっくり返ってもあり得ないことだった。
「つまり何か? クロエの言ってることは全部でたらめで、俺をまんまとあざむいたって訳か? あれが全部クロエの演技? ……ぶぶっ、ないないない! それだけは絶対ない! アイツどんだけ役者だよ!」
クロエは人間学的には馬鹿としか形容できないほど単純な男だ。それが全部偽りだと考えるだけで恐怖を通り越して笑い話になる。
だが不思議なことに、ゲラゲラと笑い続けるリーヤを見てもハリエットは顔色一つ変えなかった。てっきりムキになって自分の考えの正しさを主張してくると思いきや、ただ同情に近い感情がこもった眼差しをこちらに寄越してくるだけだ。
「何でハリエットはそんなこと思っちゃうかな。意外と想像力豊か?」
「だったら逆に聞くけど、どうしてカキノーチはあり得ないと思うの? 彼ならそれぐらいすぐ思いつくわ」
「いや、それは…」
ひょっとするとこの彼女の思い込みは、クロエは頭が良いという固定観念から来るものなのではないか。何にせよクロエに対する彼女の変な誤解は解いておかなければならない。
「とにかくハリエットは間違ってる。断言出来る。俺の持ち物ぜんぶ賭けたっていい」
「どうしてカキノーチはそう頑ななのかしらね。第一クロエがあなたにそう言わなければ一緒に夏夜祭に行くこともなかったのよ。嘘も方便。その場限りの便宜的手段じゃない」
「だからアイツはそんな器用な奴じゃないんだって。いい加減馬鹿なこと言うのやめろよ」
「馬鹿はそうやって騙される」
「なっ!」
今まで単なる笑い話でしかなかったが、ここでようやくリーヤは頭に血が上り立腹した。だがそれは話の中身ではなくハリエット自身に対してだ。クロエのことをさもわかった風に言われ、なおかつ彼女の馬鹿にするような言い回しが癪に障った。
「何だよそれっ、いい加減にしろよハリエット。絶対俺の方がクロエの事よくわかってる!」
「たかだか1ヶ月程度の付き合いで偉そうにしないで。私は幼稚園から一緒なのよ」
「それが何だよ! クロエと話したことないって言ってたの覚えてるんだからな。ハリエットだってアイツの頭脳だけに惹かれたわけじゃないだろ?」
「………念のために言っておくけど、私はもうクロエのこと何とも思ってないから。私には色恋にうつつを抜かしている暇なんてないもの」
「ああ、そうかよ! でも今そんなこと関係ない!」
「なによやる気? 受けて立つわよ!」
「………おい」
とりあえず拳を握って身構えたリーヤと闘志むきだしの戦闘態勢に入ったハリエット。2人そんな一触即発の空気を訝しげな顔をして眺め、声をかけた男が1人。リーヤの到着を廊下で待ちわびていたダヴィットだ。
「…お前達、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
「「仲良くない(です)!!」」
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