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先憂後楽ブルース
004


同日、昼過ぎ。ジーンの家で昼食を終えたばかりだったリーヤは半強制的にレッドタワーへと連行された。迎えにきたのかダーリンでなかったなら、リーヤももう少し行くのを渋っただろう。だが彼女の有無をいわさぬ丁寧な命令口調に圧倒され、ほんの少しの罪悪感にさいなまれながらもリーヤはおとなしくタワーへと戻るより他なかった。




「あの…ダーリンさん」

「何でしょう」

「ダヴィット、怒ってましたか? 俺が勝手に出ていったこと」

きびきびとした動きでタワー1階のホールを突き進むダーリンに、リーヤは床に目を落としながら恐々と尋ねる。一部の男達からは氷の女とも呼ばれているダーリンは眉一つ動かさず淡々と答えた。

「それは私にはわかりかねます。ですが殿下を悲しませるような真似は二度として欲しくはありません」

「ご、ごめんなさい…」

憧れの女性であるダーリンの責めるような言葉に若干ショックを受けたもの、気にしているのは結局夏夜祭の件だ。もしクロエと一緒に祭りに行ったことがダヴィットに知られていたら…。いかなる責め苦にも自分はただ堪えるしかないだろう。

「ダーリンさんまで巻き込んでタワーから逃げ出すなんて、俺こんなによくしてもらってるのに。…ほんとにすみません」

ダヴィットの好意は少々重荷ではあったが、それを完全に拒否出来るほど非道にはなりきれない。それに本音をいえば、気持ちを真っ直ぐにぶつけてくるダヴィットに困惑しつつもけして悪い気はしないのも事実。自分をここまで好いてくれる相手がいる事に、信じられない反面嬉しい感情もあるのだ。だから何も言わず出ていったことに対して、ダヴィットには申し訳なかったと後悔した上できちんと謝ろうと思っていた。

「何かお詫びが出来たらいいんですけど。俺に出来ることがあれは何でも──」

ところが展望エレベーターの前に立つ人の姿が目に入った瞬間、リーヤは思いがけず言葉を失う。目の前にいたのは今現在このタワー内で2番目に会いたくない人、ハリエット・フラムだった。

「お久しぶりです、リーヤ様。私が殿下からリーヤ様を部屋に案内するようにと仰せつかりました」

「……ひ、久しぶり」

シルバーの髪をなびかせながらハリエットは他人行儀に頭を下げ、エレベーターに入るよう促してくる。リーヤが異常なほど戸惑いながらもダーリンを見ると、彼女はハリエットに後は任せると言い残し一礼してからその場を去ってしまった。

しばしの沈黙の後、先にこの気まずい空気を崩したのはハリエットだった。

「…カキノーチ、あなた、クロエと一緒に夏夜祭に行ったそうね」

「うっ…なぜそれを」

「目撃情報がたくさんあったの」

ハリエットの鋭く冷たい口調と顔つき。まだちらりとも目を合わせてくれない。

「…ダヴィットも知ってるのかな」

「さあ。私は話してないけど。ああそれから、上昇中は私に一切話しかけないで」

「え?」

ツンとした態度を崩さないハリエットはよく意味の分からない注意を付け加え、エレベーターに乗り込むと迷わず最上階のボタンを押し、なぜかリーヤから離れるように奥へと下がる。やっと彼女が自分とクロエの関係を誤解をしているのだろうと悟ったリーヤは、慌てて弁明した。

「あれは違うんだよハリエット。俺とクロエはそんなんじゃない。クロエは俺を友達だと思ってくれてる。だから祭りにも行った。俺はクロエの特別なんかじゃない」

「そんなこと、どうしてわかるの?」

間髪入れずに尋ねられる。もっともな質問ではあった。

「だって、クロエがそう言ったから」

これ以上の理由はないだろうと自信満々に答えたつもりだったが、返ってきたのは予想したものとは程遠い反応。けれど彼女が初めてまともに顔を見てくれた瞬間だった。

「考えが足りないわね、カキノーチは」

「え?」

ガチャと扉が閉まりエレベーターはぐんぐん上昇を始める。彼女の揶揄するような響きだけが余韻として残った。

「それってどういう意──」

「黙って!」

ハリエットにいきなり怒鳴られたリーヤは驚きのあまり目を丸くさせる。理不尽な扱いに抗議しようと口を開きかけたが、ハリエットの平生とは違う様子に飛び出しかけた文句が引っ込んだ。
彼女は目をつぶって何かをやり過ごすかのように俯き、ぶつぶつとつぶやいている。途切れ途切れに聞こえるそれは…数学の公式だろうか? 何かのまじないのようにも聞こえる。不可解ではあるが黙ってろと言われた手前、リーヤはそれに従いただ大人しく横に並んで立っているしかなかった。


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あきゅろす。
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