先憂後楽ブルース
002
意気揚々と立ち上がったダヴィットが真っ直ぐ向かった場所は、タワーの端の方に隠れるように実在する研究室だった。この部屋への立ち入りには通常厳しい審査を要するが、そこは王子であるダヴィット。幅を利かせて面倒な書類手続きの手間を省き、研究室への扉をいとも簡単に開けた。
研究室、といはいえここは普通のラボとは違う。研究に必要な実験器具などはなく、主に資料などを保管する場所だ。最新型のパソコンが何台か設置され、重要書類が置かれていることを除けばただの事務室といってもいいだろう。
「私が来ても、ここの奇人達は挨拶もなしか?」
ダヴィットの鶴の一声は研究室内をちょっとした混乱に陥らせた。研究員達が何事かと慌てふためく中で、冷静な男が1人。侵入探知スペシャリストでその道の権威、分析官のクリスだ。
「これはこれは、殿下。この様なむさ苦しい場所へようこそ。今のは奇人と貴人を掛け合わせたシャレですね」
「違う。だいたい研究員は貴族の出身でない者が殆どだろう。貴様と同じな」
「殿下は貴族がお嫌いで?」
クリスの問いにダヴィットの眉間の皺はさらに深くなり、後方に控えていたジローは冷や汗をかいていた。元軍人のクリスは実力でここまでのし上がった強者だ。ただ一般の出であるがゆえに恐いもの知らず、というより一見丁寧に聞こえても大胆な発言が目立つ男だった。
「今日は双子に話があって来た。人払いを頼む。お前はいてくれると嬉しい」
「了解しました、殿下」
立場をわきまえない無礼者にも関わらず、クリスはダヴィットに比較的好かれていた。遜(へりくだ)られる事を極端に嫌う彼の性格を考えれば当然の事だが、ダヴィットと親密な者はそう多くない。
研究員達を部屋から追い出すと、ごみごみした部屋に少しだけゆとりが出来た。ここの人間は片づけることをしないのか、書類がいたるところに山積みになっている。
「そういえばクリス、お前はどうしてここに?」
「いつもと同じ、彼らがまた癇癪を起こしたんですよ。まったく、いつまでたっても子供で」
「……それはお前のいう“シャレ”か?」
「いえ、単なる皮肉です」
ダヴィットが物心ついた時から同じ、子供の姿のままのステフとステラ。彼らは中身もお子様、いやそれ以上に精神年齢の低い双子だった。それを手懐けられる数少ない人間の1人がこのクリスだ。
「で、奴らはどこに?」
「今は昼寝の時間ですから。書類に埋もれて寝こけていると思いますよ。ステフ! ステラ! どこです? ダヴィット王子が来てくださいましたよ」
クリスの呼びかけに、書類の山からひょっこりと二人分の子供の頭が出てくる。彼らはダヴィットの姿を認めると大喜びで飛びついた。
「ダヴィット! ステフに会いにきてくれたの? うれしいっ」
「ちがうよぉ、ダヴィットはステラに会いにきてくれたんだよ」
「貴様らいちいちまとわりつくな鬱陶しい! クリス、なんとかしろっ」
王子の命令に素早く頷いたクリスは、ステフとステラの2人を簡単にダヴィットの体から引き剥がす。
「2人共、殿下から離れて。彼に遊んでもらいなさい」
彼、とはずっとダヴィットの側でハラハラしていたジローの事だ。突然クリスから指名を受けたジローは、衝撃に備える間もなく子供二人に飛びつかれた。
「遊ぼう遊ぼう!」
「だっこして、だっこ!」
ステフ達の無理な要求にも臆することなく、笑顔で彼らに接するジロー。それを見たダヴィットがいっそう顔つきを険しくさせる。
「こらお前たち、ジローから離れろ」
「大丈夫ですよ、殿下。僕こう見えて子供好きなんです」
「そういう問題じゃ…」
黒い髪のステラを笑顔で抱き上げる怖いもの知らずな護衛に、ダヴィットは最悪の事態を想像した。これまでこの双子を、自分の純真無垢な護衛に近づけまいと努力してきたのが水の泡だ。ジローの持つ身体や性格はまさしく被験者にうってつけだった。
「4、5分ならジロー君も平気でしょう。殿下、それでご用というのは?」
クリスの言葉にダヴィットはため息をつくと、子供と戯れるジローをちらちら気にしながらも、本題に入った。
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