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短編
あっくんと檸檬



「うわああぁん!」

「なくなよ、れもん。テンキンなんだからしょうがないやろ。おれだってイヤなんやぞ」

「だってだって、れもん、もうあっくんと会えへんの? もどってこーへんの?」

「…ううん。おれ、ぜったいれもんにあいにくる。それまで、1人でがんばれるよな」

「かえってきたら、あっくん、れもんとけっこんしてくれる?」

「れもんが泣かない、つよい子になってたらな!」




それは遠い日の思い出。当時小学生だった俺は通学路の途中にある公園で、1人の女の子と出会った。その子が公園でいじめられていたのを俺が助けたのがきっかけだ。話を聞くと、関西から引っ越してきたばかりで訛りをクラスメートに馬鹿にされていたらしい。彼女の顔つきが日本人離れしていたことも原因の一つかもしれない。

俺は母親が関西人だったこともあってその訛りには馴染みがあった。俺が関西弁で話しかけるとその見知らぬ小さな可愛い女の子は喜び、すぐ俺に懐いた。
それから俺が親の転勤で引っ越すまでよく一緒に遊んでいたが、なにしろ小さい頃の話なので記憶が曖昧で、その子に関してわかっていることは檸檬という愛らしい名前と住んでいた地域だけ。もちろん引っ越してからはまったく交流なんてなかったわけだが、結婚の約束なんて可愛いことをしてしまったため、俺の中では微笑ましい思い出として記憶に強く残っていたりする。もしかすると、あれが初恋だったのかもしれない。

そして高校2年生になった俺はようやく、檸檬との思い出の街に戻ってくることができた。
正直言って、この時期に転校なんてさすがに転勤族の父親を恨みたくなったが、転入先の高校は前住んでた場所に近く、仲の良かった友達が結構いるのが救いだ。しかも引っ越してからもやり取りのあった幼馴染み、山島倫太郎と同じクラスだったので俺はほっとしていた。


「倫、俺が自己紹介してるときニヤニヤすんのやめろよ。つられそうになんだろ!」

「悪い悪い、だって真面目な顔のお前が面白くてさ〜」

クラスでの挨拶の後、知り合いだからと隣の席になった俺達は離れていた時間なんてなかったみたいに打ち解けていた。ずいぶん背が高くなった倫太郎に最初は圧倒されていたが、話してみると何にも変わってないのがわかった。

「あっちゃん、関西にいたのに何で標準語しゃべってんだよつまんねぇ」

「こっち帰ってきたら自然と戻ったんだよ。てかあっちゃんとか、久しぶりに聞いたし」

「仁木篤弘であっちゃん、クラス全員呼んでたじゃん。あ、隣のクラスに尾上がいるから後で会いに行こうぜ」

「マジで? 行く行く!」

「堀田あかりもいるぜ。英語科には国中と佐崎もいるし」

「みんな近くの高校に行きすぎだろ! 女子はあんまり覚えてねぇけど……」

女とは正直喧嘩した記憶しかない。みんな根に持ったりはしていないだろうが、ちょっと罰が悪い。仲良くしてた女子といえば俺には一人しかいなかった。

「あのさ、一つ下に、檸檬って名前の子いる? ハーフっぽい感じの顔の」

「え」

「いや、もしかしたらなんだけど。昔ちょっと関わりあってさ。高校どこ行ったとか知らねーし、でも檸檬って変わった名前だからひょっとしたら知ってるかも……」

「馬鹿!」

倫太郎に口をふさがれ、俺は目を丸くさせる。倫太郎は辺りを警戒するように、きょろきょろと見回し小声で俺を嗜めた。

「あっちゃん、それって谷口檸檬のことか? だとしたら絶対に名前出すなよ」

「いや、苗字覚えてなくて……。え? 檸檬ここにいんの?」

「だから! 谷口を名前で呼ぶとか! 自殺行為だぞ」

「え……」

そういえば、檸檬は自分の名前が恥ずかしいといって嫌っていたような気がする。しかし俺に名前を呼ばれるのは嫌じゃないと言ってくれたので、ずっと檸檬と呼んでいた。まさか檸檬がこの学校にいるなんて。大昔に結婚の約束なんてしてしまったばかりに、運命かもしれないなんて馬鹿げたことを考えてしまう。

「名前、そんなに怒るんだ……」

「怒るなんてもんじゃねえよ。まあ本人の耳に入る前にその取り巻きが黙ってねぇけどな」

取り巻き、と聞いて俺は檸檬がそんなにモテているのかと驚いた。確かに小さい頃から天使のように可愛かったから、そのまま大きくなったら他の男が放っておかないだろう。

「俺、久々に会ってみたい。檸檬のクラスに案内してくれよ」

「は!? ムリムリ、絶対無理!」

「じゃあ遠くから見るだけでもいいから! 頼む!」

散々頼み込んで、根負けした倫太郎は見るだけという約束で俺を1年のクラスまで連れてきてくれた。檸檬は有名人らしく、何組にいるかも倫太郎は知っていた。どれだけの美女になっているのか楽しみだ。

「あれ、いないな……」

こっそり1年のクラスを見回すも、それらしい女子はいない。2年の俺達はかなり注目を集めていたが、誰も話しかけてきたりはしなかった。倫太郎はほっとした様子で俺に諦めて戻ろうと言った。

「残念だけどいないものは仕方ないし、行こうぜ」

「でもせっかく来たのに……。あ、なあなあ」

ドアの近くにいた生徒に俺は笑顔で話しかける。昔からそうなのだが、俺は年上や同年代には人並みに遠慮したりするが、年下にはやけに馴れ馴れしい。年下ならばどんな強面でも怖くはないし、物怖じしたりもしない。檸檬とあんなに仲良くなれたのは下級生だというのもあっただろう。

「このクラスの檸檬って子、どこにいるか知らない?」

「あほーーー!」

倫太郎が青い顔で俺を罵倒する。俺の胸ぐらを掴み激しく揺さぶってきた。

「見るだけって言ったろ! しかもなに名前呼んでんだよ!」

「名字なんだったか忘れちゃって……それに下の名前のがわかりやすそうじゃん」

「アホかーー!」

倫太郎には怒られたが、年下ならば取り巻きなんか怖くない。それよりも檸檬が俺の事を覚えていているのかどうかの方が心配だ。もし名前を出しても忘れられていたら……いや、それよりもこんなに地味に成長してしまって、がっかりさせたらその方がショックかもしれない。

「てめぇ、なに谷口さんのこと名前で呼んでんだよ。いい度胸してんじゃねえか」

俺が話しかけた一年が突然ぶちギレる。どうやら彼が彼女の取り巻きの一人だったらしい。言わんこっちゃないと倫太郎は目を白黒させていたが、俺は冷静だった。言い返そうと口を開いた時、背後から声が聞こえた。

「おい、なに騒いでんだ」

「あ、谷口さん! 聞いてくださいよ。こいつがいきなり乗り込んできて、谷口さんの名前を軽々しく……」

「檸檬?」

タイミングよく檸檬が来てくれた、と俺は名前を呼びながら振り返る。しかしそこに立っていたのは大柄な、一目で不良とわかる目付きの悪い男だった。完全に別人だ。

「ああ!? 何だてめぇ。喧嘩売ってんのか?」

「……すいません、人違いでした」

どうやら俺はハイリスクな間違いをしてしまったようだ。年下ならばどんな相手でも怖くないと言ったが、あれは間違いだった。どう見ても風貌が年下じゃないし、なんならカタギでもなさそうだ。

「申し訳ありません。純粋な人違いです。あなた様を不快にさせる気はまったく……」

「……あっくん?」

男が言った俺の昔のあだ名に、俺は震えた。
仁木篤弘だから、あっくん。俺をそう呼ぶのは後にも先にも檸檬だけだったのだ。

「え、……れ、檸檬? 本当にあの檸檬?」

「あっくん! 久しぶり!」

間違いであってくれと願ったが、目の前の男には色素の薄い髪やハーフのような顔立ちなど檸檬の面影がある。そしてあっくんという一人だけしか呼ばないあだ名。この目の前の大男は、おそらく俺の幼馴染みの檸檬だろう。しかし、しかしだ。

「何で男!?!?」

「何でとか言われても、俺最初から男やし。あっくん何か勘違いしとったけど」

「そんな……」

今まで標準語だったのに、突然関西弁に変わった。しかしその笑顔と口調で、そのピアスあけまくりのヤンキーが紛れもなく檸檬だとわかった。

「あっくん、約束守って帰ってきてくれたんやな。俺、めっちゃ嬉しい」

「う、うん」

「そうや、放課後下駄箱のとこで待ってるから一緒に帰ろう。な、ええよな?」

「……うん」

「約束やで!」

そう言った檸檬は嬉しそうな顔をして予鈴と共に教室に戻っていった。残されたのは俺と、説明しろと言わんばかりの倫太郎と檸檬の取り巻きの視線。だが俺の方が説明して欲しいくらいだった。



倫太郎いわく、谷口檸檬はこの辺では有名な不良で一年ながらこの学校を牛耳っているらしい。そんなに荒れてる高校に入学してしまったのかと焦ったが、檸檬が入ってから風紀が乱れたとのこと。普段は標準語で関西弁は話していないそうだ。

しかし不良でも顔は綺麗なので女子人気は高く、色んなタイプの美少女が告白してはフラれているらしい。そんな硬派なところと腕っぷしの強さに引かれて舎弟になろうとする男が後を絶たないのだとか。俺は知らなかったが檸檬は父親がアメリカ人の本物のハーフで、屈強な肉体は元軍人の父親ゆずりらしい。幼少期はなせがその遺伝子が封印されてたわけだが。

男だったのはショックだが、まるで戦士のようになってしまった檸檬にはそれ以上のショックを受けた。しかし不良といっても本人は檸檬という名前を呼ばないようにさえ気を付ければ大人しいもので、逆をいうと名前を口にしたらそれが例え教師でも恐ろしい目にあうらしい。

そして俺は逆に檸檬との過去の思い出を倫太郎に話すことになった。昔は可愛くて女子かと思っていたと話すと倫太郎は笑っていたが、お前恨まれてんじゃないかと言われて思わず身震いした。


放課後、若干の恐怖はあったもののすっぽかすわけにもいかず俺は檸檬と並んで帰宅していた。周りの視線が痛いほど突き刺さる。

「じゃああっくん、前と同じマンションに住んでんの?」

「ああ、部屋はちゃうけどな」

「じゃあ家めっちゃ近いやん。明日から一緒に行こ」

「ええけど……檸檬、遅刻したりせーへんの?」

檸檬と話すと自然と関西弁に戻ってしまう。不良といえば遅刻、というイメージでそんなことを言うと檸檬の口は閉じてしまった。

「あ、悪い。そんなつもりやなかってん。遅刻なんかせんよな」

「……たまにするけど、あっくんと一緒ならせーへんよ」

「そうなん? じゃあ俺、毎朝檸檬迎えに行こかな。通り道やし」

歩きながらそんなことを言うと檸檬は再び口を閉ざして俯いてしまった。何かよくないことを言ってしまっただろうか。

「あ、檸檬って呼ばれんの嫌やった? ごめん、昔のクセで……」

「呼んでもええよ。あっくんなら、むしろ昔に戻ったみたいで……なんか嬉しい」

大きくたくましく育った檸檬を、俺はこの時何だか可愛いと思ってしまった。檸檬は昔のまま何も変わらないのに、女子じゃないとか不良だとかでがっかりする俺がおかしいのだ。また、前のように仲良くなれたらいい。檸檬と会えるかもしれないと期待して、俺はこの土地に戻ってきたのだから。

「あっくん、ちょっと俺の家よってもらってええ? あっくんに渡したいものがあって」

「? うん」

今日出会えたのは偶然なのに渡したいものとは何なのか。疑問に思いつつ懐かしさを感じる道を進むと、昔となんら変わりない檸檬の家があった。3階建ての大きな洋風の家だ。壁は可愛らしいピンクで昔は檸檬にピッタリだと思ったが、今はあまり似つかわしくない。

久しぶりに檸檬のお母さんに挨拶したかったが今日はあいにく不在らしい。駆け足で家に入っていった檸檬を、俺は言われた通りお洒落な白い門の前で待っていた。

「あっくん、お待たせ」

少し息を切らして戻ってきた檸檬は何も持っていなかった。おかしいなと思っていると彼は俺の左手をとり、その薬指にシンプルな指輪をはめた。

「……何これ」

「結婚指輪」

「……誰の?」

「あっくんのに決まってるやん。昔、約束したやろ? 大きくなったら結婚しよって」

「…………」

檸檬の言葉に俺は数秒間フリーズする。確かに約束はした。でもそれは檸檬が女の子だと思ってたからで、そもそもあんな昔の口約束を、この年になっても本気にしていると思わなかった。

「檸檬って、男が好きなん……?」

「んなわけないやん。あっくん以外の男とか無理やわ」

「そ、そっかー」

何かの冗談かと思ったが檸檬の顔は真剣だった。下手に茶化すと命はないのではないかとさえ思った。

「檸檬、気持ちは嬉しいけど……俺男やし、檸檬も男やし。結婚は無理というか、法律的に不可能かと……」

「そんなんさすがの俺でもわかってる。せやからこれは俺の気持ち。ずっとあっくんと一緒にいたいから」

俺を見る檸檬の瞳は綺麗で怖いくらい純粋だった。しかし檸檬がいくらいい男だからといって俺は男に恋愛感情は持てない。

「檸檬、俺もずっと檸檬に会いたかった。でも結婚の約束したんは檸檬を女やと思ってたからで…。俺は、自分より大きな男を嫁にする男気はないねん。ごめん、心の狭い男で」

「それやったら問題ない」

勇気を出して拒否した俺を檸檬は笑顔で一蹴する。

「俺があっくんをお嫁さんするから。一生生活に困らんように養ったるから、俺だけのもんになって」

「はい?」

茫然とする俺を檸檬は抱き締める。往来で何してくれてるんだと怒ることもできないくらいの衝撃的な告白だった。

「俺、あっくんのいう通り強なったよ。喧嘩は誰にも負けへんし、俺を馬鹿にするやつもおらん。せやから頑張った俺に、今すぐご褒美ちょうだい」

「……む、無理」

「は?」

「ちゃう! 無理ちゃうで!」

何が違うのかわからないが檸檬のドスのきいた声に俺は不用意な発言をあわてて撤回する。俺の言葉に檸檬はすぐさま笑顔になった。

「良かった。あっくんに嫌われたら、俺もう生きてかれへんし。約束通り戻ってきてくれて嬉しかった。もちろんずっと信じてたで。せやから指輪も用意しててん」

「そ、そうなんや。でもなんかサイズ、ちょい大きいみたいやねんけど」

「俺の指であわせて作ってもうたから……。大丈夫、働けるようなったら本物の指輪買うから。そんときはちゃんとサイズはかろ」

「……」

ちゅっとこめかみにキスしてくる檸檬に俺は白目をむいて倒れそうになる。指輪が滑り落ちそうになった俺の手をとって、檸檬が恭しく口づける。腰に回された檸檬の手に力がこもる。この地に帰ってきて、檸檬の前に姿を現した瞬間から、俺の運命は決定していた。


おしまい
2017/3/27

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