騒擾恋愛
005
沢木に穏やかな目で見つめられ、俺は思わず顔をそらしてしまう。そんな無条件で信じるみたいな顔をされて、俺はなんと答えればいいのか。
「いつも平気な顔して1人でいた千石に興味はあったけど、恋愛感情じゃなかった。だから千石が言わないなら、俺の方から頃合いを見て別れを切り出すつもりだったんだ」
「でも、沢木は……」
「ああ。結局俺は言えなかった。千石は、俺がどんなに酷いことをしても俺を嫌いにならなかったし、ずっとずっと俺を好きでいてくれた。千石と一緒にいるのは楽しくて、心地よくて。……だから俺はもう、自分で別れを切り出すことができなくなってたんだよ」
笑みをこぼす沢木の口は血が滲んで痛々しい。けれど俺のことを話してくれるその顔はとても優しげだった。
「初めて千石を家に入れた時だって、千石は俺とやるなんでできないだろうと確信してた。だからそれをきっかけに別れるつもりだったんだ。でも千石は断らなかった。そればかりか俺まですっかりその気になって……俺は止めなきゃいけなかったのに」
沢木の言葉に俺はあの日のことを思い出す。痛かったし、とても忘れられないぐらい衝撃的なことだったが後悔はしていない。……沢木は今も後悔しているのだろうか。
「百瀬のときだってそうだ。俺に束縛されて、どんなに理不尽なこと言われても俺と別れなかった。だから、俺はもう……」
「沢木」
泣きそうな顔をする沢木の肩を俺は思わず抱き寄せようとしていた。しかしそれは他ならぬ沢木の手によって止められる。
「俺は怖いんだ。千石との関係がバレるのが。今の生活がなくなってしまうのが。俺はお前と付き合っている限りずっと不安で、些細な理由でまたいつ別れたいって言うかわからない。最低だよ…… 千石は、何も悪いことなんかしてないのに」
沢木が俺を拒絶する。俺の胸に手を当てて、これ以上近づけないようにしている。これまでと同じ、沢木の気持ちがするすると離れていくのを感じた。
「……もう俺と関わらないでくれ、千石。俺はお前に相応しい男じゃない。お前は俺なんかを無条件で好きでいてくれてるのに、俺は周りの目ばっかり気にしている。俺はお前に好きになってもらえるような男じゃ……」
「馬っ鹿じゃねえの!」
沢木の言葉を遮り、距離をつくっていた手を払い除ける。俺は下らない理由にすっかり頭に血が上っていた。
「好きでいてくれるとか相応しくないとか、何ふざけたこと言ってんだよ! 怖いなんて当たり前じゃねえか。俺の方がお前なんかよりずっと性格ひん曲がってるっつーの! 俺が中学のとき、何人殴ったと思ってんだよ! いったい何人、傷つけて……」
本当はいつもこの手で沢木に触れるのが怖かった。血に染まった手で綺麗な沢木を汚してしまっているようで、俺の方から触れるのはとても躊躇われた。
「沢木は自分で思ってるよりずっと優しいし、強いよ。だって沢木は、俺を助けに来てくれたじゃねえか。自分がどうなるのかもわかんねぇのに、俺を助けるために頑張ってくれた」
沢木は自分を偽っていたというが、いくらごまかしたっていい人なふりだけで、あんなに周りから慕われるわけがない。沢木はただ、わかってないだけだ。
「…千石、違う。俺は……」
「沢木が自分を責めるなら言わせてもらうけどな、お前が悪人なら、相応しくないどころか俺とお似合いだっつの! 沢木の方こそ、俺のこと全然わかってねえんだよ」
「でも、俺はお前ほど強くない。ちょっとでも不安になったら、また……」
「だったら俺が引き留めてやる! 沢木が不安になって、別れようとしても、絶対俺が止める。俺の方から何度でも告白する」
驚く沢木の肩を抵抗できない程の強い力でぎゅっと抱き締める。沢木の気持ちが自分にあるとわかった時点で俺はもう彼を手放す気にはなれなかった。
「俺にどんな酷い言葉をぶつけたってかまわない。だから沢木、俺から離れないでくれ。お前が本当に好きなんだ」
沢木は少しばかり躊躇っていたようだったが、やがて恐る恐る俺の背中に手を添えた。ありがとう、と小さく呟く声が聞こえた気がした。
「俺も、千石が好きだよ」
「……。……でも?」
「でもは、なし。ずっとずっと、千石が好きだ」
感情が押さえきれなかった俺は二度と離さないとばかりに強く強く沢木を抱き締める。嬉しすぎてどうかしてしまいそうだと思っていたら、俺の異常を敏感に察した沢木が小首をかしげてきた。
「千石、どうした?」
「沢木が、ほんとに俺が好きだとは思わなかったから、嬉しくて」
その言葉に目をまん丸くした後、呆れたように肩を落とす沢木。馬鹿じゃないのかと俺を見る瞳が言っている。
「あのなぁ千石、俺は元々男になんか興味ないんだ」
「あ、ああ」
だから? というのが顔にでも出ていたのか、沢木が柔らかく笑った。
「好きでもない男と、1年以上も付き合うわけないだろ」
「……」
なんでわからないんだよ、と言外に責めているのかふてくされたように顔を背けられる。顔が思わず綻んでしまった俺は、世界で一番愛おしい男を再び自分の腕の中に閉じ込めた。
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