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騒擾恋愛
003



俺は3歩で水島との距離をつめ、奴の顔面めがけて拳を振りかざした。なんなく避けられてしまったがそんなのは計算済みだ。体勢さえ崩してしまえばこっちのものだと、続けて足払いを仕掛けようとした矢先、水島がぽつりと呟いた。

「いいの? 沢木サン、あんな無防備にしといて」

「は…?」

もしや沢木に何かあるのかと振り返った瞬間、腹に鋭い痛みが突き刺さる。しまった、と思った時には俺の身体はバランスを崩していた。

「ぐっ…」

ここで足元を崩されたら終わりだと痛みに耐え踏ん張っていたが、水島はそれほど甘くはなかった。間をあけることもなく隙のできた俺の顔面を殴り付ける。地面に突っ伏す寸前、水島は俺の片腕を引っ張りそのまま妙な方向に力をいれやがった。

「ぐあああっ!」

「千石!」

肩に鋭い痛みが走る。力の入らなくなった腕が身体と同様、地面の上に倒された。沢木の俺を呼ぶ声がずいぶん遠くに感じる。

「あっけないなぁ、千石さん。俺相手に気を散らすなんて、そんなに弱味丸出しじゃあ、もうトップなんてやれないや」

「……っ」

感覚のある方の腕をねじりあげ、俺の動きを封じる水島。うつ伏せにされた俺からは水島の表情が見えなかったが、嘲笑っているであろう奴の顔は容易に想像できた。

「てめぇ、水島、汚い手使いやがって……」

「何が? 沢木サンにも気をつけてやってねってのは、かなりまともなアドバイスのつもりだったんだけど。…おーい、日生くーん?」

「はいはい、ちゃんといますよ水島さん。ほんと人使い荒いっすよね……」

水島の呼び掛けに遠くから返事が返ってくる。声がした方を向くと背の高い男が表情を曇らせながらこっちに向かってきた。水島のコマ、1年の日生真二だ。

「沢木サンの呼び出しがなーんか胡散臭かったから、日生君に隠れて様子見てもらってたんだ。まあ結局、千石さんに割り込まれちゃったわけだけど」

「俺、隠れたままでいたかったっす。……帰っちゃだめですか?」

「だーめ。日生君、沢木サン捕まえといてよ。まだ歩けるっぽいし」

「……はーい」

「やめろ日生…ああっ!」

「千石!」

叫ぶと同時に水島の膝が背骨に食い込む。俺の髪を乱暴に掴むと耳元に唇を寄せてきた。

「弱い千石さんになんか興味ないはずなんだけどさ、俺、もうアンタに惚れちゃってるからカンケーないみたい。こうやってるだけでシアワセ」

「み、みずしま……っ」

耳たぶを噛まれ、頭を押さえていた手が喉仏に触れる。痛みと気持ち悪さでどうにかなりそうだ。

「水島さん、絶対後から千石さんにボコボコにされますよ。その辺でやめといた方がいいんじゃないっすかね」

「大丈夫、大丈夫。全裸の写真撮って脅すから」

「ええ!? …お、俺マジで抜けていいっすか……千石さんの敵になりたくないっす…」

「駄目だってばー、今からがいいとこなのに。お前はともかく沢木サンには見てもらわねぇと」

「……っ」

こんな屈辱的なことがあるものが。ここまでプライドをズタズタにされて黙っているなんて、昔の俺ならありえない。こんな奴には決して屈服しないし、どんな手を使ってでも復讐してやるのがいつもの俺だ。
でも、今はとてもじゃないがそんな怒りも恨みも持てなかった。自分が犯されることへの恐怖よりも、もっと恐ろしいものがあった。

「……俺には、何したっていい。だから…沢木には手を出さないでくれ……」

痛みに耐えながら息も絶え絶えに懇願する。沢木を助けるつもりだったのに、何もできず情けない姿を晒してしまった。昨日、今日と俺のせいで沢木に怪我をさせてしまったというのに。

「頼むから、沢木をあれ以上傷つけないでく…んっ」

俺の口が水島の手によって塞がれた。拘束する力が強くなり、空気が冷えていくのがわかる。

「……なんで? 千石さん。昔のあんたはそんなんじゃなかっただろ。元に戻ったはずなのに、なんでそんな馬鹿なこというの?」

怪我していない方の腕を引き、勢いをつけて俺を仰向けにする水島。もしかすると今が反撃のチャンスなのかもしれないが、水島の泣きそうな顔が見えて俺はすっかり戦意を失っていた。

「優しくしてくれたのがたまたまあの男だっただけで、もし他の奴だったとしても千石さんはそいつを好きになってた。要は誰でも良かったんだ。なのに、なんでそんな奴のためにそんなことが言えるんだよ」

仰向けになると奴の顔がよく見えるようになる。背中の圧迫感がなくなって、俺は自分でも驚くぐらい落ち着いていた。怪我をさせられたのは俺なのに、水島の方が痛そうだ。

「…確かに、お前の言う通りかもしれない。他の奴が話しかけてきていたら、俺はそいつのことを好きになってたのかもな。でも、あのとき俺に優しくしてくれたのは沢木なんだよ。……だから、俺には沢木だけだ。他の奴はいらない」

「……」

水島の瞳が揺れ、ほんとうに泣いてしまうのではないかと一瞬動揺する。水島は俺の胸にゆっくりと頭を下ろすと、深いため息をついた。


「あと1年待っててくれりゃあ、俺が迎えにいってやったのになぁ……」

哀しそうな笑みを浮かべた水島が、ゆっくりと俺から離れていく。身体から重みが消え水島が身体を起こしたのがわかった。

「日生、沢木サン放してやって」

「えっ、いいんすか?」

「もういーよ。なんか、馬鹿らしくなってきちゃった」

日生から解放されたらしい沢木が慌てて駆け寄ってくる。俺はなんとか自力で起き上がり、心配そうに俺を気遣う沢木の頬に手をあて、大丈夫だからと微笑んだ。

「……水島」

「ん? なに、千石さん」

「お前、なんでいきなり……」

いきなりの心境の変化に俺は訝しげに顔をしかめて奴を見上げる。はっきり言って胡散臭い。そんな俺の心の声が顔に出ていたのか、水島は苦笑しながら話した。

「別に、脅して別れさせてもいいんだけどね。でも千石さんは優しい男のが好きらしいから」

「は…?」

「じゃあまたね、千石さん」

水島はひらひらと手を振った後、いつにない穏やかな笑顔を溢す。そして俺達に背を向けると、唖然とする俺達を残して行ってしまった。


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