騒擾恋愛 006 沢木の腕を掴んだ俺は靴も履かずにとにかく走った。水島が追いかけてくる気配はなかったが、頭の中がパニックになっていた俺は足を止めなかった。 「千石!」 沢木に手を降り払われて、ようやく俺の足は止まる。沢木は息を切らしながら俺の足を指差した。 「もう、ここまでくれば、大丈夫だろうし、靴履けよ。……痛いだろ」 「あ……」 沢木に言われて俺は自分が靴下のみで全力疾走していたことに気づく。走っている間は痛くもなんともなかったが、今になって足の裏がズキズキしてきた。俺は沢木の言う通りおとなしく手に握りしめていた自分の靴を履いた。 「……悪い、千石。迷惑かけた」 沢木は一言謝り頭を下げると俺を見て何か言いたそうにしていたが、結局口を開くことなく俺を残して1人歩いていってしまう。無論俺は奴の腕を掴んで引きとめた。 「待てって沢木、どこ行くんだよ!」 「どこって、帰るに決まってるだろ」 「帰るって、お前なんで……」 「千石」 沢木は冷めた表情で俺をまっすぐ見つめる。突き放すような口調で名を呼ばれ、俺は思わず身構えた。 「俺は、これからもお前と関わるつもりはない。別れるって言葉は撤回しないし、友達として側にいる気もない。俺には二度と話しかけないでくれ」 「なん……」 なんで、どうしてそんなこと言うんだよ沢木。俺はお前が来てくれて嬉しかったのに、沢木は後悔しているような顔しか見せてくれない。どうあっても自分は沢木が好きなのだとやっと自覚できたところなのに、こんなのあんまりだ。 「じゃ、じゃあなんで来たんだよ! 俺なんか放っておけば良かっただろ!」 「……」 俺が叫んでも沢木は何も言い返してこなかった。そのまま俺を無視して歩いていってしまう。奴の冷たい態度に悲しみ以上に怒りがこみ上げてくる。 「くそっ、沢木の奴…っ」 怒りに任せて俺は今度こそ奴のアドレスを消してやろうとポケットに手を入れるも、そこには何もなかった。 「あ……携帯、あいつんちだ…」 水島の家に置きっぱなしになっている荷物もろもろを思いだし、がっくりと肩を落とす。しかし今さら取りに帰るわけにもいかず、俺は1人家路に就くしかなかった。 「いお君、おかえり〜」 家に帰れば今日はパートが休みらしい母親が俺を明るく出迎えた。しかし元より俺はそんなものに明るく返事を返したりはしない。 「いお君てば無視? ママにそんな冷たい態度取るなんて、昔の可愛いいお君はどこに行っちゃったのかしら」 「うるせぇババア、いちいち鬱陶しいんだよ」 イライラしていた俺は普段なら流す母親の言葉にも突っかかってしまう。そんな俺の態度に母親はわざとらしく泣き出した。 「どうして! どうしていお君はこんな冷たい子になっちゃったの? ママの育て方が悪かったの?」 「勝手に言ってろ」 「なによ! ちょっと嫌なことがあったからって、親にあたるなんてサイテーなんだからね!」 「別にあたってねぇ。だいたい元はといえば全部お前のせいじゃねえか。お前が俺の人格をめちゃめちゃにするから、俺はあんな最低野郎と……」 あんな催眠術さえかけられなければ、俺は沢木と関わることも、沢木を好きになることもなかった。この苦しさと怒りの原因の発端が母親にあると考えただけで腹が立つ。 しかしすっかり開き直っていたらしい母親は、俺の悪態なんて歯牙にもかけず、真面目な顔で言った。 「何を言ってるのよ、いお君たら。あんな催眠術で人格なんか変えられるわけがないじゃない。だいたいいお君には、ただ喧嘩は駄目って暗示をかけただけなんだから」 「…はぁ!? 嘘つけ!」 「嘘じゃないもん! だいたい中身を別人にするなんて難しいこと、どうやったらできるのよ!」 「……っ」 言われてみれば、確かに母親の言う通りだ。催眠術なんかで2年近くも本来の性格から正反対にすることなんかできないだろう。ならばなぜ、俺はあそこまで別人になってしまっていたのだ。 「自分では知らなかったんだろうけど、いお君は昔からとっても優しい子だったのよ。ママのことが大好きで、頭も全然悪くなくて。弱いものイジメなんか絶対しなかったし、アリを手でつぶしてたお友達を脅してでも止めてたんだから。可哀想だからって」 「いや、そんな記憶はまったく……」 「ちっちゃかったから覚えてないだけよ! 現にその馬鹿力と、ケンカ馬鹿なところさえなおしたら頭も良くなったじゃない! 前までのいお君だって、今のいお君と何も変わらない。自分がケンカが強いから偉そうな口調になって、態度も大きくなってるだけなんだから!」 わんわん泣き続ける母親を気にする余裕もなく、俺はショックを受けていた。今の今まで、俺がこんなにも沢木を好きになってしまったのは塗り替えられた人格のせいだと思っていたのだ。 「そんな……」 あんなにも冷たく突き放されて、俺はもう沢木を諦めるしかないのに。こんな事実知りたくなかった。沢木がいないと生きていけないと思ったあの時の俺は、間違いなく俺自身だったのだ。 [*前へ] [戻る] |