騒擾恋愛 004 俺のことが好きだとか、こんな状況、しかもこんな奴に言われたところで頭沸いてんのかとしか思えない。だがそれを口にすることはできなかった。水島があまりにも真剣な表情をしていたから、俺もつられて顔を強張らせてしまう。 「千石さんの中にはまだ沢木がいるのかもしれないけど、沢木の中には最初から千石さんはいねぇよ。あいつにとってはただの暇潰しでしかなかったんだから。ちょっかいかけてきたとしても、それはただの気まぐれ。本気にしても疲れるだけだ」 「……そんなこと、言われなくてもわかってんだよ」 「だったらさっさと諦めろよ。こんなことまでしてやってんのに、沢木沢木うるさいんだって」 「こんなこと?」 まさかこの状況が俺のためだとでもいうのだろうか。顔をしかめる俺を水島は冷めた表情で見下ろした。 「沢木は来ないってあんた言ったけど、ほんとはどっかで期待してんだろ。でもあいつは来ない。それが現実だよ。千石さん、全然なーんにもわかってないんだから」 「別に期待なんかしてない。あいつの気持ちは十分わかってる」 「じゃあ自分の気持ちは? それがわからないからうちに来たんだろ。だったら俺が否定してあげるよ。千石さんは沢木なんか好きじゃない。あんな最低な奴、好きになるわけがない」 「……」 その瞬間、俺は気づいてしまった。水島の言葉は俺の神経を逆撫でする。それはきっと、奴が沢木を馬鹿にするからだ。自分は沢木を心底恨んでいるはずなのに、他人に悪く言われるのは我慢できない。…これは俺が沢木を好きだというなによりの証拠になるのか。 「……沢木を好きじゃないって言うなら、なんとかしてくれよ水島。あいつを忘れさせてくれ。俺だって、あんな奴好きになりたくないんだ。男だし、何考えてるかわかんねぇし……」 話しているうちに目頭がだんだんと熱くなっていく。こんなことで泣きたくないのに、俺の目からは今にも涙がこぼれそうだった。 「千石さん」 水島の唇が俺の瞼に触れる。唖然とする俺を気にもとめずシャツのボタンをはずしてきた。 「お前…っ、何してんだよ!」 「だって、千石さんが沢木を忘れさせてくれなんて言うから」 「はあ?」 「千石さんが沢木と教室でやってたこと、今度は俺とすればいい。そしたら千石さんの頭ん中は俺でいっぱいになるだろ」 「ふ、ふざけんなっ! そういう意味で言ったんじゃねえ!」 奴から逃れるため必死で暴れるも水島に腕を押さえつけられる。普段なら即行でぶっ飛ばしてやるものを、こんな状態ではどうしたって奴に分があった。 「つーかまだ15分たってねえだろ! 約束守れよ!」 「あんな奴待つ必要ないよー。だって、どうせ来ないんだから」 「……っ」 俺だってほんとに来るなんて思っちゃいない。ただ時間を稼ぎたかっただけだ。 「ちょ、やめろって…! い――っ」 水島の舌が俺の首筋を這った瞬間、あまりの気持ち悪さに鳥肌がたった。奴の舌で濡れたところを今すぐに拭き取りたい。俺にこんなことをしたいと思う水島が異常者にしか見えなかった。 「……嘘だろ」 俺の首から口を離した水島は何やら小さく呟き悔しそうな表情で玄関の方を見る。つられた俺が顔を横に向けると、鍵をあけていたドアが勢いよく開いた。 「千石!」 「さ…っ」 必死な形相の部屋に飛び込んできた沢木に、俺は自分の目が信じられなかった。ひょっとして幻でも見ているのではないだろうか。 「千石! 大丈夫か!」 「さ、沢木…」 ひょっとして沢木は俺と別れたということを忘れているのではないだろうか。そんな気さえしてくるほど彼は必死だった。 「沢木先輩…あんた、空気読めないも程があるだろ……」 俺に覆い被さっていた水島が深く項垂れる。沢木は土足で部屋に上がり込み、そんな水島を睨み付けた。 「お前に言われたとおり、俺はここに来た。さっさと千石を離せ」 「はぁ……」 観念したように盛大なため息をつく水島。これでようやく解放されると安堵していた俺だが、事はそう簡単にはいかなかった。 「俺さぁ…、絶対に沢木サンは来ないとばっかり思ってたんだよねー…」 語尾を気だるく伸ばしながら妙な迫力のある視線を寄越される。一瞬、奴の目の中にどす黒いものが沈み込んでいるような気がした。 「あんたのために言うけど、さっさと帰った方がいいと思うよ」 「はぁ…? 約束しただろ、俺が来たら千石を解放するって」 「だからー、まさかほんとに来るとは思わなかったんだって。仕方ないじゃん。だいたい沢木サンもたいがい千石さんを拒否してたくせに、今さら何しに来たわけ」 「来ないわけにいかないだろ! あんな写真見せられて、あんなこと言われたら……」 水島は俺から視線をそらし、ぎろりと沢木を睨み付けた。のっそりと立ち上がり一歩ずつ沢木に近づいていく。 「へぇ、でもそれってただ人として見逃せなかったってことだよなぁ。……そんな偽善はいらねぇんだよ、沢木さん。さっさと帰れ、さもなきゃどうなってもしらねぇぞ」 奴のドスのきいた声に、俺ですらゾクリと肩が震える。その口調から奴が本気だということに気づいたからかもしれない。 「……らない」 「あ?」 「帰らない。千石と一緒じゃなきゃ、絶対に帰らない」 耳に届いた言葉が信じられなくて、俺は水島の向こう側に立つ男を呆然と見上げていた。沢木の手はここからでもわかるくらいに震えている。こんなことに慣れていない沢木が怖くないはずがないのだ。その虚勢を張った姿を見ていた水島は豪快に笑った。 「こりゃあいい! そんな細腕でいつまで持つか見物だ! 途中で気絶なんかしてくれるなよ!」 笑いが止まらないとばかりに肩を揺らしながら、水島は少しずつ沢木に近づいていく。 奴の後ろ姿を見て、今まで経験したことのない恐怖に戦慄が走った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |