騒擾恋愛 003 「お前、……一体どういうつもりなんだよ」 「んー?」 キレるとか怒るとか、そんな感情より前に水島の意図に気をとられてしまった。この状況から考えられるのは、昔喧嘩して負けた俺への報復、復讐、リベンジか。けれどそこに沢木を絡ませてくる意味がわからない。 「俺のこと、昔やられたことで恨んでんのかもしんねぇけど、だったらさっさと殴ればいいだろ。沢木を待つ意味がわかんねぇ」 「千石さん、ほんとに全っ然わかってないんだなぁ」 苦笑する水島に俺は歯を噛み締める。こいつに馬鹿にされると本当に腹立たしい。 沢木は悔しさを滲ませる俺を横目に、時計を見上げながら楽しそうに話し出した。 「俺、あんたに昔会ったって言っただろ」 「……ああ。なんにも覚えちゃいねぇけどな」 「秀って名前なら、聞き覚えあるんじゃない?」 「シュウ…?」 その名を俺の記憶から引っ張りだそうとするが、いくら考えてもピンとこない。 「…いや、知らないな」 「ぶはっ…、マジで?」 てっきり不機嫌になるものと思っていたが、水島のモチベーションをさらに上げてしまったようだった。奴は何がおかしいのかゲラゲラと笑い続けていた。 「千石さん…っ、あんたやっぱ大物だよ、あー…ウケる」 「何だよ、怖ぇな。結局そのシュウって誰なんだよ」 「え? ああ、ごめんごめん。シュウってのは俺の兄貴。本名は水島秀喜(ヒデキ)。秀才の秀に喜ぶって書いて秀喜ね」 「…兄貴?」 奴がなぜいきなり兄の話をするのかはわからないが、何にせよ水島秀喜などという名前は知らない。俺は人の名前を覚えられないからあまり断言はできないが。 「兄貴もてめぇみたいな不良なのか?」 「いや、兄貴は俺と違って県内有数の進学校に通ってる。名前の通り超秀才君だよ。親にもすげぇ期待されてて、俺とはマジで正反対。ま、それも昔の話だけど」 「は?」 誓ってもいいが、そんなガリ勉君に知り合いはいないし、不良じゃない野郎と喧嘩した覚えもない。最後に意味深なことを呟いた水島は俺に背を向け、一人言でも言うみたいに話し出した。 「俺の兄貴、家と学校じゃ猫かぶってイイコちゃんやってて、でも夜は街で喧嘩ばっかしてるような奴だったんだよ。そんときの名前がシュウ。それを親にバレないようにやってたんだからすげぇ話だけどさぁ」 「なんだ、やっぱり不良だったんじゃねえか。そのシュウさんとやらがいったい何なんだよ。まさかそいつも俺がボコったっていうんじゃないだろうな」 俺の言葉に水島はまたしても笑う。兄のことを話す水島には暗い影が落ちていた。 「その通りだよ、千石さん。あんたは俺の兄貴を一瞬で叩き潰した。強くてカッコいい自慢の兄貴だったんだけどなー」 「へぇ。ならこれはその復讐か」 馬鹿馬鹿しいとばかりに吐き捨てる俺に水島は微妙な顔をした。ベッドに横たえられた俺を見下ろしながら淡々と話を続ける。 「俺さぁ、兄貴のサンドバッグだったんだよねぇ」 「…は?」 「だから、サンドバッグ。あいつ、ストレスたまるとすーぐ俺殴って解消すんの。んのせいで毎日怪我してたんだけど、俺こんな見た目だったし素行も良くなかったから、親は俺が勝手に喧嘩してたんだって思ってた。秀喜にやられてたなんて一ミリも思わなかったろうなぁ。あんときは死ぬほどつらかったんだけどさー」 「……は、反応に困るようなこと言うな」 俺が顔をひきつらせながらそう言うと白々しいくらいの笑顔を見せる水島。暗い話にも関わらず奴の口調や態度はいつも通り明るい。 「まぁ俺も兄貴に殴られてうたれ強くなったわけだし、今の俺があるのも兄貴のおかげかなー、なんて思ったりもするんだよ。あのとき俺は兄貴に勝てる奴がいるとは思ってなかった」 「俺は、お前の兄貴どころかお前のことだって知らない」 「そりゃ、一回しか会ったことねぇもん。兄貴の方から千石さんに喧嘩売ったんだよ。結局負けて、俺もとばっちりで殴られて病院送り。しかもその一件で親に兄貴のしてきたことがバレて、兄貴は更生施設に入れられたってわけ。あいつ、今も出てこれてないんだよね」 「お前は入れられなかったのか?」 「俺は兄貴に巻き込まれただけってことにできたから。父親も母親も手のひら返したように謝ってきたよ。今さら嬉しくもなんともなかったけど、これで兄貴に殴られることがなくなったんだと思ったらほっとした」 俺なんかにこんな告白をして水島はどういうつもりなのだろうか。だいたい、どうしてこんな話になってるんだ。 「だからさぁ、俺の千石さんへの気持ちって、すげぇ曖昧なんだよね。まず兄貴のこと自分がどう思ってたかもわからないんだから、千石さんのことも当然わからなかったよ。千石さんは兄貴の敵で、でも俺を救ってくれたヒーローでもあって。俺、千石さんに近づくために死ぬほど勉強してあの学校に入ったんだ。それまで直接会うのは我慢してた。あんたに会ったら、俺はどう感じるだろうって。憎しみか憧れか、どちらにせよあんたからは離れてやらないつもりだった。でもさぁ」 俺の身体をいとおしそうに撫でていた水島が顔をしかめる。今までで一番つらそうな表情だった。 「千石さんはすっかり毒気が抜けて別人みたいになってるし、ようやく立ち直って話つけてやろうとしたらあんな男に犯されてるし。――気が狂うかと思ったよ」 「てめぇ……見てたんなら止めろ。つか撮った写真消せ」 「撮ってないよ。ほんとは写真なんか撮ってない。そんな余裕、なかったもん」 「は?」 自嘲的な笑みを口元に浮かべ、水島が俺から手を放す。奴は自分を卑下しているみたいだったが、写真云々が嘘ならそんなほら話に踊らされて慌てていた俺と沢木の方がよっぽど滑稽だ。 「気が狂いそうだったって言っただろ。頭ん中真っ白になって、一歩も動けなかった。自分の千石さんへの感情がますますわからなくなって、かなり悩んだよ。でも、やっと答えが出せそうだ」 「……?」 呆ける俺の目の前で水島は真剣な顔つきになる。奴のそのまっすぐな眼差しに俺はすっかり中てられてしまった。 「好きだよ、千石さん。あんたの中から沢木を追い出して、俺以外の人間が入る隙間をなくしてやりたい。だからこそ、俺はこの賭けをしてるんだ」 [*前へ][次へ#] [戻る] |