騒擾恋愛
理由のない恋
沢木との一件以来、俺は徹底的に塞ぎ込んでいた。
よもや自分が沢木を殴れないなんて、未だに未練があるなんて思いもしなかった。あれは洗脳前の俺が勝手にやった過ちのはずだ。
今の俺が男に、あんな最低な男に入れ込むわけがないのだから。
「千石さーん、最近ちょーっと変じゃない?」
「……」
水島に無理やり連れてこられた屋上で待っていたのは、日生を含む1年の不良連中だった。最近何をする気もおきなくて屋上には顔を出していなかったのだが、俺の取り巻きと成り下がっていた奴らにはそれが我慢ならなかったらしい。
「ずーっと落ち込んじゃってさ。何かあったわけ? いや絶対あったよね。ごまかしても無駄なんだから、さっさと吐いちまえよ」
「別に何も……」
「あったよな? なー?」
水島の凍るような目が俺を射抜く。軽い口調だったが、そこには脅すような響きもある。親しくなってからは意外といい後輩だった水島だが、やはりどこかいつも俺より優位に立っているような気がする。
「相談してよ、千石さん。俺ならすぐに解決してやれるからさ」
「そうっすよ千石さん!」
「もっと俺達を頼ってください!」
水島の笑顔に周りの1年も必死に頷く。沢木に未練があるなんて馬鹿な話、この中の誰かにどころか世界中の誰にも話せないのだが。
「まあ、待てよお前ら。あの千石さんがこんなに悩むなんて相当深刻なことに決まってる。こんな大人数の前でおいそれと話せるかっての」
珍しく正論を振りかざす水島に男達は渋々大人しくなる。どうした、今日のこいつはいつになく控えめだ。もしかして本当に俺のことを心配している…のか?
「もし俺でよければ、代表して千石さんの話聞くよ。どうする?」
「……」
一旦は絶対相談なんかするもんかと思っていた俺だが、よくよく考えると水島は結構頼りになるんじゃないだろうか。こいつは沢木と俺を引き離したいのだから、俺が沢木を忘れられない最もらしい理由を言ってくれるはずだ。例えそれが真実でなくとも、俺はそれにすがるだけだ。
「わかった。…頼む」
俺が頷くと水島はすごく嬉しそうなだらしない顔をした。
「じゃあ千石さん、今日うちに来なよ」
「お前の家?」
「そ。俺、一人暮らしだし。気がねなく話せるよー」
「……」
少し迷ったが、断る理由もなかったので俺はその提案を受け入れた。精神的に追い込まれていた俺としては、もはや藁にもすがる思いだった。
その日の放課後、俺はさっそく水島が住んでいるアパートに訪れていた。学校からの道のりは電車を乗り継いで15分ほど。奴とは近隣中学だっただけに俺の家からは比較的近かった。
「どーぞ、千石さん」
水島に促され、俺は六畳程の居間で胡座をかく。部屋は意外と綺麗に片付いており、奴に対するだらしのないイメージが変わった。
「お茶でいい? 俺、酒とかジュースとかあんま飲まないから置いてないんだよね。千石さんが来るって知ってたら買っといたんだけど」
「ああ、別になんでもいい」
俺を客人として、きちんともてなしてくれようとする水島に思わず驚かされる。逆に何かたくらんでるんじゃないかと疑ってしまうぐらいだ。
「で、アイツがどうしたわけ?」
「え」
「千石さんの悩みっていったら、あの男のことしかないじゃん。あいつに何か言われた?」
「……」
俺は水島から手渡されたお茶を口に含み舌を湿らす。どうやら水島には見抜かれていたようだ。開き直った俺は少しずつ沢木とのことを話し出した。あの男に手をあげられなかったことが、俺がまだ奴に未練がある証拠なのではないかと。自分が洗脳のようなことをされていた過去までついつい奴に話してしまっていた。
「俺はもう、あのときの俺とは違うはずなのに。どうしてまだ奴に逆らえないのかわからない。もしかしたら、俺はまだ…」
「沢木瞬が好きなんじゃないかって? それはちょっと短絡的すぎるよ千石さん。俺はそうは思わないな」
「そ、そうか……」
水島の言葉にほっと息をつく。それこそ俺が求めていた答えだ。自分で言い訳するよりもずっと説得力がある。
「千石さんはさぁ、沢木が忘れられないんじゃない。単に男が忘れられないだけだよ」
「………は?」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。けれど水島のにやけ顔が鼻について、どうしようもなく腹が立ったことだけは確かだった。
「ずっとあの男に抱かれてた千石さんは、その刺激がいきなりなくなったもんだから物足りなくなった。それが答え」
「……っふざけんな!!」
こんなにも酷くコケにされたのは生まれて初めてだ。怒りのあまり身体は震え、今にも理性が飛び奴に掴みかかりそうだった。
「なんで? なんでそんなに怒っちゃうの? だってもしそうだったとしても、全然おかしい話じゃないだろ?」
「このクソ野郎! 人を馬鹿にすんのも大概に…っ」
殴ってやる。絶対に殴ってやる、と俺が立ち上がったその途端、立ちくらみのような目眩に襲われる。よろけて再び膝をついたときには、俺はすでに自分の身体の異常を察していた。
「水島、てめぇ…っ、何しやが…った……」
意識が朦朧として、もはや起き上がっていることすら難しい。お茶の入ったグラスを目の端にとらえた瞬間、この異常の原因に気づいた。あのクソ野郎、飲み物に何混ぜやがったんだ。
必死の抵抗も虚しく、俺の意識は深く暗い底まで引きずり下ろされてしまった。
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