騒擾恋愛
005
それは校内清掃強化週間、最終日のことだった。
俺は前回と同じように百瀬、小松、日生の3人と校舎の中を掃除してまわっていた。けれどようやく清掃が終了し委員会が解散した後、俺は百瀬に呼び止められた。
「千石くん、ちょっと話がしたいんだけど…いい?」
「? ああ」
いったい何の話なのだろうと考えていると、小松が気を使ったのか「私達はもう帰るね」といって日生をずるずると引きずり先に行ってしまった。残された俺が百瀬を見ると、彼女は俯き自分の手をぎゅっと握りしめていた。
「百瀬、話って?」
「……。…本当はね、言わないでいようと思ったんだけど…」
「なんだよ、もったいぶるなって」
この一週間で彼女とずいぶん普通に話せるようになった俺は、言いよどむ百瀬に笑顔で続きを促す。なぜか百瀬は泣きそうな顔をして俺を見上げ、語気を強めて言った。
「……私、千石くんが好きなの」
「え…」
突然のことに言葉を失う俺を、百瀬は真っ直ぐ見上げてくる。しばらくの沈黙の後、百瀬は恥ずかしそうにまた俯いてしまった。
「だから、良かったら…付き合って欲しい、と思って」
「え、ほ、本当に?」
頷く百瀬を見ても簡単には信じられす、俺はただただ唖然としていた。百瀬みたいな可愛くて誰にでも好かれそうな女の子が、こんなまともに友達もいないような男を好きになってくれるなんて。
俺が喧嘩ばっかりしてたときは危ない男が好き、みたいな女がよく寄ってきてたが、百瀬はどう見てもそんなタイプじゃない。それに今の俺はもう喧嘩もできない、取り柄なんて何一つないつまらない男だ。こんな、俺とは正反対の場所にいる女の子が、俺に好意を持ってくれるなんて…どうしよう、すごく嬉しい。俺だって百瀬は好きだ。彼女のおかげで小松や日生とも話すことができた。友達を作りたいという俺のためにしてくれたことだということはとっくにわかっている。本当に感謝してもしきれない。
彼女は噂だけじゃない、本当の俺を見てくれた。百瀬実香は俺にはもったいないぐらいの良い子だ。だからこそ俺は、彼女の気持ちに真剣に応えなければならない。
「――百瀬、ごめん。俺…付き合ってる人がいる」
「……」
俯く百瀬の表情は俺からは見えなかった。百瀬を悲しませるようなことは言いたくないが、かといって告白を受け入れることも俺にはできない。
「俺、そいつのことが好きなんだ。これからも、何があっても、ずっと。だから、百瀬とは…」
言葉が続かない。迷いはないが、これでもう百瀬と元の関係には戻れないと思うと悲しかった。百瀬の反応が気になったが、顔を上げた彼女の表情は暗いものではなかった。
「…そっか、わかった。付き合ってる人がいるなら仕方ないよね」
あっさりとした口調だったが、目を見れば無理して笑っているのがすぐにわかった。こういう時には何と声をかければいいのだろうか。何を言えば、彼女の悲しみを減らすことができるのだろう。
「でも、百瀬の気持ちは本当に嬉しい。まさか俺を好きになってくれるなんて、思わなかったから」
「…私は、もしかしたら千石くん気づいてるかなって思ってた。自分なりにアピールしてたつもりだったから」
「アピール?」
「…結構あざといことも、言ったりしてたんだけど」
アピールもあざといことにも身に覚えがなかったが、百瀬には何度かドキドキさせられるようなことを言われた気がする。あれは百瀬の天然のなせる技だと思っていたが、誰にでも言っているわけじゃなかったのか。
「――ごめんね、千石くん」
「え?」
「千石くんの友達になれなくて、ごめん…」
「……」
「やっぱり、言わなきゃ良かった…」
泣きそうな顔で何を謝っているのかと思えば、こんなときにまで百瀬は俺を気づかってくれている。百瀬はきっと、友達が欲しいという俺の望みを叶えてくれるつもりだったのだろう。確かに百瀬との友人関係が壊れてしまったことは悲しいが、俺は自分が彼女の特別になれたことを誇りに思った。
「いいよ、百瀬。百瀬が俺のこと好きだって言ってくれて、俺はもう十分幸せだから。…ありがとう」
俺の言葉を聞き、なぜか呆けたような表情を見せる百瀬。けれどやがて何かを決心したように口を開いた。
「私、千石くんのことは1年の時から気になってたの。最初は怖かったけど、千石くん誰とも喧嘩なんかしなかったし、学校にも毎日来ててすごく真面目に見えた。掃除とか勉強とか誰よりもちゃんとやってて、そういうとこが好きだった」
「…あ、ありがと」
掃除を誰よりもきちんとやっていたのはただ単に話す友達がいなかったからなのだが、ちゃんと見ていてくれた子がいたのは嬉しい。
「千石くんのことは恋愛感情で好きだったけど、1人の人としても好きだった。それは今も変わらない」
突然、百瀬にブレザーをぐっと掴まれ俺は身を固くさせる。彼女は一心に俺を見上げ、必死にすがりついてきた。
「私、友達として千石くんの側にいちゃ駄目? もう絶対、好きだなんて言って千石くんを困らせたりしないから。せっかくこうやって話せるようになったのに、明日から他人だなんて絶対に嫌なの…!」
「百瀬…」
ならばこれからも何事もなかったように友達として接すればいいと思うのだが、俺の許可をもらわなければ友達に戻れない百瀬はやはり真面目だ。だが彼女のそういう不器用さが俺は好きだった。俺だって、明日から百瀬と話せなくなるなんてつらいが、友達が欲しいという理由だけで一度振った相手と仲良くするのは間違っている。
「百瀬が俺を気づかってくれるのは嬉しい。でも俺はやっぱり百瀬とは…」
「もし! もし、私がつらいんじゃないかとか、利用してるみたいで嫌だとかって理由なら、私はそんなの気にしないから! むしろ、千石くんと話せなくなる方が、ずっとずっと嫌だから……」
百瀬の言葉は自分勝手を装いながら、その実、すべて俺のことを考えてのものだと思った。何も未練がましく俺に付きまとおうとしているのではない。見込みのない相手の側にいることなどつらいだけだ。百瀬は俺が好きで、俺の幸せを望んでいてくれている。俺を1人にしたくないという彼女の気持ちが伝わってきて、俺はたまらなくなった。
「だったら、今の告白はなかったことにする。それでもいいっていうなら――」
「いい。私のことは、いいの」
百瀬がどんな想いで俺に告白してきたのか、沢木とのことがある俺にはよくわかっていた。それをなかったことにするなんて、自分でも酷いと思う。でもそうでもしなければ俺は百瀬と普通には付き合ってはいけない。
「ありがとう、千石くん」
最低のことをした俺に対して、心の底からほっとしたような穏やかな笑みを見せる百瀬。結局、俺は彼女を拒否することができなかった。百瀬のためとか、そんな殊勝な理由じゃない。百瀬の気持ちがたまらなく嬉しくて、俺はもう彼女を離せなくなってしまったのだ。
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