騒擾恋愛
002
皆が下校する中、俺は予定通り1人教室に残っていた。今日は校舎内ではなく自分の教室を掃除することになっており、さっさと終わらせて沢木の家へ行こうとしていた俺は、やや急ぎ気味に机を移動させていた。
教師の見回りが来る前にテキトーにやって終わらせよう。そんな不真面目なことを考えていると、突然後ろから声をかけられた。
「…あの、千石くん」
「えっ」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには1年、そして2年と同じクラスになった百瀬実香が立っていた。
実のところ百瀬はもう1人の美化委員だったが、俺と2人で掃除するなんて怖くてできないだろうと、来ないものとしてとっくに割り切っていた。だから息を切らしながら現れた百瀬に本気で驚いた。
「遅くなってごめんね! 部活の先輩に、美化委員で遅れること伝え忘れてて…」
「…いや、だ、大丈夫」
「ほんとにごめんねっ、すぐに掃除するから。机、後ろに下げたらいい?」
「うん」
頷く俺をちらっと見た後、百瀬は近場にあった机を持ち上げ始める。百瀬があまり俺にビビっていないようなのが意外だった。やはり1年以上同じクラスで顔を突き合わせていると慣れがくるものなのだろうか。
小柄な百瀬は1つの机を運ぶのにも一苦労で、小さい足取りでよたよたと机を移動させている。どいつもこいつも教科書を机にぎっしり残したままで、とても重そうだ。
「百瀬」
「え?」
百瀬が持ち上げていた机を俺は半ば無理やり奪い取る。瞳をまん丸くさせて見上げてくる百瀬に一瞬ドキッとさせられて、俺はその視線から逃げるように机を運んだ。
「机は俺が全部運ぶから、百瀬は床を箒で掃いといてくれ」
「あっ、うん。ありがとう」
その後は百瀬との会話はなく、2人で黙々と掃除を続けた。そのせいか掃除は予定より早く終わり、教師が見回りにくる頃には俺達は帰ることができた。早く沢木のところへ行けて内心喜んでいた俺に、帰りぎわ百瀬が『じゃあね』といって頭を下げてくれたのが嬉しかった。
「お疲れ様、千石。掃除どうだった?」
放課後すぐに沢木の家へ直行すると、彼がお菓子を用意してくれていた。沢木が淹れてくれた紅茶を飲みながら俺は慣れ親しんだリビングで机に突っ伏していた。
「…だるかった。これが一週間も続くとか無理…」
ソファーに座ってだらける俺の頭を沢木がよしよしとなでる。それがあまりに心地良くて俺は眠ってしまいそうになった。
「なあ、千石」
「んー…?」
「今週の土曜日、暇?」
「土曜…」
ぼやけた頭で俺は記憶の糸をたどった。普段なら予定のない暇人の俺だが土曜日は何かがあった気がする。
「…ああ、そうだ。その日は確か母さんがあけとけって」
「わあ、おばさんに先越された」
沢木が残念そうな、それでいて微笑ましそうな声でそんなことを言う。気になった俺は重たい顔を持ち上げた。
「なんで? その日何かあんの?」
「何かって、千石の誕生日じゃん」
「えっ!」
沢木の衝撃的な言葉に俺は一気に目が覚めた。こちらを見て微笑む沢木を信じられないような気持ちで見つめる。
「すっっかり忘れてた…!」
自分でも信じられないが本当に忘れていた。沢木は俺のショックを受けた顔を見て目尻を緩ませる。
「面白いな千石、誕生日忘れることなんてあるわけ?」
「いやだって、俺あんまり祝われたことなかったし…」
俺が荒れ出した中学のころから、俺の誕生日は存在しないものとなった。確か去年の今頃はもう改心していたはずだが…誕生日ちゃんとやったっけ? もしかして母さん、素で忘れてた?
「ていうか沢木はなんで誕生日知ってんの? 俺おしえてないよな」
「ずっと前にこっそりおばさんに聞いた」
「……そのとき、母さんすぐに答えられてた?」
「……」
うわっ、沢木が困った顔してる。やっぱり忘れられてたのか俺の誕生日。俺が悪いとはいえ地味にショックだ。
「じゃあ今日のうちに、千石にプレゼントあげるな。学校じゃわたしづらいし」
「へ?」
俺が反応するより早く沢木が立ち上がり棚から小さな袋を取り出し俺に差し出す。開けてみて、という沢木に俺は驚きつつ従った。
「お誕生日おめでとう、千石」
「沢木、これって…」
袋から出てきたのは、最近女子が、稀に男子もつけているのをよく見るキャラものの可愛らしいキーホルダーだった。
「ストラップだから、携帯につけるんだよ」
「ええっ!?」
沢木の拒否権のなさそうな言葉に俺は動揺する。もこもこしたキャラがたいへん愛くるしい顔をして俺を見ているが、間違いなく俺に似合わないものベスト3に入るだろう。沢木からプレゼントならばなんでも嬉しいが、彼が何を思って俺にこれをあげようと思ったのか理解に苦しむ。
「これ俺がつけてたら周りが引くだろ…」
「そんなことないって。むしろ可愛いとこがあるんだって、みんな千石にとっつきやすくなると思う」
「そ、そうなのかな」
「そうだよ。だからこそ俺は千石にこれをプレゼントしたんだから」
「…!」
もちろんつけてくれるよな? という沢木の問いに俺は喜んで頷き、さっそく携帯に取り付けた。沢木が俺が周りに溶け込めるようにとしてくれた配慮に俺は感動しきりだった。
「沢木、せっかく誕生日誘ってくれたのにごめんな」
「いいよ、おばさんと楽しんどいで。きっと今までの分まで盛大に祝ってくれるんじゃないかな」
「うん!」
本当に正直な本音を言えば、誕生日は母さんよりも沢木と過ごしたかった。けれど沢木と同じぐらい母さんも大事だし今更行けないなんて言えない。それに沢木にはもうこうして祝ってもらえたのだから十分だ。
「ありがとう、沢木…」
このときの俺は、これから起こることなど知らずにのんきに幸せを噛みしめていた。自分と沢木の関係があんなにあっけなく崩れるなど、夢にも思わなかったのだ。
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