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騒擾恋愛
002


ところが教室のドアを開けたのは望月ではなく、俺と同じクラスの女子だった。彼女の名前は百瀬実香。話したこともないのに俺が名前を知っているのは、単に彼女が俺の好みのタイプだったからに他ならない。俺は沢木一筋ではあるが、性癖はいたってノーマルだ。可愛い子にはつい目がいってしまう。端から見ている印象では、百瀬の性格はいたって大人しく、俺がひそかに女版沢木だと思っている子だった。

百瀬は俺がいることに物凄く驚いたようだったが、一瞬目を見はっただけですぐに無表情に戻り自分の席へ一直線に向かっていく。俺とは目をあわせないようぬ俯きがちに歩いていた彼女は、自分の机に手を突っ込みそこから数学の教科書を取り出していた。もしかして、明日の小テストの勉強をするのだろうか。中間テストが終わったのに教科書を持って帰る奴なんていない、という沢木の言葉を思い出し、勝手ながら彼女に親近感がわいた。

「あっ」

百瀬は教科書を鞄に入れてすぐさま立ち去ろうとしたが、焦るあまり鞄の中身を床にこぼしてしまった。小さく声をあげ慌てて拾い集める彼女を見て、俺は動くかどうか一瞬迷った。俺に手伝われてもきっと怖いだけだろうし、手をかさない方がいいんじゃないだろうか。けれど俺のすぐ足下に薄いピンクの携帯が転がっていたので、それだけは拾うことにした。

「あの…」

「ごめん! すぐに片付けるから!」

「いや、そうじゃなくて」

俺が携帯を差し出すと彼女はきょとんとした表情で俺の顔を見上げた。ゆっくりと携帯を手に取り再び俺を見上げる。

「…ありがとう」

「いや、別に」

百瀬は小さく頭を下げると荷物を抱えて駆け足で教室を飛び出していった。残された俺は、怖がらせてしまっただろうかと手伝ったことを少しだけ後悔した。





それからしばらくして、沢木が教室に戻ってきた。俺は笑顔で出迎えたが、沢木の表情はいつになく険しい。何かあったのだろうか。

「ご主人様、どうかした?」

「……気持ち悪い」

口元を押さえ顔をしかめる沢木に俺は慌てて駆け寄る。てっきり体調が悪いものだとばかり思い沢木の身体を支えるが、沢木はそれをやんわりはねのけた。

「……藤城さんにキスされた」

「えっ!?」

「最悪だ」

いったい何がどうなってそんなことになったのか。本気で気分が悪そうな沢木はごしごしと口を拭きながら、俺のすぐ横まで歩き、壁によりかかった。

「な、何で? 何で藤城さんと?」

「そんなのこっちが訊きたいよ。いきなり好きだって言われて、避ける間もなくされた。ほんと、意味がわからない」

「……」

俺は藤城の行動力の強さにとにかく驚いていたが、沢木が珍しく本気でイラついているようだったので、どう言葉をかければよいか悩んだ。藤城が何を考えているのかまったく理解できないが、人の恋人に手を出すなんて万死に……いや、恋人でもない男にキスするなんて、彼女には常識がなさすぎる。俺ですら自分からキスできないでいるのに、どこぞの女に沢木が触られたなんて考えるのも嫌だ。……なんか、だんだん腹がたってきたぞ。
俺はまだ唇を指で押さえている沢木を見て、腕を掴み自分の方へ引き寄せた。

「沢木」

「え?」

目を瞬かせる沢木に近づき、顎にそっと触れる。そして素早く沢木の唇に自分の唇を重ね合わせた。嫌がられるかと思ったが、最初こそ驚いていたものの沢木はすぐに抵抗もせず俺を受け入れ、手を肩にのせた。沢木に触れられた場所から強張っていく俺の身体は、もう自分の意思では止められなくなっていた。すると沢木はぎゅっと俺の頬をつまみ、にこっと笑った。

「いっ…」

「“沢木”じゃないだろ、千石」

痛みに思わず唇を放すと、沢木は楽しそうに俺の頬をさらにきつくつねってきた。学校でこんなことをするなんててっきり怒られるかと思っていたが、沢木の機嫌は意外にも良くなっていた。調子にのった俺はちょっと勇気を出してお願いをしてみた。

「…沢木って呼んじゃ駄目か?」

「……」

「今だけでもいいから、頼む」

返事は帰ってこなかった。沢木は黙ったまま俺の頬に左手を這わせ、右手を後頭部にまわす。いきなりのことに何もできないまま俺は沢木にキスされた。もちろん俺がそれに応えないはずもなく、俺より少し背の低い沢木の首を支え、口づけをさらに深くした。ここが学校だなんてすっかり忘れていた。そして、いつ誰に見られてもおかしくない場所であるということも。




「沢木…?」

突然、背後から聞こえた声に俺と沢木は同時にお互いから離れる。振り返るとそこには呆然とした表情の望月が俺たちを凝視していた。


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