騒擾恋愛
006
とりあえず笑顔を取り繕う俺に沢木も柔らかい笑みを返す。けれど俺はそれ以上沢木の目を見つめていることはできなかった。
「なんだよ千石、ずっと黙ってるから引かれたかと思っただろ」
「…引かれた?」
「俺、かなり大雑把でいい加減な奴だからさ」
まだ乾ききっていない鞄の中に制服を入れながら沢木は笑う。先ほどのことが尾を引いていた俺は沢木の自虐にすぐには反応できなかった。
「委員長なんかしてるせいか、なんかしっかりしてるイメージあるみたいで、どうにも困るよ」
「そう、なのか。…でも沢木、ノートは綺麗にまとめてるよな」
「ええっ、何で知ってんの? そう、ノートは望月によく貸してって言われるからさ。テキトーに書いたヤツ貸すわけにはいかないだろ。だからすげぇ気合い入れてノートとってる」
「ほんとに?」
友達に貸すために、なんて俺には絶対真似できない。それを当然のことのようにする沢木は単純にすごいと思う。今までほとんど接点がなかったから、あくまで端から見て感じていたことだが、沢木はとても友達思いな男だ。今日だって押川の代わりにためらいもなく掃除を引き受け、俺のせいではあるが制服と鞄をぬらす羽目になったのだ。お人好しすぎて損するタイプというやつなのか。
「……」
「千石?」
あまりに見つめすぎたせいか沢木が怪訝そうに首を傾ける。俺はまだ、沢木のことをほとんど知らない。たった少しの情報で沢木の人となりを決めしまうのは、あまりに早合点というものだ。さっきの手紙にしたって、事実を確認したわけじゃない。俺の勘違いという可能性もある。というか、勘違いである可能性の方が高いくらいだろう。沢木が女子からもらった手紙を、あんな風に捨てるなんて考えにくい。否、そんなことは有り得ないと断言できるぐらい、俺はもっと沢木と親しくなりたいとすら思っている。
「なあ、沢木」
「なに?」
「沢木は、なんで俺のこと怖くねえの? 俺のよくない噂だって知ってんだろ」
俺とこんな風に親しくしてくれる奴なんて今までいなかった。それも無理のないことだと思う。血生臭い噂の絶えないこんな暴力男、もし俺が普通の高校生なら絶対関わりたくない。
「ほんというと、最初は怖かったんだ」
「えっ」
「だって千石、見るからに不良! って感じなんだもん。嫌な意味じゃなくてさ、うーん…そうだな、動物で例えると、虎とかライオンみたいな。背高いし身体ゴツいし。なんか周り威嚇してたし」
俺、威嚇なんかしてな…いや、そう見えても仕方ないか。自分が強面なのは自覚済みだ。一応髪の毛も黒染めしてピアスもはずして、不良っぽい外見は捨てたつもりだったんだけどな。
「でも千石、授業ちゃんと受けてるし、掃除もサボらないし、根が真面目なんだろうなってわかったら全然こわくなくなったよ。むしろ千石って、すげえ優しいよな」
「はあ!? 優しいのは沢木だろ!」
「俺? なんで?」
わけがわからないという風に首を傾げる沢木に、俺は下に目線をずらしながらぼそぼそと呟いた。
「だって、俺に挨拶してくれたし、消しゴムかしてくれたし…」
「なんだよそれ! そんなの普通のことじゃんか!」
けらけらと笑う沢木にの肩をど突かれ、俺のゴツい身体が大きく揺れる。今のはひょっとして照れ隠しなのだろうか。
「…全然普通じゃないよ。俺、学校のみんなに嫌われてるの、わかってるし。中学のときしてたこと考えたら、避けられるのも無理ないと思ってる」
ネガティブな発言をする俺を見て、沢木は何を思ったのかよしよしと子供もあやすように頭をなでてきた。これは…俺を慰めてくれているんだろうか。どうやら自分が思うよりもずっと精神的にまいっていたらしい俺は、たったそれだけのことで沢木に泣きついてしまいそうになった。
「…沢木は俺のこと、嫌いじゃない?」
自分でも何を言っているんだと思ったが、こうでもしないと不安に押しつぶされてしまいそうだった。もちろん、沢木の答えなんてわかっての問い掛けだったが。
「俺が千石を好きかって?」
「う、うん」
毛染めのしすぎて痛んだ俺の髪をなでていた沢木の手が、そのまま顎の部分まで下りてくる。その妙な触り方がこそばゆくて思わず身をすくめた。
「好きだよ」
「……!」
答えはわかっていたはずなのに、実際言われると本当に嬉しい。だが沢木の言葉には続きがあった。
「千石が俺を好きなら、ね」
「…俺が、沢木を」
「うん。千石、俺のこと好き?」
まさかそんな質問をされると思っていなかったが、答えなら決まっている。けれど口にするのはあまりに気恥ずかしくて言葉が出てこない。男相手に好きだと言うだけなのに、長年の片思い相手に告白するようなこの緊張感は何だ。人付き合いと無縁の生活が長すぎたせいか、何も考えられなくなるほど動揺していた俺は、沢木の楽しそうな笑みにも気づかなかった。
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