騒擾恋愛
005
髪を乾かし終えた沢木に喉がかわいてないかと訊ねると、彼はタオルを肩にかけたまま頷いた。俺は返事を聞くなりすぐ立ち上がり冷蔵庫に駆け寄る。扉を開けて飲み物を探すが、沢木が何を好きなのかわからない。
「沢木ー」
「ん?」
やけに近くから声が聞こえると思ったら、沢木がダイニングまでやってきていた。良かった、もうちゃんとシャツを着てくれている。
「沢木、何が飲みたい? ビールならいっぱいあるけど」
「えっ、ビール?」
「苦手?」
「苦手っていうか、酒自体飲んだことない…」
「マジ?」
だって未成年だし、と沢木は言ったが、俺にしてみればそんなクソ真面目な理由で一口も飲まないことの方が驚きだ。まあお酒をがぶ飲みする沢木なんて想像もできないけれど。
「千石はよく飲むの?」
「ほぼ毎日な。沢木も1回飲んでみたら?」
「えっ」
「ビールは無理かもだけど、酎ハイならいけると思うよ。ほら」
キンキンに冷えた酎ハイを差し出すと、沢木は少々ためらいつつも受け取り恐る恐る口をつけた。
「ん…」
「な? うまいだろ?」
「………び、微妙」
顔をしかめた沢木は、もう一度手にした酎ハイを流し込むように飲み込む。苦しげな表情がいっそう険しくなった。
「ごめん、千石。俺飲めそうにないや」
「そっか、慣れたら絶対くせになるんだけどなぁ」
俺は沢木から酎ハイを受け取り、代わりに麦茶を出した。よほど酒の味を消したかったのか沢木はそれをすぐに一気飲みする。新しく缶を開けるのももったいないので沢木からもらった酎ハイに口をつけようとした時、なぜか間接キスという単語が浮かび、途中まで上がっていた腕が止まった。
男同士なのだから別に問題ないとすぐに口をつけたが、なんとも言えない背徳感が俺にのしかかる。こんなことに後ろめたさを感じる自分を異常に思いつつ、俺はアルコールを一気に流し込んだ。
「千石、俺の制服乾かしてくれてたんだな」
机の上に広げられた制服に気づいた沢木が俺を見つめながら笑む。沢木の顔もまともに見られなくなった俺は俯きがちに頷いた。
「まだ乾ききってないけど…」
「これで十分だって。ありがとな」
沢木は制服を丁寧にたたみ、自分の鞄にしまおうとする。しかし鞄をつかんだその手はすぐに止まってしまった。
「沢木?」
「制服より、鞄が重傷みたいだ…」
その言葉に俺も沢木の鞄に触れると、彼の言うとおり完全に濡れてしまっているのがわかる。制服にばかり気を取られて鞄のことをすっかり忘れていた。
「うわああ、ごめん! どうしよう!」
「別に、鞄ぬれても乾かせば大丈夫だけど…」
「でも教科書とかぐっしょりじゃんか!」
「俺、教科書なんか入れてねーもん」
「えっ」
ほら、と沢木が鞄の口を大きく広げて中を見せてくる。確かにすかすかの鞄の中に教科書は一冊も入っていなかった。
「テスト終わったばっかなのに、教科書なんか持って帰る奴いないよ」
「…俺、毎日持って帰ってる」
「ほんとに?」
沢木は心底驚いた表情をしていたが、俺の場合毎日家で勉強しないと授業についていけなくなるのだ。そんなことをしていても俺より沢木の方が圧倒的にテストの点が良かったのだから嫌になる。
「でもやっぱプリントは濡れちゃってんな。まあ別にいらないやつだからいいけど。千石、ゴミ箱どこ?」
俺が部屋の隅にあったゴミ箱を引きずってくると、沢木はそこへ濡れてしなしなになったプリントを次々と捨てていった。中にはいつ配られたやつなんだといいたくなるような、昔のプリントもある。沢木のやつ、見た目と性格に反してかなりズボラだ。いや俺が勝手に几帳面だと思っていただけだけど。そういえばさっきも濡れた制服に対してテキトーな発言をしていたか。
「そんなに捨てて大丈夫なのか?」
「もういらなくなったやつばっかりだし」
沢木はプリントの中身をチラ見してから次々と捨てていく。その様子を淡々と眺めていた俺だが、沢木が鞄の中から取り出したどこか見覚えのある封筒に気づき、ドキリとした。
沢木手にしているのは、彼が今朝、女の子からもらったラブレターだった。けれど残念なことにそれもところどころ濡れてしまっている。どうしよう、俺のせいだ。
すぐにでも謝りたい衝動にかられたが、そんなことをしては盗み見していたことがバレてしまうかもしれない。必死で自分を抑える俺の目の前で、信じられないことに沢木はその手紙を、他の不要になったプリントと同じように捨ててしまった。
「あっ」
思わず小さく声をあげた俺に、どうした? と首を傾けてくる沢木。いま見た光景が信じられなかった俺は、すぐに返事ができなかった。
「その手紙…」
「ああ、これはいらないやつだから」
非情なことをしているはずなのに、普段の何も変わらない笑顔を見せる沢木にぞくっとさせられる。もし今朝の女子とのやりとりを見ていなければ、俺はここまで困惑しなかっただろう。けれどあの朝の様子から察するにこの手紙は間違いなく、あの子からのラブレターだ。それを少し濡れたからといって、人の家のゴミ箱にためらいもなく捨てていいものだろうか。しかも、あの優しい沢木が。
「千石? どした?」
「………なんでも、ない」
いきなり黙り込んでしまった俺の顔を沢木が心配そうな表情で覗き込んでくる。今の今まですっかり心酔していた彼の考えがまったくわからなくなった俺は、このとき初めて自分の中で絶対的だった沢木を不審に感じたのだった。
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