騒擾恋愛
004
一般的な中流家庭にふさわしい、住宅街の中に溶け込んでいるごく普通の二階建ての家。それが俺のマイホームだ。俺に案内されてここまでやってきた沢木は、取り立てて面白いものもないだろうに好奇心丸出しで俺の家を観察していた。特に母さんが育てている花には興味を示している。のんびりしている沢木とは逆に、俺は早く彼の濡れた服をなんとかしたくてそわそわしていた。
「お邪魔しまーす」
俺が玄関の扉を開けると、沢木が丁寧にお辞儀をして入ってくる。けれどその瞬間、沢木が何かに気がついたように立ち止まった。
「あっ」
「どうかした?」
何か粗相をしてしまったのかと慌てる俺に、沢木は笑みをこぼす。そしてその場で小さく深呼吸をした。
「千石の匂いがする」
「へっ」
俺ってそんなに臭うのだろうか。すぐさま制服を鼻にこすりつけるが、自分の体臭に自分で気づけるはずがない。
「違う、違う。そう意味じゃない。俺の言い方が悪かったな」
俺の首もとにゆっくり顔を近づける沢木。驚いた俺は派手な音をたててよろけるように後退してしまう。けれど目を閉じた沢木は壁際にもたれかかる俺を特に気にする様子もなく、首に鼻をうずめそうな勢いで寄せてきた。
「…っ!」
「何の香りだろ? ワックスだと思ってたんだけど。香水とか使ってる?」
「…使ってないけど、匂う?」
「ああ、でも好きな匂いだ」
ゆっくりと離れていく沢木の恍惚そうな表情を見て、思わず胸がもぎ取られそうになった。男のくせに、その顔は反則だろう。
「沢木、早くあがって。シャワーと着替えかすから」
「いいの?」
「親父は単身赴任中、母さんは仕事中で絶対帰ってこないから遠慮しないで」
居間に沢木を案内した俺は、すぐに隣の部屋のタンスの中から自分のジャージとタオルを取り出す。戻ってみるとアンダーのみの姿になった沢木が自分の濡れたシャツを持って、辺りをきょろきょろ見回していた。
「千石、ハンガーとかないか。乾かしときたいんだ」
「あるけど…制服はクリーニングに出すよ」
「えっ、いいって! こんなもんぶら下げときゃ乾くんだから。そんな大げな」
「そうか?」
おそらくは俺に気を使ってくれたのだろうが、几帳面っぽい沢木らしからぬ口調だった。
俺は彼に風呂の場所をおしえ、持っていた着替えを差し出しハンガーを取りに行くため沢木に背を向けた。
沢木がシャワーをあびている間、俺は自分もジャージに着替えドライヤーを使って床にならべた制服を乾かしていた。こんなにぐしょぐしょにしてしまって本当に申し訳ない。シャツがようやく乾いてきた時、風呂から戻ったのか後ろから足音が聞こえた。
「沢木、シャツは結構かわいたけど、下はもう少し待っ…」
振り返った俺は、それ以上言葉を続けることができなかった。何のことはない。ただ頭からタオルをかぶった沢木が上半身を男らしく晒していただけのことだ。
「な、なんで上着てないんだよ!」
「ドライヤーがなくて、探してた」
「あ」
沢木の探し物は只今使用中だ。俺はすぐにコンセントを抜いて手の中のドライヤーを差し出した。
「ここで乾かしてもいい?」
俺が頷くと沢木は再びドライヤーのコンセントを差し、その場であぐらをかいてスイッチを入れだ。タオルを頭に乗せたままドライヤーをあてるという変わった乾かし方をしている。気にはなったが、俺の意識はまた別の所にあった。
「…沢木、シャツ着ないのか」
「ん? 乾いたら着る。まだ暑い」
「……」
はっきりいって男の裸なんてまず自分で見慣れているし、ましてや上半身など海やプールに行けばいくらでも見られる。でも沢木のこの白い肌は晒しちゃいけない領域な気がする。細い腰と鎖骨がより艶めかし…
「…って俺は変態か!」
「千石?」
つい心の声を口にしてしまった俺に、訝しげな顔をした沢木が首を傾ける。その間、俺はまだ性懲りもなく沢木の身体を凝視していた。
「…そんなに見るなよ。自分でも貧相だってわかってんだから」
「あ、や、悪い」
男同士なのだから慌てて目をそらすこともないのだが、何だか見てはいけないものを見てしまった気分だ。沢木を視界からシャットアウトした俺は自分の危うげな思考に頭を抱えていた。
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