騒擾恋愛
003
次の日の朝、早くから登校した俺は、今日こそ沢木に礼を言うんだと1人意気込んでいた。けれど沢木が1人になる機会なんてやっぱりなくて、あったとしても俺が自分に発破をかけているうちに沢木は友達に囲まれてしまう。こんなにも席が近いのに、俺は2時間、沢木の背中を見つめることしかできなかった。
3時間目のテストを前に俺はトイレの個室にこもり、暗示をかけるように自分を奮い立たせていた。男に話しかけるだけでこんなに緊張したのは初めてだ。中学のときは、何もしなくても人がわらわら寄ってきたし(友達というよりは子分だったが)、普通の友人関係を築くことがこんなに難しいとは思いもしなかった。
気づいてしまった自分の軟弱さに、自信をなくさずにはいられない。だいたい沢木はみんなに気さくなんだから、俺に親切にしてくれたことだって別に特別なことなんかじゃないだろう。沢木となら仲良くなれるかもだなんて、俺の思い上がりだ。
かしてもらった消しゴムは靴箱にでも入れておこう。その方が沢木にとっても俺にとってもいいような気がする。友達を作るチャンスを自分でつぶしてるようで、なんとなく嫌だけど…。
沢木に話しかけることを諦め、俺が個室から出ようとしたそのとき、数人の男達の声が聞こえてきた。
「だからホントなんだって! 信じろってば!」
「そう言ってもなぁ…」
これは沢木の友達の望月達の声だ。もしかして沢木もいるのだろうか。俺は慌てて再びトイレに引っ込んだ。
「でもさぁ、それがマジだったらヤバくねぇ? だってあの千石伊織だぜ」
ふいに自分の名前が出て、俺は柄にもなくビクついてしまった。なんで俺?
「つーか千石が沢木を目の敵にする理由がねーじゃん。望月の妄想じゃねえの」
「いーや、あの野郎、今日1日ずっと沢木のこと睨んでやがった。間違いねぇ」
に、睨んでた!? 俺が、沢木を!?
そんな馬鹿な! とついつい反論しそうになったが、自分の今の立場を思い出しなんとか踏みとどまる。まさが張本人がここにいるとも知らずに、彼らは話を続けた。
「朝からすっげぇ殺気飛ばしてたし、このままじゃ沢木、マジでアイツにやられるって」
「でも沢木はいい奴だろ。嫌われる要素なんか…」
「馬鹿っ、不良ってのはそういうとこが逆に気にいらねえもんなんだよ。沢木は性格大人しいけど、やっぱ目立つから」
「あ〜あ、なるほど」
ええ〜…、俺のいないところでどんどん話が進んでいく…。
俺、別に沢木のこと睨んでなんかねえよ! むしろ感謝してるぐらいだっつーの!
…って今、飛び出してってコイツらに言えたらどんなにいいか。
「で、どうすんの望月、沢木に忠告しとく?」
「まずはそれだな。んで千石が沢木に何もしないよう見張る」
「マジ? そこまで目ぇつけられてんの?」
「俺、あの男と中学一緒の奴と友達なんだけどさぁ、あいつ制服に血つけて登校なんてザラだったってよ」
「うぇ〜!!」
「だから、俺らで沢木を守んだよ! 全員でいけば千石だって諦めっかもだろ」
「………」
望月の言葉に、しばらくは誰も何も答えようとしなかった。俺はといえば、個室にこもって誰かが望月の早とちりだとフォローしてくれるのをただ待っていただけだった。
「……そうだな! 千石はおっかねえけど、沢木を怪我させるわけにはいかねえもんな」
1人の言葉をきっかけに次々と望月の言葉に賛同していく男達。勘違いだって、俺は沢木を殴ったりしないって言いたい。でも、今の俺にはその勇気がない。
「あいつ……とりで30人…たって…」
「マジで!? ……それ、見た……かよ」
そうこうしているうちにだんだんと遠ざかっていく望月達の声。完全に彼らの気配がなくなった後、俺はようやく個室から出ることができた。
一体これからどうすればいい。俺は完璧に誤解されている。このままじゃ沢木にも嫌われてしまうかもしれない。
けれど、どうせ俺には沢木にも誰にも話しかけられるだけの勇気はないのだから、もう別にこのまま避けられても……
……いや、やっぱり誤解されたままじゃ嫌だ。消しゴム返して、ありがとうって言うだけで解けるかもしれない誤解なんだから、諦めるなんて馬鹿らしい。沢木に言う、何が何でも言う。こんなちっぽけなプライドなんて、今すぐ男らしく捨ててやる。
「…よし!」
俺はもう一度自分を奮い立たせ、覚悟を決めて教室へと戻った。
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