騒擾恋愛 002 高校初めての定期テストということもあって、開始前に担任教師から細かい説明がされた。といっても中学と殆ど同じような内容だ。不正はいけません、だとか。机の中に何もないか確認しましょう、だとか。一通り注意を終えた担任が教室を出て行き、テスト監督の先生が入れ替わりで入ってくる。皆、カバンを後ろのロッカーにしまい始めたので俺もそれにならった。けれど、ふでばこの中からシャーペンと消しゴムを取り出そうとしたそのとき── 「………」 ない。 俺の消しゴムがない。どこを探してもない。…いや、そんなバカな。いつもこのふでばこにちゃんと入れて……ああクソッ、きっとあそこだ。自分の部屋の机の上に昨日勉強していて置き忘れたんだ。 「…どうしよう」 声には出さず口だけを動かし狼狽する。もし俺に友人なんてものがいれば、誰か消しゴム2つ持ってない? と気軽に訊けるのだが、あいにく俺にそんな相手はいない。でも消しゴムなしではテストは受けられない。かくなる上は先生にこっそり… 「おい、千石? 何してるんだ」 「えっ」 小太りな中年教師の呼びかけにふと我にかえると、すでにみんな準備万端整えており俺だけが1人立ち上がっている状態だった。クラスメート達は一様に俯き、教室は静まり返っている。 「早く荷物を後ろに運びなさい」 「……」 「どうした千石、何かあるのか」 「……」 言えない。こんなに目立つ状況の中、消しゴム忘れたのでかしてください、なんて。だいたい消しゴムを先生にかしてもらうとか俺のキャラじゃない。……そんなことばっかり言ってるから、俺には友達ができないんだよな。プライドだけは一丁前にあるんだもんなぁ。友達1人もいないんだからキャラもクソもないだろうに。 結局何も言えなかった俺は、潔く諦めてカバンをロッカーに運び、再び自分の席に戻った。頭の中は勉強の内容などどこへやら、後悔の念でいっぱいだ。もし時間を遡れるなら今朝の俺を叱りつけてやりたい。忘れ物がないかどうかあんなにチェックしていたにもかかわらず、このザマだ。うっかりにも程がある。 「くそっ…」 自分への苛立ちのあまりガツンと机にちょっとした八つ当たり。おかげで先生に不審な目で見られてしまった。ああもう、またやっちゃったよ。この短気な性格、どうにかならないものか。 とにかく、今はテストに集中だ。消しゴムなしで乗り切るのだから、とてつもない集中力が必要だろう。死ぬ気でやれば解答欄に答えをノーミスで書くことだってできるはず。そうだ、俺ならできる。無謀だと言われたこの高校にだって合格できたじゃないか。内申点なんてないも同然だったのに。 ついにテストが始まり、用紙が前から配られてくる。1時間目は現代国語で、一番後ろの席である俺のところにも、手早くテスト用紙がまわされる。だがそれともう一つ、なぜか見たことのない消しゴムが紙と一緒に置かれていた。 …え、なんで? 幻? まさか願望が幻覚になって現れたのか? 目の前の消しゴムを凝視しながら唖然としていると、テスト用紙を渡してくれた前の席の沢木が、俺にこっそり囁いた。 「これ使って」 「…え? えっ?」 「俺いっぱいあるから」 沢木は小声でサラリとそう言い、消しゴムを残して再び前を向く。俺は信じられないような気持ちで、沢木の背中を見つめていた。 か、神様…! なんだ、なんだこの男は。こんな近くに神様がいたなんて。沢木は俺が消しゴムを忘れたことに気がつき、なおかつ誰にも悟られないように貸してくれたのだ。なんて高レベルな気配り。なぜ沢木が消しゴムをそんな何個も持っていたのかはわからないが、それはもうこの際どうだっていい。ありがとう神様沢木様、このご恩は一生忘れません。いつか何らかの形で必ずお返ししますとも! 「テストが配られたら、真っ先にちゃんと自分の名前書けよー」 先生の言葉に俺はハッとする。いけない、今は試験中だ。感動に浸っている場合ではない。ただでさえ国語は苦手科目なのだから、沢木にいただいたこの消しゴムを無駄にしないためにも、絶対にいい点数を取ってやる。 俺は今一度気合いを入れ直し、集中力をマックスにまで上げ問題用紙に向き直った。 長かったテストも3教科すべて無事に終わり、俺は安堵感からほっと息を吐いた。自分的にはまずまずの出来だ。消しゴムのお礼を早く沢木にしなくては。これのおかげで今日1日乗り切れたのだから。ほんとは現国のテストが終わった時点で話しかけたかったのだが、沢木はあっという間に友達に囲まれてしまって近づくチャンスがなかった。でも今、沢木は1人だ。ほら、勇気を出して話しかけるんだ千石伊織。はい、せーの! 「さわ…」 「沢木ー!!」 俺の精一杯の呼びかけは沢木の友達の大声によってかき消される。ホームルームが終わった途端、沢木にじゃれつくこの男、たしかこいつの名前は… 「やっとテスト終わったー! 遊びに行こうぜ!」 「終わってないだろ望月、明日もテストあるんだから」 「いーじゃん、ちょっと帰りに寄り道するだけ! なっ」 そうだ、こいつの名は望月。沢木とよく一緒にいる男で、沢木レベルには及ばないまでも似た系統の明るい奴だ。 「…わかった。ちょっとだけなら」 「やった! みんな、沢木行くってー」 そのまま沢木は望月に連れられて、あっという間に楽しそうな集団の輪の中に入ってしまう。俺は消しゴムを返そうとした手を引っ込めた。 俺は前から沢木みたいな男になりたいと思っていたが、今はなぜだか望月がうらやましかった。あんなに沢木と仲良しで、話したいことをいつでも話せる。それに比べて、俺のなんと気の弱いことか。だが元々口下手な俺が、自分の目標で憧れともいえる沢木に気軽に話しかけられる日がくるとは到底思えない。 沢木は俺に消しゴムをかしたこと、忘れてしまったのだろうか。…仕方ない、返すのは明日にしよう。 「はぁ…」 深くて重いため息を一つ落とし、俺は沢木の消しゴムをそっと自分のふでばこにしまった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |