神様とその子供たち
005
突然向けられた敵意と憎悪に僕は思わず身震いしてしまった。初対面のはずなのに、親の敵かのように睨み付けてくる。彼の威圧感だけで逃げ出したくなったが、なんとか耐えた僕は震えながらも頭を下げた。
「はじめまして、先日からここで働かせていただいています、阿東彼方と申しま……っ」
突然髪の毛を掴まれ無理矢理上を向かされる。首をへし折られる、と本気で思った。
「んなこたどーでもいいんだよ。この家に人間をいれるなんて、いくらチビのためでもあり得ねぇ」
「ロウ様!」
センリの焦った声と、イチ様の手がロウの腕を止める。しかしロウは僕から手を離さなかった。センリがセットしてくれた髪はきっともうぐちゃぐちゃだ。
「どうかお止めください。カナタはまだ子供です。少しの力で死んでしまいます」
「センリ〜、お前誰に命令してんの? いくら可愛いからって何でもいうこときいてもらえるとか思っちゃ駄目だぞ」
笑顔と優しい口調のロウがセンリの鼻を優しく突く。例え彼が僕を手違いでうっかり殺してしまったとしても、さして大きな問題にはならないのだろうと思うと生きた心地がしなかった。
「いえ、僕ではありません。すべてイチ様のご意志です」
「? イチの?」
「ええ。いくら父親といえどカナタを傷つけるのは絶対に許さない。そんなことをすれば、間違いなくあなたを嫌いになる。一一そう、おっしゃっています」
「なに?! ほんとか?」
父親に訊ねられ頷くイチ様。それを見てロウは大きなショックを受けていた。
「いっちゃんが、あの可愛かったイチが、俺のことを嫌いだなんて……今までそんなの一度も言われたことなかったのに! テメーのせいだぞ人間!」
矛先が再び僕に向けられ、小さく声をあげる。今度こそ首の骨が折れるのではないかと涙目になっていると、突然ロウの手が離れずずいと顔を近づけられた。
「ん? んんー??」
「あ、あの…?」
「お前、本当に人間か」
「えっ」
突然のよくわからない質問に面食らう。僕が人間でないなら一体何だと言うのか。
「ロウ様、どうかなされましたか」
「いや、人間って全員特有の嫌な匂いがすんだけど、こいつは…何か…」
すんすんと鼻を近づけられて、そのまま硬直する。見た目は狼より人間に近いはずなのに、猛獣に間近で狙われてるかのような気分だ。きれいな顔だとかそんなこと考えている余裕もない。大きな耳も牙も爪も尻尾も、獣に見えて恐ろしかった。
「父さん」
「ん? どーしたイチ」
息子から呼ばれてようやく僕から離れてくれる。子供の前ではにこにこのロウに、センリがにこやかに声をかけた。
「イチ様はロウ様のために、今日一日の予定をすべてキャンセルされました。ここで好きにお過ごしください。見晴らしのいいテラスに昼食を用意させますのでお二人でどうぞ」
「おお、さすが気が利くな〜センリは。どうせだったら手のあいてる奴みーんな呼ぼうぜ」
「そうですね。それはきっと皆も喜びます」
「イチ、チビ助も一緒に連れてこいよ。人間、お前は絶対来るなよ」
「は、はい……」
言われなくても行かないぞ、と心の中で毒づく。僕はすでに目の前の男と二度と会いたくないと思っていた。ロウを神格化して崇拝している人間も少なくないらしいが僕には理解できない。イチ様の父親で、どんな人狼にも愛され慕われている存在である以上ただ頭を下げて従うしかない。ただ今のところ僕にとってロウはただの怖くて嫌な男でしかなかった。
「そういえばイチ、この前アガタと喧嘩して大怪我させたらしーな。らしくないことして、ちゃんと謝ったかぁ?」
「ごめんなさい」
「パパにじゃなくてアガタに!」
「謝った」
「よしよし偉いぞ。さすが俺の息子」
頭をなでられてご満悦のイチ様のしっぽをまたも凝視してしまう。ついでにとばかりに撫でられたセンリも嬉しそうに尻尾が揺れている。まるで飼い犬二匹と飼い主だ。こんなセンリとイチ様は見たことがない。
ゼロをだっこしたままのイチ様と肩をくんで笑いながら出ていくロウを見送り、ようやくほっと息がつける。
「大丈夫ですか、カナタさん」
「はい、平気です」
残ったセンリが僕を心配して声をかけてくれる。本当はちっとも平気ではないが弱音をはいてもどうにもならない。しかし僕の気持ちなどお見通しのセンリは僕の手を優しく握った。
「今回は急でしたが、今度からはロウ様が来られるときは安全な場所にいてもらうようにします。しかし予想していたよりずっとマシな対応でほっとしました」
「あれでですか?!」
「ええ。もっと罵倒されて無理矢理追い出されてもおかしくなかったので。やはり子供を雇ったのが良かったんでしょう」
15歳と偽っていて良かったとこれ程までに思ったことはない。18だったら手加減されず、ここから放り出されていたかもしれない。
「それから、スイ様というロウ様のお付きの方も来られていますが、彼はロウ様と同じくらい人間を嫌悪しています。イチ様が止められないという点ではロウ様よりも厄介です。部屋にこもっていれば会うことはないでしょうが、気をつけて」
「あの、もっといいニュースはないんでしょうか……」
「ははっ、初対面でロウ様に追い出されなかった事が吉報ですよ」
センリの笑顔につられて笑うも恐怖は消えない。恐ろしかったがとりあえず辞めさせられたり追い出されたりはしなかった。かなり上機嫌な様子だったし、うまくいけば僕のことなんか無視したまま今回は帰ってくれるかもしれない。このままロウと会わずにすみますようにと願いながら、僕はセンリに連れられて部屋へと戻った。
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