神様とその子供たち
003
ゼロを寝かしつける方法を習得してからというもの、寝不足で悩まされる事はなくなった。眠くない時でもピアノを弾けばゼロは吠えるのも暴れるのもやめて、僕の下手くそな演奏を聴くために尻尾を振って近寄ってきてくれる。とはいえずっと弾き続けないといけないのは大変だったが、だんだんとピアノの音がない時も暴れる時間が少なくなっていき、とても楽に生活できるようになった。イチ様がいない生活にゼロも多少は慣れてくれたのかもしれない。夜はピアノを少し弾いてからゼロを連れて僕のベッドで一緒に寝るのが日課になっていた。
イチ様がいなくなってから一週間程たって、いい加減同じ曲ばかり弾くことに飽きてきた僕はハレに楽譜はないかと訊ねたがわからないと言われてしまった。もらったお給料を楽譜に使おうと思っても外出許可がいる上、楽譜を売っている場所も知らない。イチ様が帰るまで待つ方がいいだろうと思い諦めた。一応ネットで調べてみたがピアノ自体この時代ではあまり普及していないらしく、目ぼしいものは見つからなかった。
例え同じ曲でもゼロはいつでも弾いてほしいらしく、僕が部屋の掃除をしている間も催促するようにピアノの前に座っている。時々小さく吠えて僕をちらりと見てくる。おかげでいつも掃除を中断してピアノの前に座ることになる。
「ゼロはいつも同じ曲でも飽きないのかなぁ…?」
ゼロを撫でながら優しく声をかけるもゼロは尻尾を振るだけだ。その姿があまりに可愛いので鍵盤をなるべく見ずに演奏する技術が上がっていた。
そもそもこの曲を暗譜していたのは、両親に立派な演奏をする姿を見てほしかったからだ。とてもコンクールで優勝を狙える程の実力はなかったが、応援に来てくれた親はとても喜んでいた。家で必死に練習していた僕の姿を毎日見ていたのに、まるで初めて聴いたような顔をして感動してくれていたのを覚えている。いや、見ていたからこそあんなにも誉めてくれたのだろう。この曲は今も家族との思い出の中にある。
これまではゼロのために必死に弾いていただけだが、余裕が出てくるとつい感傷に浸ってしまう。真崎やイチ様のおかげで恵まれた生活はできているが、このままではとても自分の家に帰れそうにない。それを思うと涙が今にも流れそうだった。
「トロイメライか」
突然後ろから声がして僕は飛び上がって驚いた。振り向くとゼロをだっこしたイチ様が立っていた。彼が帰ってきていたと気づかなかった僕は驚き唖然とする。
「イ、イチさま…!?」
ゼロが移動したのもイチ様がこの部屋に入ってきたことにも気がつかなかった。慌てて立ちあげると基本無表情のイチ様が笑顔で近づいてくる。
「帰ってらしたんですか」
「ついさっきな」
ゼロをひとしきり撫でた後、そのふわふわの白い毛に顔に埋める。ゼロも嬉しくてたまらないのかずっと尻尾を振っていた。
「この子の事で困ってるだろうと思ってすぐここに来たんだが、杞憂だったな」
「いえ、そんな」
「それにいい演奏だった。君がこれを弾けるとは思わなかったよ。これは私のピアノなんだ」
「そうだったんですね。すみません、勝手に」
「いや、自分で弾けるようになりたくて買ったんだが、時間がなくてそのままになっていたものだ。君が使ってくれて嬉しい」
今日は珍しくたくさん話してくれる。おそらくいつも通訳しているセンリがいないからだろう。向こうで何があったのか、ここでゼロを撫でながら穏やかな顔をしている彼を見ていると何も訊けなかった。
「今日はあまり時間がないんだが、またここに聴きに来てもかまわないか」
「もちろん。あの、でも僕この曲しか弾けなくて、できたら楽譜が欲しいんです。他の曲も練習したくて」
「それならまだどこかにあったはずだ。後で持ってこさせる」
「ありがとうございます…!」
イチ様が聴いてくれるならもっともっと色んな曲を演奏できるようになりたい。それでゼロも喜んでくれるなら、昔はあまり好きではなかった練習もやりたくてたまらなかった。
その後、センリの迎えが来るまで僕はゼロとイチ様と楽しい一時を過ごしていた。
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