神様とその子供たち
004
僕が一貴邸で働く日は、4日後、引っ越しした次の日からとなった。私物は持ち込み可だが、家具や生活用品など必要なものはすべて向こうが揃えてくれるらしい。無一文の僕にとってはとてもありがたい話だ。真崎の家を出て彼の世話になることに負い目を感じる事がなくなったのは嬉しかったが、簡単に会えなくなるのは心細かった。
「未だに信じられない。私から話しておいて何だが、まさか本当に採用されるとは思っていなかった」
一緒に夕飯を食べていた時、真崎がそんな風に僕に言った。同情で職を勝ち取ったとちゃんと説明した方がいいかもしれないが、面接中に半泣きだったと話すのは恥ずかしかった。
「だがイチ様ならきっと心配いらない。君をまともに扱ってくれるはずだ。これ以上の就職先はないだろう」
真崎は本当に嬉しそうに何度も同じことを言うので、余程イチという人狼を信用しているのだろうと思った。面接の時の彼の姿を思い出すと、自分でも納得してしまうのが不思議だが。
「イチ様がいること、すぐには気づかなかったんです。資料館で見た写真と違っていたので」
「ああ、あれは昔の写真だからな。人狼の男の寿命の長さには個人差があると話しただろう。年を取るスピードにもバラつきがあるんだ。…イチ様はここ数十年で、随分成長されたように思う」
見た目は30歳前後だろうか。彼の父親であるロウより年上に見えた。深く考えるとそれはつまり、イチ様は君主様よりも先に亡くなってしまうかもしれないということだ。
「仮にイチ様がいなくなったりしたら、人間からすると相当大変なことになりますよね…?」
「…考えたくないが、そうだな。君主様に対抗できる者がいなくなる。人間は今よりもずっと生きにくくなるだろう。あの方に子供でもいればあるいは…と思うが、イチ様は結婚すらしていないからな」
「他には、人間の味方になってくれる人狼はいないんですか」
「いなくはないだろうが、君主様に逆らえるような者はいない。とはいえ、人狼が怪我や病気で死ぬことはまずないし君が心配することではないよ。イチ様は私達よりずっと長く生きられるからな」
とはいいつつ、だから自分には関係ないと思っているような口調ではなかった。真崎は相当この現状とこの先の事を心配しているように見える。
「…さて、送り出す前に一つ君に話しておかないといけない事がある」
「なんですか?」
真崎が真剣な顔をしたのでこちらも姿勢を正して身構える。彼は重たそうな口を開き、ゆっくりと話し出した。
「……人狼が人間に行う犯罪で、殺人より重いものがある。何かわかるか?」
「? い、いえ」
「人間の異性と体の関係を持つことだ。なぜなら、万が一にも子供ができたら大変なことになる。人狼に人間の血が混じることを彼らは何よりも恐れているからな」
「えっ、子供、できるんですか!?」
人狼は人間とはまったく違う存在かと思っていたので、子供が作れるなんて驚きだ。
「いや、厳密にはわからない。それを試すような人狼はいないし、確かめることもしないからな。この禁忌を犯す者は絶対にいない。だが人狼の女子は寿命の短さから数が男子より少ないんだ。となると、あぶれる男が絶対に出てくる」
「……」
真崎の言いたい事がわからないようなわかりたくないような。大人から性教育を受けたときのような居たたまれなさがある。
「だから、人狼は男同士で結婚することも多い。ただ人狼の男っていうのは……その、基本的に相手を征服したがるものだ。人狼同士だとうまくいかないこともある。おまけに、人間のようにお金を出して女性を買えるわけでもない。人狼の女性は高貴で尊い存在とされてるからな。となると自然に矛先が……人間の男に向かう」
「へ!? ……そ、そんなことが」
真崎は言いにくそうにしているが、こちらもそろそろ耳を塞ぎたくなってきた。ここにきてから100個はありそうな心配事がまた増えそうだ。
「勘違いしないでほしいが、合法的に行われているわけでも、そういう仕事があるわけでもない。ただ、ただ人間の男が人狼の召使いになると、そういう流れになることにも……」
「ええっ、ちょ、ちょっとそれって」
「大丈夫だ。イチ様だけはそんな心配はいらない。あの方は男女どちらにも人気があるし、わざわざ人間を相手にする必要なんかない」
「ですよね!」
「ただ、一貴邸にいる人狼はイチ様だけじゃないだろう。住み込みで働く使用人もいる。だから、その…気をつけて欲しい。とはいえ一度狙われると逃げるのは無理だろうから、なるべく狙われない方向に持っていくしかないわけだが」
「……」
「いや、人狼が全員そういう目で君を見たりはしない。君は15歳ということになっているから、流石に子供には何もしてこないだろう。私もあまり心配はしていなかったが、七貴様が君に目をつけていたから…」
「七貴様って、前に僕に話しかけてくれた人ですか」
「そうだ。あの方は少し特殊で、女にモテるのに人間の男が好きなんだ」
「え」
「気に入った人間がいるとすぐ自分の使用人にしてしまう。七貴だから雇う金は十分にあるからな。…君が声をかけられていた時は戦慄した。仕事が見つからなければまた雇ってこようとしてくるかと恐ろしくて……決まって本当に良かった」
「僕も良かったです」
まさか自分があの時そんなピンチだったとは。男どころか女からも色目なんて使われたことない僕に、そんな発想があるわけがない。
顔が青くなった僕に気づいたのか真崎が明るい話題に変えてくれたが、その後も一人でぐるぐる悩んでいたが、美少年でもなんでもない僕が自意識過剰になれるはずもなく、結局はそんな気を起こす人狼なんかまずいないだろうと高を括っていた。
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