神様とその子供たち
近衛兵カエン
『カエン、久しぶり。あんまり会えていないけど、こっちに帰ってきたなら少しでも話せたら嬉しいな。また連絡くださいね』
「……」
通信端末に届いたセンリからのメッセージ。それに返事をしてから、専用のホルダーにしまった。
カエン・シノはロウの近衛兵の一人だ。いま連絡をくれたセンリは、古くからの旧友である。
センリとカエンは元々八群の人狼で、当時はもっと人狼の数が少なく、年の近いカエンとセンリは同じ場所で教育を受けていた。
とはいえ当時はそれ程仲良くはなかった。センリは昔、その相手の思考を読める特技のせいで殆どの人狼を拒絶していた。そして困ったことに、カエンはセンリが好きだった。センリは自分に好意を寄せる男が一番嫌いなので、仲良くなれるはずもなかった。しかしカエン自身、自分から積極的にアプローチするタイプではなかったので、仲良くはないまでもそれほど嫌われてはいなかった。
現在、主であるロウは一貴邸に滞在中だ。近衛兵にも休憩室が用意され、カエンはそこで休んでいた。そろそろ交代の時間になったので、軍服に着替える。現在トキノとキリヤがロウの警護にあたっており、カエンが勤務中はこの部屋をその二人が使用している。
部屋を出て廊下を歩いていると、シギ専用の休憩室の扉が目に入り、ついでに交代要員の彼女を拾っていくことにした。シギは女性なので毎回カエン達とは別室が用意されている。部屋の前まで来た時、中からテンションの高い女性の声が聞こえてきた。
「マジで、マ、ジ、で格好良いの。ほんとヤバイの。声聞いただけで妊娠するってあんなの。ああんな間近で会話できるなんてある? 私もう死んでも良いよもう。この仕事つけた時点で今生の運全部使いきったから。もうこの先多分いいことないから。え? やだママ、告白なんて無理に決まってるじゃん!」
カエンが勢いよく扉を開けると、携帯で通話中のシギが飛び上がって驚いていた。
「カカカエン!? な、なぜ断りもせず女の部屋に入ってきた!?」
「ごめん、てっきりシギの部屋に別の女性がいると思って」
まさか今の会話がシギのものだとは思わなかった。シギは「ママごめん」と謝った後即座に通話を切った。
「シギって、プライベートでは結構可愛いんだね」
「殺されたいのか?」
「そんな恥ずかしがらなくても。気配消すのを忘れてるのが悪いんじゃないか。別に口調がどうであろうとかまわないけど、今の話、ロウ様のことなら見逃せないな」
近衛兵は、いや近衛兵だけでなくロウの側で働く人狼は例え家族であってもロウの事を部外者に話すことを固く禁じられている。常に命を狙われているロウの情報が漏れるのを少しでも防ぐためだ。近衛兵であるシギがロウの事をほんの些細な出来事でもペラペラ母親に話しているとすれば、解雇決定だ。
「私がロウ様の話をするわけないだろう」
「じゃあ誰の話?」
「……」
「言わないとフウビ様に報告するけど」
「キリヤだよ! 馬鹿!」
「キリヤ?」
キリヤとは近衛兵の仲間の一人だ。軍で一番強い男で、職務中は無口なのもあってクールで格好良いと女性からの人気が絶大な男でもある。顔が飛び抜けてイケメンというわけではないが、人狼の男は強ければ強いほどモテる。誰とも結婚する気がないため、ファンクラブなんてものまで出来ているらしい。
「へぇ、シギもキリヤが好きなんだ。なんというか、捻りが無さすぎて何の面白味もないね」
「よりにもよってカエンに知られるとは。もうお前の口を封じるしか……」
「はいはいそんな物騒なものしまって。大丈夫だよ、僕誰にもしゃべらないから」
懐刀を抜き出したシギを諌めながら、頭を撫でて慰める。150歳を越えるカエンにとって、24歳のシギはよちよち歩きを始めたばかりの赤子同然だった。
「誰かに話したら殺す」
「女の子が簡単に殺すとか言わないの。何でそんなに信用ないんだよ」
「胡散臭いから」
「傷つくんだけど」
「近衛兵を100年近くやってて、周りから嫉妬もされずに慕われてるなんて、胡散臭すぎるだろうが」
「人徳だよ!」
近衛兵というものはだいたい50年で交代になる。人生の全てをロウを守ることに捧げるので、どんなに優秀でもそれくらいが限度だと思われているのだ。しかしその中で、カエンはずっと近衛兵を続けていた。
「キリヤへのこんなミーハーな気持ちがバレたら、絶対に近衛兵を辞めさせられる。私は替えのきかないカエンとは違うんだ」
「シギだって替えがきかない護衛だよ。大丈夫、内緒にするって誓うから」
いまだに殺意を向けてくるシギをなんとか宥め、部屋から連れ出す。「言うなよ! 言うなよ!」としばらくうるさかったが、移動中から仕事だよと言うと大人しくなりいつものクールで無口なシギになった。
そんなに念を押されなくても、元から何も話すつもりはない。この事をもしシギを見るたびそわそわしているトキノが知ったら、キリヤに怒りをぶつけて近衛兵同士の関係が空中分解しかねない。ロウの護衛以外のことでもめるなんて、決してあってはならないことだ。
カエンは、自分の嗅覚の鋭さは必ずロウを守るために役立てられる、と昔から考えていた。
しかしロウの護衛としてはカエンは弱く、元々身体も耳も小さかったので闘う才能自体なかった。しかし八群のリーダーであり鍛練を欠かさないロウの息子のハチに指導を乞い、すべてを捨てて身体を鍛え近衛兵の座を勝ち取った。
ナイフも銃も効かない超人的な肉体を持つロウの暗殺は、殺傷能力の高い爆弾を仕掛けられる事が殆どだった。ロウが立ち寄るであろう場所にあらかじめ取り付けておくだけでいいので、誰かがロウに近づく必要もない。しかしカエンは爆発物の匂いを嗅ぎとり先回りして撤去させてしまうので、テロリスト泣かせの男だった。
そのせいで最近はまた狙撃が増えたが、銃を持つ人間の匂いを機敏に嗅ぎとるのでカエンが近くにいる時はほぼ感知される。そのためテロリスト達はカエンがいない時にロウを狙うようになり、カエンはロウの護衛としてなくてはならない存在になっていた。
「カエン」
前から歩いてきた人狼に声をかけられる。少し前から匂いが強くなっていくのを感じていたので相手は誰か見ずともわかっていた。カエンは立ち止まって頭を下げた。
「イチ様、ごきげんよう」
「こんにちは、カエン。ロウ様のところへ行くのですか?」
答えたのは後ろに控えていたセンリだった。基本的にイチの代わりに会話するのは彼だ。久しぶりの友人との再会だったが、仕事中なので彼にも他人行儀に挨拶した。
「はい。ロウ様の私室へ向かっております」
「イチ様もです。ご一緒しても?」
「勿論」
四人で共にロウの私室へ向かう。センリの話によるとロウの部屋にいる阿東カナタを迎えに行くらしい。しかしシギはすでに気配を消していて、カエン達三人の視界から消えていた。
阿東カナタの件では、彼の本名をうっかりセンリに話してしまうという失態をしてしまった。その後ロウとカナタに謝罪したが、カナタは少し照れながら「結果オーライなので」と嬉しそうにしていた記憶がある。
ロウの私室の前に立ち、カエンがノックしようとした時、中からカナタの怒声が聞こえてきた。
「ロウの馬鹿! 何考えてんだよ! こんなの、やっていいことと悪いことがあるだろ!」
ロウと二人きりの時のカナタは、基本的に呼び捨てで敬語を使わない。しかしその事を知らないイチは最愛の人のただならぬ雰囲気に、カエンを押し退け慌てて扉を開けた。
「買っても買ってもなくなると思ったら、こんなことに使って! 返せよ僕のシャツ!」
「カナタ?」
「ひゃあ! イチ様いらっしゃったんですかぁ……」
突然のイチの来訪に慌てるカナタ。ベッドの上には、Tシャツを着せてギチギチパツパツになった枕を抱えてむくれるロウがいた。カナタはロウへの不躾な態度を必死でイチに謝っており、平和だなぁとカエンが思っていると隣からセンリが声をかけてきた。
「カエン、仕事は何時までですか? よければ明日の昼食か夕食、一緒にいかがでしょう」
職務中の口調は常に敬語のセンリの誘いを笑顔で了承する。カエンはセンリが心を許す、一番の親友だった。
声をかけてきたのは向こうからだった。近衛兵になって磐石の地位を築いていたカエンに、昔は知らん顔をしていたセンリが心からの笑みを浮かべながらこう言った。
「僕達、親友になりません?」
最初は訳がわからなかったが、彼の話を聞いて合点がいった。話を聞いて、その日からカエンはセンリの親友になった。
ロウの側にいる一群からの密偵とは、カエンのことである。
とはいえロウを裏切っているのではなく、すべてはロウのためであった。
ロウは自分の体調不良や怪我を周りに隠す癖があった。それを見抜くのがいつも側にいる近衛兵と定期的な健康診断を行うヒトの役目でもある。明らかな怪我や病気なら縛り付けてでも休ませるが、明確な症状がないと周りが何を言っても平気なふりをして休息をとろうとしない。自分の来訪を心待ちにしている誰かがいるのをよくわかっているのだ。
そんな時カエンは、センリにこっそり告げ口してイチにロウを一貴邸に呼び寄せてもらい無理やり休ませていた。長男のイチに甘いロウは彼に懇願されると、どんな時でも一群に舞い戻ってしまうのだ。
カエンはロウの怪我や体調不良をすべてセンリに報告していた。もちろんバレないようにこっそり暗号文を使ってだ。不審に思われないようにほぼ毎日センリとは友人として連絡を取り合っている。そしてどうしても休みを強制的に取らせたい時はその旨をセンリに伝えると、イチがロウに連絡してくれるという仕組みだ。近衛兵の規則を破ってはいるが、ロウの健康を守るためには必要不可欠なことだった。
こうしたロウの動向を知りたい各群れの密偵は何人もロウの側に潜んでいる。しかしロウに一番近い存在はカエンであり、そこにセンリは目をつけた。同級生だった自分達が再会して仲良くなっても自然だろうと、そして凄腕のカエンならばもしこの件がバレても近衛兵を辞めさせられることはないだろうと見越しての事だ。
ロウのためでなければ、わざわざこんな、ロウを欺くような真似はしない。
カエンはハチの側で修行をしてどんどん力をつけていく中、様々な誘惑が近衛兵になるという夢を邪魔してくることに気づいた。優しい性格に強さが備わり、軍人として評価されていくたびに舞い込む見合いの話。見知らぬ若く綺麗な女性に突然告白されたこともある。しかし、結婚している人狼はどれだけ優秀でもロウの近衛兵になれないのは周知の事実だった。
ずっと誰にも見向きもされなかった自分が手に入れたかったものを目の前に出され、ロウへの献身が少し揺らいだ。何も近衛兵でなくても、普通の護衛としてロウの近くにいればいいのではないか。そんな誘惑にかられる時があった。そして何より、今の自分ならば昔相手にもしてもらえなかったセンリを振り向かせることができるのではないか、そんなあり得ないことまで夢見てしまう。
このままでは自分は近衛兵になれない。そう思ったカエンは、師であるハチに懇願した。
「ハチ様の暗示を使って、僕の中から恋愛感情を消して下さい」
勿論、最初はハチに断られた。ハチはその力をロウの手によって封じられていたこともあるが、そんな大切な感情は消せないと言われたのだ。しかし日に日にやつれ、追い込まれていくカエンを見てついにハチが折れた。カエンの危機を感じて、望み通りハチはこっそり暗示をかけてくれた。
その後のカエンはさらに鍛練に磨きをかけ、あっという間に近衛兵に選ばれた。誰を見ても、友人としての好意はあってもそれ以上の感情など抱かない。もちろん初恋の相手であるセンリも同様だ。
最初はビジネスとして始まった友人関係だが、今ではすっかりセンリに好かれている。理由は簡単、センリは自分に恋愛感情を向けてこない男が大好きなのだ。カエンといるセンリは生き生きとしていて、いつ見ても心から楽しそうにしていた。
「明日の約束、楽しみにしてますね」
うきうきとした感情を隠そうとせず、カエンに寄り添うセンリ。カエンはふと、センリが好きだった頃の自分なら今の状況をどう思うのだろうかと、しんみり考えていた。
おしまい
2022/11/13
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