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神様とその子供たち
名前


僕はその日、夕日とシンラを一貴邸に招いて広いテラスで一緒に食事をしていた。午前中にロウがここを出立したので、今日のこの時間を僕が指定したのだ。午前中は健康診断で外出していたイチ様だったが、お昼はわざわざ戻って食事の席に顔を出してくれたので、四人での食事会となった。その間ゼロはマサキに任せていた。

「美味しい!」

夕日のはしゃぐ声がテラスに響き渡る。テーブルマナーなどを気にしなくていいように、材料を用意してもらってサンドイッチを僕自ら作った。味はハレに合格点をもらったので、夕日がたくさん食べられるように多めに用意しておいたが、それを食べ尽くしそうな勢いだった。

「おい、ユウヒ。お前加減を覚えろ。この前だって食べすぎで体調崩してただろ」

「ふぁいひゃうふへふ、ひんははま」

大丈夫ですよ、シンラ様。と言っているらしい。この前会った夕日はガリガリで心配になるくらいだったが、順調に肉付きが良くなっている。

「たくさんあるから、ゆっくり食べてね」

「うん!」

夕日とのやり取りを見つめるイチ様は変わらず口数が少なかったが、表情は穏やかだった。最初は緊張していたシンラと夕日だったが、彼の口数が少ないのは機嫌が悪いというわけではないとわかってからはリラックスしてくれるようになった。

「ユウヒ、顔にソースついてる」

「?」

「ここだよ、ここ」

シンラに口元を拭いてもらう夕日を見てほほが緩む。お願いした通り夕日はシンラに大事にしてもらっているようだ。シンラも不健康で怖そうなイメージが消えて少なくとも見た目は健康的な人狼になっている。なんでも断酒をしていてロウの紹介で無事就職できたらしい。

「あとでお庭を見て回ってもいい?」

「今日はあんまり時間ないから次にしよう。イチ様は貴重な時間を使ってくださってるんだし」

「私がいなくても、好きにまわるといい。カナタ、案内を任せてもいいか」

突然口を開いたイチにシンラの耳と尻尾がピンと伸びる。シンラが頭を下げて礼を言うのと同時にユウヒが立ち上がってイチのところまで歩いてきた。

「ありがとうございます、イチ様! イチ様が、人間にも優しいって本当だったんですね…!」

「おい、ユウヒ。いきなり失礼だろ。席に戻れ」

「ご、ごめんなさい。でも人狼様は人間が嫌いで、怖い存在だって思ってたから」

夕日の言葉にシンラはむっとして言い返した。

「俺だってお前に優しくしてるだろーが」

「優しいけど、あれ駄目これ駄目ってすぐ叱るし……」

「お前のためを思って言ってんの!」

「……」

しょんぼりする夕日の頭をイチ様が撫でると、夕日が顔を真っ赤にしてペコペコ頭を下げながらイチから離れた。そして僕はその姿を見てある種の衝撃を受けていた。
彼が夕日を撫でたことに対して嫉妬したわけではない。彼は元々人間に優しいし、夕日はまだ子供だ。頭を撫でたくらいで怒るような狭量な性格はしていない。
なんとも言いがたいショックを受けたのは、天使のような見た目の夕日がイチ様と並んでとても絵になったからだ。

これまで生きてきて自分の外見で思い悩んだことなんかなかった。しかしガリガリではなくなった健康的な夕日と比べて、僕の見た目はあまりにイチ様に釣り合ってない。もちろん見た目が理由で、イチ様が僕を嫌いになることなどないと言い切れる。しかしスイに言われた、イチ様が僕を好きになったのは彼が初めて出会った恋愛対象になる相手だったから、という事実が今さら重くのし掛かってきた。

この先、僕よりもっと綺麗で性格も良くてイチ様との相性がぴったりとあう人間が現れたら。僕以外にもたくさん人間がいるということにイチ様が気づいてしまったら。彼の気持ちが少しでも傾いてしまったら…。考えるだけで恐ろしいことだ。
どうやったら、イチ様の気持ちをずっと繋ぎ止めておくことができるのかわからない。僕自身、恋人としてイチ様を満足させられているのだろうか。

こんなことを考えてしまうのは、もう一つ理由がある、初めてイチ様に抱いてもらったあの日以降、何もないのだ。それどころか二人きりになってもキスもされない。あの日のことを後悔しているせいなのかはわからないが、いつまでこの状態が続くのだろうか。


その後は、夕日とイチ様が並んでいただけでそこまで不安を飛ばせる自分の想像力を笑いながら、4人で食事を続けた。食べ終わった頃、センリが少し慌ててイチ様を呼びに来た。イチ様が仕事に戻ることになったのでお別れして、僕は二人を庭に案内した。それから再び会う約束をして彼らを見送ったが、その頃にはもう夕日はシンラに任せても大丈夫だと確信していた。シンラは視界が狭いためよく首を振る僕のことをとても気にしていたので、彼のためにも早く治ったと報告できたらいいのにと思った。


マサキが仕事を覚えてくれてからは、夜ゼロのことをマサキに任せてイチ様と二人だけで過ごすこともできるようになっていた。
今夜がたまたまその日だったので、もしかしたらスキンシップくらいしてくれるかもしれないと期待していたが、その日はイチ様の様子が明らかおかしかった。僕の目を見てくれないし、表情は暗く口数もさらに少ない。四人で食事をした時は普通だったのに、何故だろうか。確信はなかったが思いきって訊ねてみた。

「イチ様、もしかして、何かありましたか?」

「……いや」

明らかに何かあるのに、それを否定したのが僕にもわかった。やはりおかしい。イチ様は口数は少ないが、大事なことはすぐに話してくれる人だ。

「何かあるなら、話してください」

「……」

「どうしてこっちを見てくれないんですか?」

「それは……」

「もしかして、僕に何か原因が」

「……」

イチ様がなにも言えず口ごもる。それは、僕にとって殆ど肯定だった。心臓がぎゅっと掴まれたような衝撃を受けて、ベッドの上に座り込んでしまった。

「おしえてください。悪いところがあるなら、直しますから」

「そういうことじゃない」

「じゃあ一体何なのか、説明してください」

僕の言葉に長い沈黙。しばらくして彼から出た言葉は僕の虚を衝いた。

「ハルトっていうのは、カナタの本当の名前なのか」

「えっ」

まさかその名前をイチ様の口から聞くことになるとは。ロウですら二人きりの時にしか呼ばないので、封印しかけていた名前だ。

「そう! ですけど……ロウ様から聞いたんですか?」

「違う。……そうか。センリのいう通りだったか」

「?」

彼から聞いたのでないなら、ロウとイズナ以外知らないはずの名前をイチ様が何故知ることになったのか。僕の疑問にイチ様は項垂れながら答えた。

「センリと父上の護衛のカエンは元同級生なんだ。今日、父上がここを出る前にセンリがカエンと少し話したそうだが、カエンがお前のことをハルトと呼んでいて、不思議に思い彼に詳しく聞いたらしい」

ハルトという名前はロウが二人きりの時にしか使わないが、近くに護衛の人狼がいることを失念していた。僕自身カエンにそう名乗ったことも彼にそう呼ばれたこともないが、ロウが僕のことをハルトと呼ぶのを聞いて知っていてもおかしくない。

「私はカナタの本名を知らなかった。カナタというのが、偽名だということも…」

「すみません……言ってなかったですね。ごめんなさい。本名は家族を思い出して悲しくなるのでカナタでいきたいとロウ様に言ったら、なら本名は秘密にしといた方がいいと言われたので……」

「なぜ父だけ知ってるんだ」

「僕がおしえたわけじゃ……って、まさかそのことが原因なんですか?」

「それ以上のことがあるのか」

「……それは、僕に興味がなくなったとか」

「なんだそれは。何でそんなことになる」

「だって…」

あの日からキスもしてくれない、とは言えなかった。僕が黙り込んでいるとイチ様は沈んだ声で話を続けた。

「恋人を持ったことが一度もないから、私の心が狭いのか、恋人同士なら当たり前の感情なのかわからない。今まで知らなかったが、私は嫉妬深い男なんだと思う。カナタが父上からもらったメガネを使ってるのも、少し嫌だと思ってる」

「そうなんですか!? これは便利だから使ってるだけですが」

「わかってる。そういう実用性の高い、いつも身に付けられるものを贈ろうという発想がなかった私が悪い」

僕が慌ててメガネをはずそうとすると、イチ様がそれを止めた。

「はずさせたくて言ったんじゃない。私がもしカナタにおかしな態度をとっていたとしたら、そういう心の狭さからきていると知って欲しいだけなんだ。カナタの本当の名前を知って、動揺を隠せなかった。父上のことをカナタが大事に思ってくれるのは嬉しい。父は私にとってかけがえのない大切な人だから。でも、いつかカナタが父上の事を好きになってしまったらどうしようと、馬鹿なことを考えてしまう時がある。カナタを信じてないわけじゃないが、私の心が、狭すぎるんだ……」

イチ様の声が恥じ入るように小さくなっていくのに、こっちがどうにかなりそうだった。僕はなぜ彼をこんな風に不安にさせてしまったのか。

「ごめんなさい…。イチ様は心が狭くなんかありません。僕があなたの気持ちを大事にできなかったのが悪いんです」

イチ様は経験がないというが、それは僕の方だ。恋人という特別な存在をどう大切にしていくか、それをまったくわかっていなかった。

「確かに、僕も夕日だけがイチ様の本当の名前を知ってたら嫌ですし、夕日があげたものを毎日使ってるのを見たら嫌です」

「ユウヒ? あのシンラの所の? 何故あの子の名前が出てくるんだ」

「だって夕日は可愛いじゃないですか。しかも今日頭を撫でていたし……」

「何を言ってる? あの子は子供だぞ?」

「僕のことだって未成年だと思ってたじゃないですか」

「それは……そうだが。あの子とカナタは違うだろう」

「じゃあ、僕に不満がないなら、どうして……」

「……?」

「どうしてあれ以来、何もしてくださらないんですか」

僕の言葉に、イチ様はわかりやすく絶句していた。僕が何の事を言っているのかすぐにわかったらしい。彼は僕から距離をとりながら口を開いた。


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