神様とその子供たち
002
数日後、僕はハレの妹、ハクアと会うことができた。彼女は僕がさらわれたことを自分のせいだと気に病んでいたので、僕の無事が確認された後も何度も面会を申し出てくれたらしい。彼女は悪くないし、僕の方こそ巻き込んだことを謝りたかったのでハクアに会えるのは嬉しかった。
「カナタ、元気そうで良かった。会いたかったわ」
「僕もです、ハクア様。あなたに怪我がなくて何よりです」
今日はとても天気が良かったので、テラスで二人でお茶をすることにした。まだ少し蒸し暑さが残るが、ハクア嬢は僕と違って汗ひとつかかずに優雅に微笑んでいる。
彼女は真っ正面から顔を見ることすら躊躇うくらいの美女なので、二人きりで会うことができずゼロとマサキに同席してもらった。イチ様も一緒にいたがったが仕事があり叶わなかった。
しかしマサキとゼロは僕らに構うことなく二人で庭で追いかけっこを始めてしまった。ハクアの背後には付き人がいて、人間のマサキを警戒しているようだった。
「なかなかあなたに会えないから、ほんとは大怪我してるんじゃないかって不安だったのよ。人間って、ちょっとぶつかっただけで死んじゃうそうじゃない」
「それは、確かにそうですね」
「私達と違って弱々しいのだから、さらわれて無傷でいられたなんて奇跡だわ」
ハクアには目の怪我のことを話していなかった。万が一にも彼女が責任を感じないようにハレにも頼んで口止めしていたのだ。
「僕の方こそハクア様に助けていただいて助かりました」
「助けてなんかいないわよ。結局、人間にあなたを連れていかれたんだもの。人身売買だなんて、下級市民の野蛮人が考えそうな事よね」
ハクアにはすべてを話しておらず、僕は下級市民の人さらいにあい奴隷として売り飛ばされるところだったということになっていた。
「私も一緒にさらってくれたら、すぐカナタを助けられたのに」
「僕のせいでハクア様が誘拐されたら、僕はハレに顔向けできないところですよ。危険な目にあわせてしまってすみませんでした」
「謝る必要なんかないわ。私、あなたのおかげでロウ様とお話しできたのだから」
「え? そうなんですか?」
「ええ。カナタを探していたロウ様が私に直接話を聞きたいとおっしゃって。話をきいたらすぐに行ってしまわれたんだけどね。ロウ様はどんなの女の子もお姫様扱いしてくれるってお母様から聞いていたけど、あの時はあなたを探すことしか頭になかったみたい」
「ロウ様が……」
「ハレから聞いたけど、あなたといるとロウ様の寝付きがよくなるそうね。不眠症も治ったって。ロウ様を助けてくれてありがとう」
「いえ、そんな」
「私も男だったら、ハレみたいに働いてイチ様やロウ様の助けになれるのに」
ハクアはその後、今後のことについて話してくれた。成人するまでには結婚相手を決めて家を出ていく予定であること。でも本当はシギみたいにロウを守る仕事につきたいと思っていること。けれど痛いことやしんどいことが苦手なので身体を鍛えられないのが悩みだと笑っていた。
「お母様がね、私に猫を飼ってもいいって言い出したのよ。家族と離れても寂しくないように」
ハクアの口調が憤慨した様子だったので「猫がお嫌いですか?」と訊ねた。
「違うわよ。人狼はね、一人立ちする子供が寂しくないように成人する前に動物を飼い与えることがあるのよ。特に“心配な”子供に親がね」
「ああ、そうなんですね」
「ハレの時はそんな話まったく出なかったのに。私がそんなに頼りなく見えるのかしら」
「でも、猫は可愛いですよ」
「それはそうかもしれないけど……」
「ハクア様は女性ですし、ご両親が心配されるのは当然です。それだけ大事に思われているということじゃないですか」
「物は言いようね。でも、確かに両親の気持ちには感謝するべきだったかしら」
「僕は犬が好きなんですけどね。昔、飼っていたので」
「まあ、人間もペットを飼うのね……知らなかったわ」
彼女と話しているのは楽しく、時間がたつのはあっという間だった。別れの時間になりハレがハクアを迎えにきた。彼女は別れ際に「カナタが私を好きにならないって約束できるなら、また会いに来てあげてもいいわよ」と僕の手を握って頬にキスをしてくれた。隣にいたハレは僕とイチ様の婚約の話を知っているので気が気じゃない顔をしていたが、僕の方はといえばあまりのことに意識が一瞬飛びそうになった。心臓に悪いから二度としないでほしい。
僕とイチ様は正式に婚約することになったが、発表はまだ控えることになった。イチ様は国民全員が知る超有名人だ。何も言わずに結婚することはできないので僕とのことも公にするしかない。とはいえ、僕とイチ様の結婚を知れば人狼達は混乱する。そのために各群れのリーダーから発表の前に他の人狼達に伝聞してもらおうということになった。
七、八、九群からは早々に祝いのメッセージと花が届いた。電話をかけてくれたナナによると、ハチとキュウは相手が僕ということよりもイチ様が結婚を決めたことに衝撃を受けていたらしい。僕がロウに認められていることもこの二人は知っているので納得させるのも簡単だったそうだ。
十貴のトツカからもすぐ祝いの花とカードが届いた。彼が片思い中らしいセンリによると、懇切丁寧にイチ様の気持ちを伝えるとあっさり受け入れてくれたらしい。センリいわく、トツカはもともと懐の深い人狼で、ロウの育ての親という僕の出自も知っていたのですぐに賛成してくれた。
六貴のレキはわざわざ一群に来て僕に挨拶までしてくれた。彼いわく父親のロク様から自分の死後は兄を支えるよう強く言われていたらしい。そのおかげか僕との結婚に反対されることはなく笑顔で祝福してくれた。イチ様から直々に手紙を書いたのが効果的だったようだ。
二群のリーダーのクロウは決闘まで見守ってくれていたので反対の声が上がるはずもなく。問題は三群のハツキと、元々彼の補佐官だった現在四貴のカグラだ。この二人には簡単には認めてもらえないかと思っていたが、なんとハツキは二つ返事で僕らの婚約を祝ってくれた。カグラからの祝いの品も届きすっかり歓迎ムードだ。センリがいうには、僕とイチ様が結婚すればロウに好かれている二人を一気にお払い箱にできるので彼にはメリットしかないらしい。
「カグラ様の手紙には、新婚旅行にはぜひ四群の動物園にお越しくださいとまで書いてあります」
「動物園?」
「四群の有名な観光名所で、ありとあらゆる国の動物が間近で見られる巨大な施設です。一度イチ様と行かれてみては」
その動物園は四群の財政を支える資金源で、尚且つ四貴の住む四貴邸でもあるらしい。家がサファリパークになっていることに、僕はとても興味が湧いた。
懸念の二人にあっさりと許されて問題ないと思われたが、ただ一人、五群の貴長イズナ・ゴウからは何も届かなかった。反対されているのだろうかと不安になったが、数日後ロウがイズナ本人を連れて一群にやってきた。
「無理矢理連れてきたから少しご機嫌斜めだが、あいつと話してくれないか」
ロウにそう頼まれててっきり誰かが同席してくれるのかと思っていたが、五貴の待つ部屋に案内されたのは僕一人だった。
「イズナは人が多いのが嫌いなんだ。面会はカナタとイズナだけで頼みたい。大丈夫、危険な男じゃないから。俺は外で待つ」
「わかりました」
なんとなく、ロウの口調からただ挨拶をして結婚を認めてもらう以上の事を求められてる気がした。僕はかなり緊張しながら扉を開けた。
薄暗い部屋に通されて、一瞬誰もいないのかと思った。しかしドアが閉まると同時にシーツにくるまりながらイスに座る人物に気づいた。
「あの……」
声をかけると相手がビクッと大きく動いた。シーツの隙間から大きな瞳が覗いた。そっくり、とまではいかないがなんとなくロウに似ている気がする。髪の毛が長く、髭が少しのびている。僕に怯えているように見えて、とても人狼とは思えなかったが、頭から被っているシーツの耳の形から人狼なのは確実だった。
「パジャマ…?」
シーツから覗く彼の服がどう見ても寝巻きで困惑してしまう。ここは彼の自室だっただろうか。
「家にいたらいきなり迎えに来られて、行きたくないって言ったらシーツごと運ばれた。着替える暇もなかった」
「そ、そうだったんですね」
口調がめちゃくちゃふてくされていたのでかなり不本意だったらしい。僕は謝るべきだろうか。
「で、お前がハルト?」
「あっ、はい」
本名をきかれてビックリした。それはロウしか覚えていないはずの名前なのに。
「ロウ様からきいたんですか? 僕の名前……」
「じいちゃんからじゃない」
じいちゃんとは誰かと一瞬思ったが、すぐにロウのことだと気づく。彼は確かロウの孫という位置付けにいる人狼だ。
「昔、じいちゃんには忘れられない人間がいるって母さんが話してくれたんだ。まさか本人に会えるとは思ってなかったけど」
「?」
母親から聞いたとはどういうことなのだろう。そういう事実があったとして、僕はもう過去から消えてしまって、人々の記憶からはいなくなってしまったのではなかったか。なぜ彼もロウのように僕を覚えているのだろうか。
「あなたは僕の名前を覚えてるんですか?ロウ様以外は忘れてしまったはずなのに」
「もちろん。当然だろ、おれは何でも覚えてるんだ。じいちゃん以上にな」
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