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神様とその子供たち
008


シギとキリヤが出ていって、しばらくの後スイが部屋に入ってきた。彼には散々怒られたばかりだったのでドキドキしてしまっていたがスイは穏やかな表情をしていた。

「体調はどうですか」

「大丈夫です」

「それは何より。でもこれに懲りたら、もう勝手に抜け出したりしないことですね」

「すみません……」

「あなたに何かあったら、ロウ様が悲しみますから」

スイは温かいお茶を持ってきてくれて、僕にカップをそっと渡してくれた。彼は椅子に腰を下ろして、お茶を飲んで一息つく僕を見守ったあと口を開いた。

「先ほど、真崎理一郎が目を覚ましました」

「えっ」

「しかし脳に大きなダメージを受けたせいか、記憶を失っているようなんです。今のところ、自分が何者かも思い出せていない」

「う、嘘でしょう……!?」

真崎さんにもう一度会ったら謝ってお礼を言おうと思っていたのに、それほどまで深刻な状態だったのか。

「自分の名前はおろか、一般常識もない。日常生活に支障をきたす程の重い記憶障害です」

「治療法はないんですか?」

「時間がたてば記憶が戻る可能性はあります。でも、彼はこのまま記憶を失っていた方がいいのではないかと思います」

「どうしてですか」

「記憶があれば、彼から無理やり情報を聞き出そうとする人狼がいるでしょうし、何よりまた自殺しようとするかもしれない」

「……」

確かに、彼が死のうとしたのは恐らく自分から仲間の情報が知られるのを防ぐためだ。無理やり吐かせようとする人狼がいるなら何をしてでも止めようと思っていたが、記憶がないのであればその心配もない。

「真崎さんに会いたいです。日常生活が困難なら、僕が助けになりたいです」

「わかりました。ロウ様にお願いしてみましょう」

スイはずいぶんあっさりと僕のお願いを承諾してくれた。彼は毒気が抜かれたように穏やかな表情をして、今までずっと気が立っていたのは何だったのだろうかと思うほどだった。

「ロウ様によると、私もあなたと面識があったようです。残念ながら私は覚えていませんが。あなたの扱いを改めるか以前のままでいくか、悩みどころですね」

「そのままで結構ですから。今の僕は何もわかりませんし」

「とはいえロウ様の大事な方ですから。ああでも、ユーキ様の事でしたら私も覚えていますよ」

「兄さんの?! お話聞いてもいいですか…!?」

「構いませんが、私よりロウ様にきいた方がいい。私の何倍も詳しいですから。でも、とても優しい方でした」

今はもういない兄の事を思い出し、泣きそうになってしまう。長男の狭山祐希は兄というよりは僕の保護者の一人という立ち位置だったが、僕はとても慕っていた。

「私はロウ様より少し後に作られた人狼なんです。繁殖能力もない、ロウ様とは比べるのもおこがましいほどの出来損ないでしたが、寿命だけは長く運もあって今まで生きてこれました」

「ということは、スイ様はロウ様の息子ではないんですね」

「そうです。いま現在、ロウ様と親子でないのは私だけです。しかし私は恐らく、あと数年で寿命を迎えるでしょう」
 
「えっ、どうして?」

驚く僕にスイは微笑みながら首を振った。

「人狼は自分の身体の限界がなんとなくわかるものなんです。私にしては生きすぎた方ですが、残されるロウ様のことがずっと心残りでした。すべての重圧があの方だけにのしかかるのはつらい」

そう言って肩を落とすスイは、いつもより一回り小さく見えた。ロウが彼をとても頼りにしているのはわかっている。スイがいなくなってしまったらロウはどれだけ悲しむか。

「でも、しばらくはあなたがいてくれるとわかって、少々肩の荷がおりました。ロウには頼れる存在が必要だと思っていたので」

「それは僕のことを買い被りすぎでは……」

「折り入って、あなたにお願いがあります」

「? 何でしょう」

「イチ様とは別れて、ロウ様と一緒に暮らしていただけませんか」

「は……!?」

スイの頼みに面食らってしまう。あれだけ僕のことをロウから遠ざけようとしていたのに、どういうことなのか。

「私の今までの発言は詫びて撤回させていただきます。申し訳ありませんでした。ロウ様とは……大人の関係になっていただくわけにはいきませんが、あの方はあなたが側にいるだけで幸せなんです。そのためには、イチ様と恋人のままではいけない」

「あの、でも僕はイチ様が好きで、それは変えようがないというか。それにイチ様も同じ気持ちだと言ってくださったんです。ロウ様には渡す気はないって言ってくれたばかりで……」

「もちろん、イチ様があなたを愛してるのは本当でしょう。でも、イチ様がなぜあなたのことを好きなのかちゃんと理解していますか」

「なぜ、とは?」

「イチ様があなたを好きになった理由です」

それは常々僕が疑問に思っていたことだ。僕なんかより魅力的な人がたくさんいるのに、なぜ僕が彼に選ばれたのか今一つわかっていない。

「あなたが来るまで、イチ様の周りには人狼しかいませんでした。人狼はイチ様にとっては全員が可愛い妹か弟でしかないんです。そんな状況で恋人なんか作れるわけがない。イチ様にとっては、あなたが初めての他人で、恋愛対象になれる相手だったんですよ。ずっと恋人を作れなかったイチ様にとって、あなたはおあつらえ向きの存在だった。それだけのことなんです」

「な、なるほど…!」

スイの話を聞いて、思わず納得してしまった。スッキリした顔の僕にスイが怪訝な表情をしていた。

「なるほどって」

「す、すみません。ずっと僕も不思議だったもので。スイ様の話を聞いて疑問が解決しました」

「あなたはそれがどういうことか、ちゃんとわかっていますか? 別の人間が来ていたとしてもイチ様は好きになったでしょう。あなたでなくても良かったんです」

「それは……確かにそうなのかもしれません。だけどそんなことどうでもいいです。僕は、好きになってくれたからあの方を好きになったんじゃありませんから。きっかけはどうであれ、今は僕を好きでいてくれる。僕はラッキーです」

これまで独身を貫いてきたイチ様が突然僕を好きになったことがずっと不思議で仕方なかった。ちょっと不気味だなとすら思っていた。今まで側にいた人狼が恋愛対象外だったなら、僕を好きになってくれたのもわからなくはない。

「……あなたは、本当に一筋縄ではいきませんね。確かに、好きになる相手を強要はできない。でも、ずっとあなたを思ってきたのはロウ様です。それにロウ様は欲しいものは必ず手に入れてきた。覚悟しておいた方がいい」

「……?」

「話はここまでにしましょう。私がいまお願いしたことは内密にお願いします」

スイは優しげな笑みを見せて椅子から立ち上がる。一抹の不安が残る言葉を残して彼は部屋を出ていった。


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