神様とその子供たち
009
「大丈夫か?」
真崎が僕の怪我を真っ先に確認する。傷口を見て舌打ちすると、側にあった薄手のシャツを手に取り僕にそれを持たせて傷口を押さえた。
「今は時間がない。これで圧迫止血して、しっかり私に掴まっていなさい」
「えっ」
真崎は僕を担ぎ上げると、再び窓へと向かう。視界の端に倒れたシンラの姿が見えた。すぐには起き上がれない様子だが動いてはいる。人間なら死んでいたのではと思うほど勢い良く飛ばされたので、とりあえず息があることに安心した。酔っていて不意をつかれたとはいえ、人間を超越した人狼に一撃をくらわした真崎は何者なのか。
「行くぞ、舌を噛まないように気をつけろ」
僕がその言葉を理解する前に、真崎が窓から飛び降りた。正確な階数はわからないが、10階以上はあったはずだ。僕たち二人とも死んでしまう。
「うあああああ!!」
そのまま真っ直ぐに落下して身体がバラバラになるかと思った。しかし真崎は途中何度かどこかに掴まり落下速度を落として、無事に地上までたどり着いた。
「う、ううう、うそ、生きてるっ、生きてる…!」
「このまま走る。しばらく我慢してくれ」
「ちょっ、ちょっと真崎さん…?!」
着地してすぐ僕を抱えたまま走り出す真崎。僕という荷物をものともせず全速力で駆け抜ける。警察官というのはこんなに身体能力が高く体力も度胸もあるものなのか。僕は目の痛みと身体の揺れに耐えながら、真崎に担がれたままその場から逃げ出した。
真崎は人間と思えないくらい高速で走り続け、あっという間に人気のないところまでやってきた。休憩もなしに夜道を駆け抜けていた彼は、熊でも出てきそうな山のふもとまでくるとようやく僕をおろしてくれた。あれだけ走ったのに真崎はたいして息を切らすこともなく平気そうにしている。
「出血はどうだ。痛むか?」
「血は、どうでしょう。よく見えなくて。痛みはめちゃくちゃあります」
僕の目の傷を見た真崎は唸った。傷の深さが気になるが、それがわかればさらに痛みが強くなりそうで知りたくない気持ちもある。
「右目は開けられるか」
「ちょっとだけなら…」
「見えるか?」
「何も見えないです……」
目を開けても視界は暗いままだ。視力にまで影響が出ていることに気づいて途端に不安になる。
「………すぐ病院に連れていけなくてすまない。あと少し、我慢してくれ」
そう言って真崎はポケットからたすきのようなものを取り出した。
「これは君に目隠しをしようと思って持ってきたものだ。止血に使おう」
「目隠し?」
「ああ。今から君を隠れ家に連れていく。場所を知られたくないから、目隠しをさせてほしい」
「は、はあ」
痛みと驚きでちゃんと理解できないまま返事をしてしまう。真崎も時間がないのか止血に使っていたシャツを破くと、たすきごと目を覆い隠した。そして僕を背負うと、再び走り出した。
目隠しをされたので周りの様子はわからないが、どうせ外灯もないようなところなのでまともに目が見えていたとしても殆ど何もわからなかっただろう。速度を落とすことなく常にトップスピードで走る真崎に抱きついているだけなので、色々と今起こったことを考えてしまう。まず、真崎の正体だ。ただの人間かと思っていたのに、酔っぱらいとはいえ人狼を一撃で倒し、マンションから僕を抱えて飛び降り、怪我人を背負いながら山の中を駆け抜けている。最早人間業ではない。もしかして彼は人狼なのだろうか。身体能力だけ見れば間違いなくそうだが、もしそうなら人間の味方をしている理由もテロリストとして指名手配されている理由もわからない。
そして、僕のこの目の怪我。さっき目を開けても何も見えなかったが眼球まで傷ついているということなのだろうか。こんな状況でなければ痛い痛いと泣きわめいていたくらいの激痛だ。視力も気になるが、今はとにかくこの痛みを取り除いてほしい。
あとはシンラの家に残してきた夕日が気がかりだが、しかしむしろ夕日を連れてきていた方が大変なことになっていただろう。
ガサガサと草木を踏むような音が聞こえる。舗装されていない山道を走っているようだ。目印があるとは思えないが真崎は迷うことなく突き進んでいた。暗闇がすっかり苦手になっていたはずの僕だが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。
しばらくの後、動きが止まったと思ったら真崎が僕をゆっくり地面に下ろした後、ガサガサという音の後に鉄の重たい扉を開ける音がした。
「到着した。地下に入るから、もう一度掴まれ」
隠れ家の入口は地下へと続く穴のようだった。僕は真崎に抱えられながら彼がどんどん下へ下へとおりていくのを感じていた。
底にたどり着いた彼は早足で先へ先へと進みしばらくして歩みを止めた。僕をどこかに座らせて目隠しをようやく解いてくれた。
「ここは……?」
広い洞窟のような場所に箱がいくつも積まれて置かれていた。僕が座っているのも箱だ。入り口が三ヶ所あるが僕らがどこから入ってきたのかわからない。天井から光が差し込んでいるので照明でもついているのかと思ったら、小さな球体が浮かんでいた。以前、真崎が見せてくれた携帯用外灯だとすぐに気づいた。あの時は室内で光っていたのでとても眩しいと思ったものだが、この広い地下室では頼りない光に見える。
真崎が何やらごそごそ木箱を漁っていると思ったら、手にガーゼと消毒液が握られていた。その救急セットはいつからこの場所にあるものなのだろうか。尋ねる前に真崎に「しみるぞ」と言われ消毒されてしまった。
「うう〜〜」
「すまない、ちょっと我慢してくれ」
真崎は僕の目にシールのようなものを貼る。感なんとなく潤いがあって、湿布でも貼っているような感触だった。
「止血用パッドだ。これで血は止まるはず」
「ありがとうございます」
「いや、礼なんて言うな。もっと早く助けに入っていれば、怪我させずに済んだんだ。私の責任だ」
真崎は本気でそう思っているようで僕は驚いてしまった。あそこで起こったことは真崎に原因があるとは思えない。
「あ……僕、あそこで真崎さんの名前を呼んでしまいました」
「え?」
「ごめんなさい。シンラ様に聞かれたかも」
真崎の名前を呼んでしまった事で彼の正体がバレてしまったかもしれない。居場所が人狼に知られると彼が逃げにくくなってしまう。
「君は真面目だな。そんなこと、もう気にしなくていい」
真崎が僕の頭をくしゃくしゃと優しく撫でる。彼の事を父親みたいだと思っていたことを思い出した。
「真崎さんは、どうして僕があそこにいるってわかったんですか」
僕なんか助けている余裕が彼にあるのだろうか。気になっていたことの一つを尋ねると、彼はバツが悪そうな顔になった。
「申し訳ないが、そもそもあの下級市民の施設に君が入れられるように仕向けたのは私なんだ」
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