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神様とその子供たち
002


阿東彼方(アトウカナタ)。それが僕の仮の名前らしい。しかし画面に表示された阿東彼方の個人情報を見て、突っ込まずにはいられなかった。


「……写真が僕じゃない。誰ですかこの人」

「あー、悪い。写真を変えるのはちょっと骨が折れるんだ。そいつは本物の阿東彼方だよ」

「実在するんですか!?」

「心配しなくても、阿東はもう日本にはいない。行方不明扱いだが、おそらくもう国外に逃げているだろう。こういう輩はたまにいる」

「でも、それじゃあ僕が偽物だってすぐバレちゃうんじゃ…」

「家族ごと行方不明だからな、今頃国外で家族全員幸せに暮らしてるだろう。彼を探すような親戚もいないし、知りあいも遠方にしかいないから問題ない。君が成り代わっても誰も気づかないだろう」

「でも写真が違ったらさすがにバレると思うんですが」

「写真は……結構お前に似てると思ったんだが」

「えっ?!」

そう言われてもう一度まじまじと顔写真を見る。阿東彼方は写真の写りが悪いのかもしれないが、これといって特徴のない顔をしていた。自分もあまり人の事を言えない地味な顔なので、もしかすると人から見ると結構似ているとも言えなくないのかもしれない。

「でも彼、かなり若く見えます」

「写真は7年に一度しか撮らないからな。これは14の頃の写真だ」

まだ若い阿東彼方の写真を見て気持ちが塞ぐ。上級市民なのにこの年で国外逃亡とは、思ったよりここの世情は酷いものなのかもしれない。顔をしかめながら阿東のプロフィールを読んでいると、名前のすぐ下にある年齢の欄を見て顔をしかめた。

「待ってください、この人15歳なんですか」

「そうだが」

「僕はもう18です!」

「だから?」

「いや、だって、どう見たって15歳には見えないでしょう?」

自分は童顔でもチビなわけでもない。15歳だなんて顔写真が違うことよりも問題だろう。

「意外と細かいことを気にするんだな。君くらい大人びている15歳などいくらでもいる。それに、15の方が何かと都合が良い」

「どうして?」

「18だと君は成人になる。15歳なら保護者不在の場合、私が君の後見人になることでしばらくはここに置いてやれるが、18歳ではそうもいかない」

「……」

真崎の説明は納得するには十分だったが"しばらくは"という言葉が引っ掛かった。勿論ずっと彼の家に居座ることはできないとわかっていたが、僕はここで本当に一人で生きていけるのだろうか。そう思うと同時に、目の前の彼を信頼し始め、それどころか依存しかけている自分に驚いた。

「15なら、僕は学校に通うべき年齢ということですか」

「いや、君のいたところではそうかもしれないが、ここでは違う。上級市民でも15歳になればみな働く。そこからさらに学校に通い続けられるのは余程の秀才か金持ちの子供だけだ」

「そうなんですか……」

つまり僕はもう働かなければならない年齢ということか。将来のことを両親になかなか言えずにいた事が遠い昔のようだ。これまでずっと勉強ばかりしてきた人生なのに、右も左もわからない場所で働くことができるのだろうか。

「安心しろ。慣れない君でもできる仕事はある。いい仕事を探して紹介しよう」

「……ありがとうございます」

真崎は僕の不安を取り除くように笑ってくれる。それでもとても安心できるはずもなく、それには愛想笑いを返すしかなかった。

「さて、明日から外に出るわけだが、その前にどうしても見てもらわなければならないものがある。これはかなりショッキングな写真だから、心して見て欲しい。トラウマになるもしれないが、大切なことなんだ」

彼が壁に映されていた僕の偽の個人情報を消して、小型のタブレットを操作する。彼の説明が怖くて目を細めていると、中年の男性が血まみれで倒れている写真が映った。どう見ても死んでいるように見える。

「こ、これ本物ですか…!?」

「ああ、約一年前、下級市民が多く住む地域で起こった殺人事件だ。監視カメラの映像が残っていたから犯人はすぐにわかった。まだ若い人狼の男だ。殺害の理由は彼に睨み付けられた気がしたから、だそうだ。ただそれだけの理由で喉をばっさり。しかし彼は逮捕もされず、更正施設に半年入れられただけだった」

「……どうして?」

「下級市民は、人狼にどんな扱いを受けても何もできないということだ。これが上級市民ならさすがに刑務所には入れられただろうが、2、3年もすれば出てこられる。寿命の長い男の人狼にとって、それがどれだけ短い刑期がわかるだろう。人狼にとって、人間の命はそれくらい軽い。こんな事件はさして珍しくもないんだ。つまり何が言いたいかというと、もし人狼に会って理不尽な事をされたり言われても、けして逆らわず彼らの望むままにしなければならないということだ。それを理解してほしくて、この画像を見せた。行動に気を付けなければ、君もこうなってしまうかもしれない」

「……」

彼に言われた通り、写真の無惨な死体を見る。ドラマの作りものしか見たことない僕にとって、とても直視できるようなものではない。しかしこれが自分の未来の姿かもしれないと言われると、怖くても直視するしかなかった。

「とはいえ、人狼は本来とても賢いから、こちらがおとなしくしていれば見境なく人間を殺したりしない。人間に優しく接してくれる人狼も多い。特にこの辺りに住むのは穏やかな方たちばかりだ。あんなものを見せた後でなんだが、必要以上に怯える必要はないんだぞ」

肩を優しく叩かれ、黙って頷く。こんな時なのに僕は以前母親に言われたことを思い出していた。

僕は昔から、自分が正しいと思っていることは絶対に貫くタイプだった。学校のルールを守らない不良や、勉強を嫌う生徒のことは馬鹿にしていたし、軽々しく家族の悪口を言うクラスメートに向かってお前は恩知らずだとはっきり責めたこともある。
教師ともクラスメートとも口喧嘩が多く孤立していく僕に、母さんは言った。僕の考えは間違っていない。でもそれは必ずしも他人に押し付けてわかってもらう必要はないと。自分を偽る必要はないが、他人にあわせるふりをして口を閉ざすことが時には最善なのだと。自分の教育のせいで僕がこの先、生きにくくなることは嫌だと言ってくれた。

それからは誰かと対立するのはエネルギーの無駄だと気づき、無難に過ごすことを覚えた。何よりも勉強を優先していた僕が親友を作ることはなかったが、平和に学生生活を送るには十分な処世術は身に付けた。
つまりは、ここでもそれと同じことをすればいいのだろう。どれだけ納得できなくとも、自分を曲げて争いを避ける。いつか家に帰るその時まで、自分の命を守るためならばなんだってできる。

「わかりました。問題は絶対に起こしません」

「君の物分かりが良くて助かった。未来旅行だと思えばきっと楽しいぞ。楽しみにしておきなさい」

おおげさに明るく振る舞う真崎につられて笑みを浮かべる。もともとの顔立ちは賢そうでどこか冷徹にも見えるが、精一杯僕を怖がらせまいと笑顔を作っているのがわかる。
ここまでされるともう真崎が悪い男だとは思えないが、だからといって完全に信用できるわけでもない。だからこそ得体の知れない僕をここまで信じられる彼には驚いていた。

「……真崎さんが、僕を助けてくれる理由は聞きましたが、僕が嘘をついてあなたを騙しているとは思わないんですか…? あっ、いえもちろん嘘なんかついてませんが」

もし僕がテロリストならば、それを庇った真崎こそあの写真の男のようになるかもしれない。今のところ僕の言葉が真実という証拠は何一つないのだ。

「前にも言ったが、私は君の事はまったく疑っていない。私と会ったとき、君の目は心の底から怯えていた。演技でできるような目じゃない」

「僕、そんなに怯えてましたか」

「生まれたての子鹿みたいにぷるぷるしていたぞ。いや、失敬。冗談だ」

僕が顔をしかめたので真崎が慌てて謝る。あの状況になれば誰でも怖いだろうに、真崎がおかしそうに笑ったので恥ずかしかった。

「それに、助けたのは君のためだけじゃない。腕にコードがないということは、新生児だった君にコードをつけず匿った人間がいるということになる。犯人探しはどうしても避けたかった。それに私がこうやって色々と誤魔化したり偽造するのは始めてじゃない。君の時よりも危ない橋を渡ったことは何度もある。だから何も気にしなくていい」

真崎の事を心配して言ったことではないのに、彼は僕を安心させるように頭を撫でた。自分の父親とは似ていないが、彼は同じように優しい。父の意思を継いでいると言っていたが、彼自身に子供はいないのだろうか。そんなことを訊けるほど、彼とは親しくはないが。

「今夜は私のベッドを使いなさい。休みの前の日は遅くまで録画していた番組を見るから、どうせソファーで寝てしまうんだ。シーツを代えるから、待っていろ」

その気遣いが嬉しくて、警戒から来る遠慮よりもありがとうと自然にお礼の言葉が口から出る。寝室に向かう背中を見て、彼に助けられて良かったと心の底から思った。


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あきゅろす。
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