神様とその子供たち
017
寝ぼけていた時の事は覚えていないらしいイチ様は、いつも通りのクールな顔で仕事へと向かった。ロウがいるのであまり話もできなかったが、イチ様と少しでも一緒にいられて嬉しかった。ゼロも同じ気持ちのようなので、このままずっとこの部屋で寝起きできたらいいのにと思い始めていた。
僕はこのままイチ様の部屋にいてもいいということになったので、イチ様とロウがいなくなってからもゼロと一緒にその場にとどまった。この部屋にいればハレに一緒にいてもらう必要もないので、二人でのんびりすごしていると外からノックの音が聞こえた。
「はい、どちら様で一一」
「? なんだお前」
「うわあ!」
相手はまさかのハチだった。迂闊に開けてしまった事を後悔したが今更どうしようもない。
「何で人間のお前が兄様の部屋にいる!」
「色々と事情がありまして……、僕だけじゃなくゼロもいます。お昼寝中なのでどうかお静かに」
「あ? ああ、それはすまん」
ハチは恐ろしいがとても素直な人狼だ。彼はあまり物音をたてないように部屋に入りきょろきょろと中を見回した。
「兄様はどこだ」
「イチ様ですか? 仕事に出られましたが」
「なんだと」
いや普通に考えて休みでもないのにこんな時間に部屋にはいないだろう。少し馬鹿なのかなと失礼なことを思ったが当然口にはしない。
「兄様は俺のことを、何か言ってなかったか」
「何か……いえ、特には」
「そうか、できれば直接会って謝りたかったんだが」
何を謝るというのだろう。家で暴れてしまったことだろうか。
「そんなにビビらなくても、俺はもうここを出て八群に帰る。怖がらせて悪かったな人間」
「えっ、そんなことは……」
まさかハチから謝られるとは思わなかった。人間嫌いときいていたが、父親に少し言われたくらいで僕にここまで優しくなるなんて。ロウの影響は相当大きい。
「どうも俺は古い人狼でな、人間ってだけでもう無理なんだが、俺より重症だった父様がお前を受け入れてんのが未だに信じられない。ただ、父様の不眠症は酷かった。それが治るんならお前に敵意は向けねぇよ」
「ありがとうございます」
「トツカのマッサージと睡眠薬でずっと誤魔化してきたけど、限界をとうに越してたからな。父様の睡眠障害を治すために何かやりたかったけど、俺にはどうすることもできなかった」
ハチは少し落ち込んだ様子で椅子に座る。自分ではなく人間の僕がロウを助けになったことに気落ちしているのだろうか。
「俺、字が読めないんだ」
「え?」
「勉強しなかったわけじゃなくて、字を読むのがすげぇ苦手なんだよ。俺らには得意不得意があるのは知ってるだろ。俺の場合、それが字なんだ。多分俺は他の奴らより頭がよくない。父様を武力で守るくらいしか役に立たないってわけだ」
人間でも読み書きの障害がある人はいる。恐らくハチはそれなのだろうと思うのだが、もしそうならそれは頭の良さとは関係がない。しかしハチのことを何も知らない僕がそんなことないと思いますなどと軽々しく言ってもいいのだろうか。
「何か言いたそうだな」
「いえ! …あの、僕なんかにそんな話をして良かったんですか」
「は? 何が?」
「自分からできない事の話をしてくれた人狼の方は初めてだったので」
人狼は苦手なことはもちろん得意なことも基本的に隠している。彼らにとってそれは弱点であり相手に知られていないことは強みになるので、おいそれと他人にはおしえないのだ。イチ様やセンリの優れた能力はおおやけになっているが、苦手なことは知らない。なのにハチは大嫌いなはずの人間に自分の弱点をしゃべってしまっている。
「俺は別に隠してないから。むしろ周りに知っててもらわねぇと逆に不都合。なんでもかんでも文字で連絡寄越されたら、そのたび誰かに読んでもらわねぇといけなくなるし」
「確かに、その通りですね」
「でも、そうだな。おればっか話してんのは不公平だもんな。お前の苦手なことも話せよ」
「……」
すぐに思い付くのは飛行機だが、今となってはそれほど苦手なものでもない気がする。もっと恐ろしいものを僕はもう知っている。
「一人になるのが怖いです」
「? 一人?」
「はい、家族が…大事な人がいなくなってしまうことが、僕にとってはなにより恐ろしいです」
ハチが聞いているのはそういうことではないと思うのだが、なぜか僕の口は止まらない。嫌な記憶がフラッシュバックする。
「そうか、確かお前は家族を事故で亡くしたから兄様のところに来たんだったな」
「はい」
本当は亡くしてるのではなく生き別れてしまったのだが。しかしハチは思ったより話しやすい男だ。初対面ではひたすら怖かったのに、今ではこうやって自分のトラウマまでペラペラ話してしまっている。人狼に対する警戒心が薄れ、怖いと思うことすらなくなってしまったのだろうか。
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