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神様とその子供たち
空白


人狼が暮らすマンションとしてはとても質素な一室に、まさかあのロウが足を踏み入れる日が来るとは思わなかった。

シンラの部屋から人間のカナタが拉致されてすぐ、ロウとイチとクロウを含む大勢の人狼が捜査に乗り込んできた。負傷していたシンラが一番最初に思ったことは、常日頃から部屋の片付けを徹底しておけば良かったということだった。

感動したり挨拶をしたりする間もなくカナタについて根掘り葉掘りロウに訊かれて、必要な情報を手にいれると彼らはすぐに部屋から出ていってしまった。残ったロウの護衛に病院に連れていってもらったが、幸いたいした怪我ではなかったのですぐに家に戻ることができた。
その後は人間のユウヒに助けてもらいながら自宅療養をしていたが、しばらくしてカナタの無事とシンラを襲ったテロリストの死亡の報告があった。

その後改めてユウヒと共にロウに呼ばれた時、嬉しくもあり怖くもあった。カナタという人狼は確かにイチが雇っていた人間だった。それを本人から聞かされていたにも関わらず報告しなかったのだ。しかもあろうことか彼の目に怪我をさせてしまった。ロウに再び会えるのは嬉しかったが、きっと自分は罪に問われるのだろうとシンラは思った。

到着してユウヒとはすぐ引き離された。ロウと会うのに人間を同席させるわけにはいかないので当然ではあったが、心細そうなユウヒの顔を見ると彼を一人残していくことに不安を覚える。もし自分がそのまま逮捕されたらユウヒと会えるのはこれが最後かもしれない。なんとなく、そうなったらユウヒはどうなるのだろうと思った。

ここで待てと言われて五分もしないうちに、待ち望んだ相手が現れた。

「シンラ、来てくれてありがとう。この前は挨拶もしないまま出ていって悪かったな」

「ロウ様……」

ロウが現れるまでずっと平伏していたが、かけてもらった声があまりに優しかったので、自分が何のために呼ばれたのか一瞬忘れた。

「頭を上げて。椅子に座ってほしい」

ロウの言葉に促されるままに立ち上がり、目の前の長椅子に腰を下ろす。すぐ横にロウも座ったので、距離があまりに近くて心臓が縮みそうだった。この前初めて会話した相手なのに、側にいるだけで幸せが満ちた。間近で見るロウの顔はとても優しげで、無礼を承知で抱きつきたい衝動にかられたが後ろに立つ大きくて強そうな護衛が怖くてやめた。

「怪我はほぼ完治してるって聞いた。良かったよ」

「俺の方は問題ありません。あの、カナタの怪我は……」

「命に別状はない。ただ、視力が戻らないかもしれない」

「そんな……そんなことってあるんですか? 手術すれば……」

動揺するシンラの肩に手を添えて、ロウは首を振った。

「カナタは人狼じゃない。名医のヒトは人狼専門の医者だ。アイツにお手上げといわれてはどうしようもない。一応人間の医者の意見も聞いたけど、同じ返答だった」

「……では、俺は逮捕されるんですね」

失明という後遺症が残った以上、実刑は避けられないだろう。相手は下級市民ではなく上級市民。それも一貴が雇っている一群の上級市民だ。考えうる一番重い罪が言い渡されるはずだ。

「何を言ってる。そんなつもりはない」

「いや、でも」

「そもそもカナタが望んでない。あれは自分がシンラに酷いことを言ったせいだと本人が言った。それに、故意ではなく事故だったとも」

確かに人間に怪我をさせたくらい、ロウならば問題ないと捉えるだろう。しかしカナタの雇い主であるイチは別意見のはずだ。

「……しかし、イチ様は許してくれないのでは」

「イチはカナタの意見を尊重すると言ってる。だからもう気にするな。シンラを呼んだのはカナタに謝る機会を作ろうと思ったからだ」

「それは……ありがとうございます」

本当にそれでいいのかという気持ちとこれで刑務所に入らなくてすむという安堵が混同する。おもむろにロウがシンラの手に自分の手を重ねてきて、思わず「うひゃあ」という奇声を上げてしまった。

「そんなに自分を責めるなよ。カナタに悪いと思うなら、まず酒をやめろ。あの部屋、酷かったぞ」

“シンラ、聞こえるな”

突然脳内に直接声が聞こえてぎょっとした。

“反応はするな。俺の声がちゃんと聞こえてるなら、俺の手を握り返せ”

しかし、それほど驚くことはなかった。それはシンラ自身同じことができたからだ。
自分の考えを話さずとも、相手の目を見るか身体に触れると考えを伝えることができる。ただそれは一方通行で、自分が誰かの意思を受け取ることはできなかった。つまりこれはロウの能力だ。自分と同じ特技があったことにシンラは驚きつつも、黙って手を握り返した。

「空き缶の数から考えて、毎日飲んでるだろ。あればどう考えても飲みすぎだ。量を減らせ、いやもう飲むな」

“今からする俺の話を、後ろの護衛には聞かせたくない。だからこうして会話してる。何を言われても、彼らに悟られるような反応をしないでほしい”

ロウは声を出して自然に話すと同時に声を使わない会話も継続した。とても器用な人だ。シンラは表情に気を付けながら脳内の言葉に集中した。

「酒を断つのが難しいのはわかる。でも俺が責任をもってお前を断酒させてみせる。いい病院があるんだ。二群にあるから、シンラも通いやすいと思う」

“お前の特技は精神感応だろ、公式には。でもそれだけじゃないのを俺は知ってる”

「……」

ロウの言う通り、シンラの力はそれだけではない。昔、酔っぱらって喧嘩をふっかけられ、酷い怪我を負ったことがある。その時、自分の身を守るため相手に力を使った。通常、心のなかで強く言葉を念じることで相手の脳内に伝わるが、その時シンラが念じたのは空っぽの空白だった。
なぜそんなことをしたのかはわからない。咄嗟の事で、相手の気が散って逃げるチャンスを作れればいいと思ったのかもしれない。しかしその場で相手は昏倒し、動かなくなった。息はしていたのでそのまま放置してそこから逃げた。

後からわかったことだが、相手の男はあの後病院に運ばれて目を覚ました時には数年分の記憶を失っていた。そのためシンラが罪に問われることはなかったが、自分の力のせいなのは明らかだった。
当時のシンラはその力を利用して金を稼ぐことにした。記憶を消したい相手がいる連中は多い。人狼を相手にするとバレるリスクが上がるので、商売相手はもっぱら人間だった。
しかしそうやって数年仕事で記憶を消していくうちに、自分がそれをコントロールしきれていないことがわかった。より大きな空白をイメージできれば、たくさんの記憶が消える。
その時の依頼は過去30年分以上の記憶を消すことだった。それを実行したとき大きな空白をイメージしすぎて、相手が廃人になってしまったのだ。言葉も、歩き方すら忘れた脱け殻になってしまった。
その姿を見て、シンラは怖くなった。次も同じ失敗をして、同じような人間を作ってしまうかもしれない。それ以来、その力は使っていない。しかし今さらまっとうに働くこともできず、ずっと生活保護を受けていた。

「断酒できたら、俺が仕事を紹介する。俺の紹介ならだいたいどこにでも入れるぜ。ただし、仕事はサボるなよ。紹介した俺の面子があるからな」

“その特技を見込んで頼みがある。お前を攻撃したテロリスト、真崎理一郎は実はまだ生きている。意識はまだないが、じきに目覚めるだろう。シンラには、真崎に今から会ってもらう。表向きの理由は本当に本人か顔の確認をしてもらうためだ。その時何か理由をつけて真崎に触れ、彼の記憶をすべて消してほしい”

“……え? どうしてそんなことを? それに、なぜ俺に指示を?”

ロウが自分の隠れた特技を知っていたのも驚きだが、テロリストの記憶を消せと言う指示の方が不可解だった。そしてその仕事を面識のないシンラに頼むことも。

「生活保護は確かに楽かもしれない。でも裕福になるだけじゃなく、仕事は生き甲斐になる。多くの人狼が働かなくても生きていけるのに働くのは、それが理由だ」

“真崎は意識が戻れば、すぐに自殺するだろう。自分から仲間の情報が漏れるのを防ぐためだ。確かに記憶を消せる力を持つ者はうちにもいるが、俺以外の人狼は、奴から何か情報を聞き出してから消去しようと考えるはず。それが人狼の、そして俺のためだと思ってる”

“俺はかなりのバカですけど、俺だってそう思います”

「お前が下級市民を買っていたことを今さら咎めるつもりはない。でも、カナタは同じ人間のユウヒのことをとても心配してる。彼を正式に雇うことがカナタへの償いになるし、そのためには仕事をしないと」

“それじゃ駄目だ。真崎は訓練された特別な人間だ。覚醒したその瞬間に命を絶つかもしれない。あの男が自害したら、カナタがとても辛い思いをする。そんなことは絶対にさせたくない。だからあの人間は、どうしても生かしておかなきゃならないんだ”

「………」

このとき初めて、ロウがカナタという人間を追っていたのがテロリストを捕まえるためでも息子のためでもなかったことを知った。カナタを大切に思っているのは他でもないロウだったのだ。なぜなのか理由はわからないが、自分と人狼の敵である人間を捕まえられるチャンスを得るより、カナタのことを優先している。

「今までの人生を捨てるのは大変だと思う。でもシンラが償いたいと、変わりたいと思ってるなら俺はいつでも助けになる。どうだ、やってみないか」

“俺が人間のカナタを庇う理由を説明してる時間は今はない。でも、カナタは俺の唯一無二の大切な人間なんだ。どうかシンラの力を貸してほしい”

“でも、俺は力のコントロールがうまくできません。もしかしたら、真崎の精神ごと消してしまうかも。一度やれば元には戻せません”

“もしそうなっても責めはしない。それより確実に彼の記憶すべてを消してほしい。これは命令じゃなくて、お願いだ。シンラがその力のせいで辛い思いをしたのも知ってる。だから強制はしない”

断るべきなのはさすがのシンラでもわかった。しかし、ロウのたっての願いに、嫌だと首を振れる人狼がはたして何人いるのか。ロウが望んでいることならば何だってやれる。シンラはさほど迷うことなく頷いていた。

「やらせてください。必ず、やり遂げてみせます」


おしまい
2021/8/19

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