神様とその子供たち
002
「そもそも何故、その人間がいたらロウ様は安眠できるんですか?」
フウビの言葉に一瞬静寂が訪れる。それは僕自身も知りたいと思っていることだ。
「理由は不明です。ロウ様自身にもわからないそうで」
「ああ? なんだそりゃ」
「フウビ様。僕の言葉はイチ様の言葉です。言葉遣いには気をつけてください」
むむ、とフウビが唇を固く結ぶ。もしかして全員が敬語なのはイチ様に話していたからなのか。
「理由がわからないのなら仕方ありません。とりあえず、今はその人間をロウ様に同行させるしかないのでは」
医者のヒトの提案に僕は目を見開く。それは嫌だ、と言える雰囲気ではとてもなかった。
「いやいや先生、人間をロウ様の側に、しかも寝所に置くなんてダメだろ」
「おやフウビ、聞くところによると寝所ならすでに何度も共にしているようだが?」
「俺の許可なくロウ様が勝手にな!」
「ならば今更気にすることはないはず。こんな小さな人間に何かできるとは思えませんし、何よりセンリのお墨付きなら信用できます」
ヒトがイチ様とセンリを見ながらそんなことを言う。僕がロウに同行するという事でどんどん話が進んでいるのが怖い。この悪い流れを断ち切ろうとセンリが口を挟んでくれた。
「カナタさんはうちにはなくてはならない存在です。イチ様の養子であるゼロはカナタさんにしか懐かないので、いなくなられてはイチ様の職務に支障が出ます」
センリに紹介されたゼロへ皆の視線が集まる。ゼロはだっこされるのに飽きたのか僕の口まわりをペロペロ舐めていた。
「ではゼロもロウ様に同行させるというのは?」
「はい??」
ヒトの提案にセンリが勢いよく聞き返す。もちろん聞こえなかったからではなく、その話が信じがたいものだったからだ。
「ロウ様に牙をむくわけでもないのですから、可能ですよね」
「うーん。確かにロウ様の健康の事を第一に考えるなら、この人間にはいてもらった方がいい…のか?」
「イチ様はどのようにお考えで」
マドカの言葉にイチ様が口を開く。センリは代わりに答えようとしていたが、イチ様が自分で話そうとしていることに気づいて口を閉ざした。
「……いやだ」
「え?」
「……」
イチ様の返事があまりに子供っぽすぎて全員が聞き間違いかと耳をそばだてる。しかしイチ様はそれ以上何も言おうとはしない。するとセンリが立ち上がって顔を手でおさえながら大袈裟に叫んだ。
「酷い! 皆様酷すぎます! ゼロはずっと結婚もせず孤独だったイチ様にやっとできた家族なんですよ。ゼロだってイチ様の事を父親だと思っています。父と子を引き離すような真似がよくできますね!」
演技なのか本気なのかわからないセンリの熱弁に圧倒される僕。しかしこれで諦めてもらえるかもしれないと甘いことを考えていたのは僕だけだった。
「イチ様が孤独とは聞き捨てならないな。ロウ様からあれほど愛されているのに、どこが孤独なんだか」
「そうですよ。たまに会えても『やっほー』ぐらいしか声をかけてもらえない私によくそんなことが言えますね」
「確かに……ロウ様に会う機会を少しでも増やすため必死に勉強し働いて今の地位にまで上り詰めたのにロウ様の関心はいつもイチ様にばかり向いて……」
「ちょっと、ちょっと! 今はそういう話ではないでしょう! それにイチ様はロウ様の第一子、そもそもあなた方とは立場が違うんです」
「ナナ様、ハチ様、キュウ様だってロウ様の大事なご子息じゃないですか。それなのに長男というだけでロウ様を独り占めする権利がありますか?」
「だいたいズルいんだよイチ様は。言いにくいことは全部センリに言わせてさぁ。ロウ様が来てくださっても嬉しそうな顔一つしないで」
「フウビ様! それはイチ様への侮辱ですか!?」
真面目に行われていた会議がだんだん混沌としてきた。もうただの喧嘩になってきたと思っていると、突然扉が開いてロウが飛び込んできた。
「ロウ様!?」
ずっと静観してきたスイがあわててロウに駆け寄る。ロウはといえば寝起きだからなのかまだ疲れがとれていないのか目がすわっていた。
「突然いなくなられて皆心配しました。大丈夫ですか?」
「ああ」
ぶっきらぼうに答えたロウはすみっこの方で隠れるように座る僕を見つけると、怒った様子でずかずかとこちらにやって来た。
「おい! 何で勝手に出てくんだよ。おかげですぐ目が覚めちゃっただろうが!」
「ご、ごめんなさい……」
「ベッドの下とかマットの隙間とか探してたんだぞ。お前細いから挟まって抜け出せなくなってるかと思って」
さすがに僕でもそこまで薄っぺらくない。僕を叱るロウの背後に大柄なフウビが立ち、泣きそうな顔で詰め寄った。
「ロウ様、ご無事で何よりです。姿を消されてしまって、我々生きた心地がしませんでした」
「フウビ? 相変わらずデカいなお前。迷惑かけて悪かった」
「ほんとですよ。俺達の目を盗んで抜け出すなんて芸当、ロウ様ぐらいにしかできません」
フウビが当たり前のようにロウを抱き締めると、大柄なはずのロウの体がすっぽり包まれてしまった。「お、折れる……」という声がかすかに聞こえる。
「ロウ様、お久しぶりです。体調不良と聞き心配しておりましたが、お元気そうで安心しました」
マドカが嬉しそうににこにこしながらロウに挨拶する。フウビから抜け出したロウはマドカを軽く抱き締めた。
「マドカ、久しぶり。ユネとリユは元気か?」
「どちらも息災に過ごしております。二人ともロウ様に会いたがっていますよ」
「また時間作るよ。お前にはイチが世話になってるしな」
二人が並んで気づいた事だが、マドカの顔に見覚えがあると思ったら、彼はロウによく似ているのだ。人狼は銀髪が普通だが彼の髪色が茶色だったせいですぐには気づかなかった。彼もロウの血縁者なのだろうか。
「ロウ様ぁぁ…」
医者のヒトが泣き始めたので僕はぎょっとしてしまった。他の皆は慣れているのかまったく気にもとめていない。
「顔色が…戻られて……お元気になられて、良かったです……心配いたしましたぁ……」
「寝不足だっただけだから、大丈夫だって言ったろ?」
「一睡もできなければ、さすがのロウ様でももたないかと…ううっ……」
鼻をすする音が部屋に響く。ロウは笑顔で僕の腕を取り立ち上がらせた。
「改めて皆に紹介する。阿東彼方だ。こいつがいれば、もう大丈夫。俺はもう不眠症とはおさらばだ」
ロウに紹介され僕は何と言えばいいのかわからなかった。ただ、その有無を言わさぬ言葉に、これまでの議論がまるで無駄になったことはわかった。
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