しあわせの唄がきこえる
002
この前の席替えと同時に、掃除のメンバーも変更になった。今までは流生と同じ班だったので特に問題はなかったが、流生がいないことで俺はとても困ったことになっていた。
「……誰もいねぇ」
今日は俺の班は南側トイレの掃除だったが、俺以外誰一人掃除に来ていない。全員が全員忘れるなんて考えられないし、これが嫌がらせの類いであることはすぐにわかった。
みんながやらないなら俺もサボりたくなってきたが、何もせず帰るのは嫌だし最後に先生の点検がある。そこで誰も掃除してないのがバレたら翌週もトイレ掃除なので、それだけは嫌だった。
「……一人ででもやるしかないか」
腹は立ったが、自分だけでやった方が逆にやりやすいかもしれないと思い直し無理矢理やる気を出した。でも先生が他の生徒はどうしたと訊いてきたら絶対チクってやる。ドラマとかでよくあるいじめられっ子みたいに報復が怖くて黙ってるとかしない。
けれど先生の見回りはある日とない日がランダムにある。もしかすると今日は来ない日かもしれない。せっかく掃除しているのだから先生来てくれ! とデッキブラシでタイルを擦りながら念じていると、入り口の方から人の気配がした。先生かも、と期待を込めて振り向いたがそこにいたのはとんでもない人物だった。
「うっわ! 羽生さん!?」
見間違えようのない長身赤髪の不良に俺は飛び上がって驚く。すぐに逃げようとしたが羽生さんはトイレの入口、俺はトイレの中。逃げ場がない。
「羽生さん、どうしてここに……」
「俺がトイレに来たら悪いのか?」
「そ、そんな滅相もない! どうぞ!」
どうぞっていったい俺は何を言ってるんだ。だが羽生がいつもたむろしてる場所からも3年の教室からもここは遠い。用を足しに来ましたと言われてもやすやすと信用できるはずもない。
「あ、俺外にいますので」
「おい」
「な、なんでしょう」
ドスのきいた声で呼び止められ逃げ出そうとしていた俺も足を止めるしかなかった。やっぱり俺に何か用があったんだ。羽生一人なのがいいのか悪いのか。とりあえず諫早さんにはいてほしい。
「お前、昨日何か言いたそうにしてたろ」
「え」
「変な顔して俺の方見てたじゃねーか」
変な顔した覚えはないが、確かに昨日俺は羽生を見ていた。引っ掛かることがあったからだ。
「昨日は、どうして見逃してくれたのかなって思って」
「ああ?」
「あ、いや、すみません。もちろん感謝してるんですけど、理由が……」
あの時うまく逃げ出せたのはきっと羽生が追いかけようとしなかったからだ。あれだけキレていたのに、どうして手を出してこないのかと疑問だったのだ。
「多分、昨日だけじゃないですよね。崎谷先輩と羽生さんはずっと決着がついてないって聞きましたけど、それは羽生さんが敢えてつけてないだけなんじゃ……」
「何でそう思うんだよ」
「だって、羽生さんが本気だしたら、先輩勝てないだろうし」
「はぁ? お前に俺らの力の差がわかんのかよ。ド素人のくせに」
羽生の方が強いって言ってんのにどうして怒られているのか。もう何を言ってもこの人にはキレられる気がする。
「だって、崎谷先輩は確かに身体も鍛えててすごく強いですけと、他にもたっくさん趣味があるんですよ。喧嘩のプロみたいな羽生さんに勝てるとは思えません。体格差もすごいし、先輩もそれはわかってるんじゃ……」
「あいつが!?」
「いや、俺の想像なんでわかんないですけど!!」
羽生が物凄い怖い顔をするので慌ててフォローする。何でこの人こんなに怒ってるんだ。
「仮にそうだったとして、オメーは何で俺が崎谷を見逃してると思う」
「それはもちろん退学になりたくないからでは」
諫早さんもそう言っていたし、先輩もそう脅していた。しかし羽生の短気さを考えると意外と理性的な理由だ。
「……お前、それ誰にも言うな。うちの連中にも、崎谷にも」
「え?」
それってどれだ。ポカンとする俺にイライラした様子の羽生が言いづらそうに口を開いた。
「野郎に、退学が怖くて逃げてるなんてバレてみろ。下の連中にだって知られるわけにはいかねぇ。崎谷は俺に関わってこねぇし、そこまで目立ってたわけじゃねえから誤魔化せた。今までは」
「でも羽生さん、前に先輩のこと本気で殴ろうとしてましたよね。諫早さんに止められて、何事もなく終わりましたけど」
「一度頭にくると自分でも止められねーんだよ。だから諫早を側につけてる。あの時のことも戸上達には言うな。何で俺が黙ってるんだって話になるからな」
「……はい」
「俺はどうしてもここを卒業しなきゃなんねぇんだよ。奴等を見返すためにも…」
「?」
いつになくしおらしい羽生に俺は初めて親近感が湧いた。別の種類の人間みたいだったのに、今は俺と殆ど変わりないように見える。彼とまともに会話ができる日がくるなんて。
「平和に過ごしてぇなら、崎谷を俺に近づけさせるな。目立つこともさせるな。お前が奴を管理しろ。後ろ楯がなかったらとっくに始末してるような奴だ。俺が本当は崎谷をすぐにでもぶっ飛ばしたいってことを忘れるな。スイッチ入ったら、何するかわかんねぇぞ」
羽生の脅しにうんうんと必死に頷く。もしかしてこれを頼みに来たのだろうか。あの羽生が一人で俺と話にくるなんてよっぽど切羽詰まってるに違いない。昨日も視線だけで先輩を殺せそうなぐらい恐ろしい目をしていたし、我慢の限界が近づいてるのだろう。
「お前も、俺にはもう近づくな。てめーの顔見てると崎谷と同じくらいイライラする」
「お、俺?」
「次不用意に俺に近づいたら、どうなっても知らねぇからな。覚えとけ」
しっかり俺の方を脅すことも忘れずに、先輩はすぐにその場を去っていった。きっと今のが、俺と羽生の最後の会話になるのだろう。ちょっと羽生のことがわかったような気がするのに残念だ。だが先輩と自分自身のためにも、俺はもう奴等と関わらないと決心していた。
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