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しあわせの唄がきこえる
003



俺が邪魔をするより先に不良が男の身体を乱暴に壁に叩きつけた。その反動で眼鏡がはずれて床に落ちる。

「いっ…てぇなぁ」

男は自分を壁に押し付ける不良を睨み付けるが、まるで抵抗しようとする気配はない。しかし男に鋭い視線を向けられた不良は、なぜかその手を離しゆっくりと後ずさった。

「………お前まさか、崎谷一成(サキヤカズナリ)か?」

不良の1人がそう口にした瞬間、隣の二人の顔色が変わった。気だるそうにこちらを見る男は否定も肯定もしなかったが、それで不良達は確信したようだった。

「やべぇ、こいつやっぱ崎谷だ! 逃げろ!」

その一言をきっかけに不良達は蜘蛛の子を散らすようにバタバタと逃げ出していく。あっという間にトイレには俺と、そして“崎谷一成”だけが残された。

「……おい」

何が起こったのかわからず呆然としていた俺に男が声をかけてくれる。その声に反応して、俺はようやく声を出すことができた。

「あの、助けてくれてありがとう」

「別に。つーか、さっさとズボンあげれば」

「あ」

崎谷一成に言われて慌ててズボンを上げベルトを締める俺。ちょっとかなり恥ずかしい。

「崎谷…っていうんだよな? ごめん、俺のせいで…」

床に落ちていた眼鏡を拾い壊れていないか確認する。幸いキズは見当たらなかったが、なんだかやけに軽い。けれど崎谷の視線を感じた俺は慌てて眼鏡を差し出した。

「……っ」

けれど眼鏡をはずした彼と目があった瞬間、そのあまりにも整った顔がよく見えて俺はまたしても放心してしまった。


「これ伊達だから、安いし。気にしなくていい」

俺から受け取った眼鏡をかけた崎谷は自分の前髪を再び前に持ってくる。彼の綺麗な顔が見えなくなり、俺はようやく崎谷から目をそらすことができた。

「おい、早く立て」

「……え?」

「行くんだろ、職員室。さっさとしろ」

眼鏡を拾うため膝をついていた俺を睨み付けるように見下ろすと、そのままトイレから出ていってしまう。どうやら彼は俺を職員室まで案内してくれるらしい。いや、案内というよりボディーガードか。

「あ、ありがとう! ちょっと待って!」

なぜかいきなり逃げ出した不良達のことは気にはなったが、なんにせよ彼は俺を助けてくれたのだ。言動は荒っぽいがどうやらすごく優しい人らしい。俺は人生最大のピンチを切り抜けられたことに感謝しながら、慌てて崎谷の後を追った。










「なあなあ、崎谷」

「……」

「俺、立川暁っていうんだ。今日から2年1組に入るんだけど、崎谷は何組? 同じくクラス?」

「……」

「なあってば、崎谷ー」

なんとかもっと親しくなりたいと思い一生懸命話しかけるも、悲しいことに崎谷一成は無反応。いや、反応がないどころか黙って歩けとばかりにぎろりと冷たく睨み付けられる。

それくらいではへこたれない俺は、めげずにもっと崎谷に話しかけていたが、そこでちょっと邪魔が入った。前方から誰かが小走りで何かを叫びながらこちらに向かってきたのだ。

「おーい!」

どうやら自分達に呼び掛けているらしいと気づいた俺は、その人が目の前に来ると同時に立ち止まる。その不良とは程遠いやけに爽やかな青年は、若干息を切らしながら俺に向かって頭を下げた。

「ほんとにごめん! 君、立川君だよね? 転校生の。こんなに早く来るとは思ってなくて…」

顔をあげた爽やか青年の身体が一瞬固まる。彼の視線は俺ではなく隣の崎谷に向いていて、彼は唖然とした表情のままぽつりと呟いた。

「…さ、崎谷先輩」

え、先輩? …ってことはこの人1年生…いや、そんな風にはまったく見えないが、まさかまさか、もしかして……。

恐る恐る崎谷の方を見ると、案内係という人が現れた途端、彼はため息をつき、そのまま後は任せたとばかりに反対方向にさっさと歩いていってしまった。思わず引き留めそうになったが、つい今しがた気づいたことが引っ掛かり、結局声をかけられなかった。俺は崎谷の姿が見えなくなってしまってから、目の前の爽やか君に恐々と訊ねた。

「あの、ちょっと聞きたいんだけど……」

「なに?」

「君って、1年じゃないよね」

「? うん、立川君と同じ2年だよ。あらためまして、僕、立川君の案内係を頼まれた生徒会役員の蒼井といいます」

「アオイさん」

「蒼井でいいよ。蒼海の蒼で、蒼井」

「よろしく、蒼井君。もう1つ訊きたいんだけど、俺がいま一緒にいた人って、もしかして3年?」

「崎谷先輩? うん、もちろん3年生だけど……それがどうかしたの?」

「……」

ヤバい、絶対同い年だと思ってずっとタメ口きいてた…!

「……立川君? もしもーし。立川くーん?」

「……」

呼び掛ける蒼井君の声は俺には聞こえない。恩人を勝手に同年代と決めつけ呼び捨てにし、敬語も使わなかった自分に俺は1人愕然としていた。


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