しあわせの唄がきこえる
002
メガネ男子に置いていかれた俺は、上靴に履き替え脱いだ下靴を手に取ったまま、彼の言った通りに右へと進んだ。しかし外観と同じく広くて綺麗な校舎内にすっかり目を奪われ、自然と歩くスピードは遅くなる。そしてついには廊下の窓から見える中庭の景色に圧倒され足を止めてしまっていた。
正門から校舎に入るときにも思ったことだが敷地内はとても広く綺麗だ。手入れされた芝生と綺麗な花、おまけに噴水まであり改めて私立の凄さを思い知らされる。今日からこの学校に通うと思うとなんだかわくわくしてきて、この時ばかりはここが不良校で、自分を鍛えるためにやってきたということを忘れ心の中ではしゃいでいた。
が、次の瞬間、俺は何者かに後ろから掴まれ、乱暴に羽交い締めにされた。そして声をあげようと開けた口をゴツい指輪のついた大きな手で塞がれ、ずるずると思いっきり引きずられてしまう。連れ込まれた先は、すぐ近くにあった薄暗いトイレの中だった。
「……えっ、え?」
トイレの床に引き倒された俺は、自分を囲む3人の男達を見上げた。彼らは明らかに校則無視の派手な外見をしていて、目付きが悪そのものだ。間違いない、こいつらこの学校の不良だ。でもいったい何故俺をいきなりトイレに連れ込んだのか。トイレが綺麗すぎるおかげであまり不快感はないが、とりあえず怖い。
「お前、見ねぇ顔だな。誰だよ」
「えっ」
「1年か? 何でこんな時間にここにいんの」
「……」
人のこと言えないだろうが、と口にする勇気はとてもなかった。無害そうなメガネ君ならいざ知らず、こんな一発でKOされそうな男3人相手に下手なことは言えない。できることなら俺の学年もクラスも名前も知られたくないぐらいだ。
「こんな奴、一度見たら絶対忘れねぇのになぁ。お前どうだ?」
「いや、俺も見覚えないな」
「つか何でこいつ靴持ってんの」
唖然とする俺を置いてけぼりにして話し合いを続ける男達。大人しく目立たないように奴らの様子を窺っていると、なにやら話の雲行きが悪くなってきた。
「別に誰でもいーじゃん。どうせ暇だし、こいつで暫く遊ぼうぜ」
「どうせ今は誰もいないしな」
「ちょ…」
話がまとまったらしい奴らは俺の制止も無視してこちらに近寄ってくる。男の1人が俺の両手を後ろから拘束し、もう1人に顎を掴まれた時、ようやく俺は自らの身の危険を察した。
「誰かっ、誰か助け――んんっ!」
「だーかーら、叫んでも誰も来ないって」
「おい、時間ないんだからさっさとしろよ」
「はいはい」
男に口を塞がれ、抵抗しようともがく足も掴まれてしまう。いや待て、ちょっと待てくれ。この学校に足を踏み入れてからまだ10分もたっていないのに、俺はもうリンチされるのか。こういうのはもうちょっとこの学校に馴染んで、経験値を積んでからじゃないのか。せめて自分の教室に入って自己紹介ぐらいさせてくれ。まだ心の準備も何もできていない。
「んんっ、んーっ」
「暴れんなって。こんな時に1人でのこのこ歩いてたお前が悪いんだろ。その面の割に警戒心なさすぎ」
「おい、早くしろよ」
「だってこいつすっげぇ暴れんだもん」
「もういいから下だけさっさとテキトーに脱がせよ」
脱がす!? 一瞬聞き間違いかとも思ったが目の前の男は何の躊躇いもなくベルトに手をかけ始める。いや、なぜ脱がす!? もしかしてパンツ一枚の俺を中庭の目立つところに縛って放置するつもりか。うわあああそれって下手な暴力よりよっぽど堪える。転校初日でそんなことされたら絶対もう友達できない。
なめてた。俺、完全に不良校をなめてた。やっぱり俺みたいな凡人がのこのこやってきていい場所じゃなかったんだ。こんなことなら弟のいうことをちゃんと聞いてれば良かった。初っぱなからこれじゃあ、きっと強くなる前に大怪我をして転校させられてしまう。だいたいどうして、廊下を歩いていただけでこんなことになってしまったんだ。別に俺は肩がぶつかったわけでも、ガンをとばしていたわけでもない。こんな仕打ち理不尽すぎる。
自分の弱さと運のなさに悲観していたまさにその時、トイレの入り口から誰かが入ってくる音がした。その音に反応した男達の手が止まり、俺の視線も自然にそちらに向いた。
「……ああ? なんだよてめぇ。今は取り込み中だ」
不良達は誰かに見られても俺のリンチをやめる気はないらしかった。だが俺はこちらを見るその男から目を離すことができない。そこにいたのは、俺が先程会ったばかりの無愛想な眼鏡の生徒だっからだ。
「……そいつ、今日転入してきたばっかりなんだ。見逃してやってくれねぇかな」
「ああ? 転入?」
眼鏡男子が口にした言葉に俺は涙が出そうになった。どうやら彼は俺を助けてくれるつもりらしい。
「なるほど、転入生か。だからこんな無防備なわけね」
「へぇ、そりゃこっちにとっちゃ好都合。いい拾い物したなぁ」
もちろん不良達が大人しく言うことを聞くはずもなく、むしろ嬉々として俺の髪を引っ張りながら笑っていた。彼らにとって新入りはやはりいいカモらしい。
「口出す勇気は誉めてやる。だが身の程は知らねぇとなぁ。ま、お前は金出しゃ見逃してやるよ。ほら、財布」
「……今は、あまり持ち合わせがない。それに俺は、そいつを逃がしてやれって言ってんだ。まだ何もわかってない奴に手を出すのは、ルール違反だろ」
「はぁ? 何を偉そうしてんだよ。おい! 先にこいつ黙らせんぞ!」
1人の男の言葉に、俺を拘束していた男達が立ち上がる。まずい、このままじゃ俺のせいであの人がボコボコにされてしまう。いや待てよ、それにしては彼、妙に落ち着きすぎじゃないか? 自分の力に絶対的自信がないと、あんなに冷静ではいられないはずだ。もしかして、見た目に反して実はめちゃくちゃ強いとか。
いざとなったら自分も応戦しようとしていた俺は、邪魔にならないところで少し様子を見ることにした。俺が介入することで逆に迷惑になってしまっても困る。
不良の1人が胸ぐらを掴み上げようとした時、男が素早く動いてそれをかわした。そして怒濤の反撃――かと思いきや、彼はそのまま深く頭を……下げた。
「頼む、今回は見逃してやってくれ」
「ああ?」
不良はいきなりの低姿勢にかなりビビっていたようだが、俺の方がずっとビビってしまった。
どうしよう。この人、頭、下げた…。
「ふざけんなよてめぇ……」
頭は下げたもののまったく引き下がる様子のない男に、彼らはかなりキレていた。再び男の胸ぐらをこれでもかというぐらい乱暴に掴み上げ、拳を振り上げる。
助けなければ、俺のせいで他人に怪我をさせるわけにはいかない。
男の身体をおさえるため、俺はなりふりかまわず不良達に向かって考えなしに突っ込んでいった。
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