しあわせの唄がきこえる 004 「羽生まーこーとー、まことまことっと」 就寝前、俺は家のパソコンで羽生誠の名で検索していた。無論奴の情報を得るための苦肉の策だが、奴の弱点が世界に発信されているわけがない事は重々承知している。あまりにもとっかかりがないので、ついやってしまったことで特に意味はなかった。 「………ん? んん?」 しかし引っ掛かるのはまったく関係ない他人の事ばかり…と思っていた矢先、俺は興味を引かれる名前を見つけた。そしてその後、夜遅く帰ってきた母親に叱られるまでずっと画面に食い付いていた。 「てめぇら、今日からコイツうちに入れっから、鍛えてやれ」 「……」 次の日、校舎を繋ぐ渡り廊下に呼び出された俺はたむろする不良達の前で羽生に紹介されていた。俺はもちろんの事、俺を見た柄の悪そうな男共も目が点になっていた。 「あの…羽生さん、そいつってアレっすよね。一時期羽生さん追い回してた崎谷のオンナ──」 「あ? 今は違ぇんだからいいだろ。俺が決めたことに文句あんのか」 「いえ! ありません!!」 勇気を出して発言した男をあっという間に黙らせてしまう。いかにこの男の力が大きいかというのが奴らの反応でわかった。けれど俺は別にここの連中の仲間に入りたいわけではない。こんな大っぴらに羽生グループに入ってしまって、この事が桃吾に知られたらどうすればいいんだ。 「あの、羽生さん、これは一体…?」 「お前、うちに入って強くなりたいって言ってただろ」 「……い、言いましたけど」 頼むからこれ以上話をややこしくしないでくれ。暁がいくら言っても駄目だったくせに今さら何だというんだ。 「だったらここはありがとうございますって俺に感謝するところだろうが。そんなこともできねぇのか、ぶっ殺すぞ」 「アリガトウゴザイマス」 顔をひきつらせながら礼を言う俺に羽生は一応満足した様子だった。これは奴なりの優しさなのか、それとも単なる虐めなのか。どうにもわからない。 「とりあえず、こいつを監督する奴を決めねぇとな」 「えっ、羽生さんが鍛えてくれるんじゃないんですか!?」 「なんで俺が、めんどくせぇ」 「そんなー!」 羽生から遠ざかれるのは嬉しいが、ベッドには結局呼ばれるだろうし、違う不良と関わりを持つなんてまっぴらごめんだ。羽生の弱点が知りたくて引っ付いているのに、これではただ問題を大きくしているだけじゃないか。 「俺、羽生さんがいいです……」 「てめぇ、新入りのくせに調子のってんじゃねぇぞ!」 「何様のつもりだ! 羽生さんに近づこうなんて百年早ぇんだよ!」 羽生に貼り付きたくて言った言葉は他の連中の神経を逆撫でしてしまった。お前らじゃ手本にならない、と言ってるようなものだから仕方ないが。 「ぎゃーぎゃー騒ぐな。俺昨日寝てねぇんだから、あんまうるさくすんなよ」 そう言って鞄を枕代わりにして横になり目を閉じる羽生。俺の事は手下に丸投げか。いや、俺は羽生に確かめたいことがあったのだ。確認の前に寝られたら困る。 「あの、羽生さん! ひとつ聞いてもいいですか」 「なんだよ」 「羽生さんの父親って、もしかしてボクシングやってます?」 「……」 「元世界チャンピオンの羽生龍平って、もしかしてお父さんなんじゃないかって──」 「てめぇぇえ! 新人のくせに早速地雷踏んでんじゃねぇよ!!」 羽生の目の前にいた俺は不良達にあっという間に引きずられ距離をとられた。何が起こったのか理解する前に奴らは鬼の形相で俺をいっせいに叱ってくる。 「バカ! それはここでは超禁句なんだよっ! わかったら二度とその名前は出すな!!」 「え、なんで?」 「羽生さんは親父さんとすげー仲悪いの! お前そんなことも知らねぇのかよ!」 「へぇ、じゃあやっぱり親子なんだ。すげー」 俺はそこまで熱心なボクシングファンというわけではないが、羽生龍平なら知っている。確か現役引退後はジムを経営していて、彼の息子達もボクサーとして活躍していると記憶しているが、羽生はその中にはいないのだろうか。プロボクサーの息子が喧嘩しまくっている事を知ったら父親は怒り狂いそうだが。あ、だから仲悪いのか。 「てめぇ…、マジで生意気な野郎だな。どうやって羽生さんに取り入ったのかわからねぇけど、うちに入るなら俺らに従えよ新入り」 「羽生さんからも鍛えろって言われてっし、少々怪我しても文句ねぇだろ?」 俺の態度が気に食わなかったのか、難癖つけながら胸ぐらを掴み上げられる。反撃しないように自分を押さえ付けていた時、絶好のタイミングで助けが入った。 「わーー! みんな落ち着いて! 僕が! 教育係りなら僕がやりますから!!」 俺を背後に庇うようにして割って入ってきたのは、前日会ったばかりの諫早だった。 「はあ? 何で諫早が出張ってくるわけ? まさかこいつと何か関係あんの?」 「知らない! 僕は何も知りません!」 「どうせいつもの病気だろ。仕方ねぇよ」 諫早の言葉に渋々引き下がる男達。諫早瑞季、チビのくせに意外と権力がある。そういえばこんななりしてこの学校のナンバー3だったか。 「ありがとうございます、諫早先輩」 「お礼言うくらいなら自分でなんとかしてください〜〜、僕は知らないって言ったのにーー!」 半泣きになりながら心臓を押さえる諫早。こいつは人が良すぎてそのうち発作でも起こすんじゃないかと心配だ。 「羽生さんのお父さんの事を言うなんて、どれだけ命知らずなんですか。心臓に悪いのでやめてください! 立川君じゃなかったらぶっ殺されてましたよ!」 こそこそと羽生を窺いながら俺を小声で叱る。怒っているのかと思った羽生は今はすでに目を閉じてお昼寝中だ。 「そんなに仲悪いんですか?」 「悪いなんてもんじゃないですよ。羽生さん、昔から短気で喧嘩ばっかりしてたら家を追い出されてここに入れられたらしいんです。ここを卒業できなきゃ、今度こそ勘当だって言われてて」 「へぇ…」 「…でもお父さんがどうとかより、たぶん羽生さんは比べられるのが嫌なんです。ここにいる人達は全員、羽生家の事を知ってます。羽生誠としてじゃなくて、羽生の息子、弟としてしか見られないことが多いので」 兄弟と比べられる事のつらさがわかるだけに、俺は他人事として流せなかった。喧嘩っ早さは問題かもしれないが、奴がグレたのも無理もない気がする。 「立川君が気に入られた理由も、もしかするとそこにあるのかもしれません。立川君は最初から羽生龍平の息子、ではなく羽生誠として扱っていましたから」 「そう、なんですか?」 「だって立川君、お父さんの事知らなかったでしょう。今日それがはっきりしましたし。だからあの人の機嫌を損ねないように龍平さんのことは絶対禁句、ついでに僕がペラペラ話したことも内緒ですよ!」 暁が羽生の親父の事を知らなかったのは確実だ。もし知っていたら俺に話していただろう。奴だって隠していたわけではないだろうが、これは突破口になるかもしれない。弱点というにはお粗末でもひとつ何かを掴めた、と俺は上機嫌だった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |