しあわせの唄がきこえる
嘘と真実
その日、俺は引き続き流生のところに泊まろうかと思っていたが、母親が帰るのが遅くなるというメールを寄越してきたので帰ることにした。あまりにも長いことこっちに泊まっていたら何かおかしいと感づかれてるかもしれない。母親が帰る前に寝て、起き出す前に家を出れば顔をあわさずに済むだろう。
学校が遠いところにあるため俺の、というか暁の朝は基本的に早い。母親が俺が出る頃に目を覚ますなんてよくあることだ。明日は一本早い電車に乗ろう。早起きなんて辛くて続かないだろうと思っていたが夜遊びをしない分ベッドに入るのも早く、それほど苦にならず毎朝しっかり目覚めることができた。暁になってから随分と健康的な生活を送れている気がする。
母親は急な残業だったらしく、夕飯も用意できていないとメールで謝っていた。特に食べたいものも思い付かなかったので帰りにコンビニに寄ってボリューム重視の弁当を買った。
その日の夜、そろそ買ってきた弁当を食おうと思っていた時、俺の携帯に電話がかかってきた。画面を見ると藤貴からだったので、すぐに通話ボタンを押した。
「もしもし、何の用……」
『忍! おれおれ、暁!』
「は?」
どうして藤貴の携帯をお前が使ってるんだ、と不意に聞こえた不快な声に思いっきり顔をしかめてしまう。今はこいつと話したい気分じゃない。
「それ藤貴の携帯だろうが、何やってんだてめぇ」
『だって俺がかけてもなかなか出てくれないじゃんか!』
「お前と話すと疲れんだよ。用事があるならメールしろ」
『えー、やだよ。忍返事くれないし、見たかどうかもわかんねぇしさ』
そこは確かに否定できない。しかしだからといってこんな騙し討ちみたいなことされたらさらにイライラしてくる。
「用件は」
『……さっき桃吾からメールあってさ、あの後大丈夫だったかってきかれたから、事情を聞こうと思って。何があったんだ?』
「え」
うわ、しまった。あの後桃吾の奴が暁にメールしたんだ。あいつがそうすることは予想できたはずなのに、自分のことで手一杯でそこまで頭がまわらなかった。
「あー……たいしたことじゃねぇ。気にすんな」
『たいしたことないなら言えるだろ?』
暁の奴、相変わらずしつこい。ここで変に誤魔化しても桃吾にそれとなく遠回しに訊いて結局はバレそうだ。だったら俺がここでテキトーに言い訳しといた方がいいだろう。
「羽生がちょっと絡んできたんだよ、それを桃吾にたまたま見られて……」
『羽生さんが!? あの人何か言ってたか!?』
「え、何かって……?」
そりゃあ色々言ってたが、ここで暁にペラペラ話せるものでもない。それよりも俺は暁の慌てっぷりに驚いた。確かに羽生には気を付けろ、近づくなと言われていたが……。
『あの人に変なこと言われたかもしんねぇけど、全部嘘だからな』
「変なことって何だよ」
『……あ、いや、なんでもない』
……羽生と話して印象に残ってるのは奴が相当な崎谷コンプレックスだということだ。嘘って何だ? 崎谷とラブラブだった云々の話の事か? いや、それはないか。しかし崎谷もあれ以来何も言って来ないし、俺が思っていたより奴らに深い繋がりはないのかもしれない。
『羽生さんには関わっちゃ駄目だ。絶対に』
「わかってるよ、いいから藤貴にかわれ。一緒にいんだろ? ちょうどアイツに話があったんだ」
『ほんとにわかってんのかよ……。ちょっと待ってて』
『…………何だ、忍』
数秒もあかないうちに藤貴の声が聞こえる。イライラがつもり積もっていた俺はそれを隠すことなく奴にぶつけた。
「お前なに暁に携帯貸してんだよ。俺があいつ嫌いなの知って……」
『うるさい、怒るなら切る』
「……悪い切るな。暁のことはいい。ちょっと相談がある」
それから俺は羽生のことを洗いざらい話した。今の罪悪な状況を自分で口にすると改めて自分が間抜けに思えてくる。
『はぁ……』
話を聞いた藤貴からは深い深い溜め息をつかれてしまう。呆れているのだろうが、奴がここまで態度に示したのは久し振りだ。
『馬鹿だろ、お前』
「言うなよ、わかってる」
『どうすんだよ、もう町森桃吾を騙すのはやめんのか』
「できたらそうしてぇ、このまま俺が忍だってバレないうちに」
このままひっそりフェードアウトして、桃吾と離れたい。バレた時が怖いし、これ以上あいつと関わりたくないのだ。
『にしてもお前が今更男に本気になるとか、ないだろ』
「うるせえな、そこは深く突っ込むなよ」
好みの男を漁りまくってた俺をずっと横で見ていた藤貴なら、そう思うのも当然だ。でも俺だって自分にまだこんな感情が残っていたことが信じられないくらいなんだから、もうそっとしておいて欲しい。
『でも今のままじゃ、帰るのは無理だろ』
「……やっぱり?」
『当たり前だ、暁があぶねぇだろうが』
どっちが暁の兄弟だかわからない発言に乾いた笑いがもれる。藤貴の奴、すっかり奴の保護者が板についてる。
「ぶっちゃけ、これからどうしていいかわからねえ。知恵を借りたい」
『……知恵ったって、羽生をどうにかするっきゃねぇだろ。あいつの弱味握るとか』
「弱味って、例えば?」
『知るかよ、近くにいるお前のがわかんだろ。まあ、こっちでも調べてみるけど、期待すんな。こんなとこにまで重要な情報流れてこねぇから』
確かに、うちの地元とここじゃあまりにも遠すぎる。弱味握りたいなら俺がなんとかするしかない。
『てっとり早く、痛め付けて言うこときかせてやりゃいいと思うけどね』
「それができたら苦労しねぇよ。あいつ、ボコったら死ぬ気でやり返してきそうだし。それに……」
『それに?』
「正直、勝てるかわからねぇ」
『……へぇ』
ここは羽生のテリトリーだ。奴の手下だっていっぱいいる。相当鍛えてるのは間違いないし、俺の分が悪いのは確かだ。
「とりあえず、羽生が俺に飽きるのをひたすら待つ。その間に奴の弱点探す。今はそれしかない」
『ああ、……なぁ忍』
「ん?」
『お前、大丈夫か?』
藤貴の思わぬ気づかいの言葉に、一瞬なんとも応えられなくなる。けれどすぐにそんなものは笑い飛ばした。
「大丈夫に決まってんだろ。今更何の心配してんだよ」
『そうだが、でも……』
「平気だって。それに、そんなに追い込まれてもいない。むしろ、気分が良いくらいだ」
藤貴に言ったことは、強がりでも嘘でもない、事実だった。その理由は俺自身が一番よくわかっている。羽生がしたことは確かに俺を傷つけたが、それ以上に自分が犠牲になることで桃吾を守っている、という事が俺は嬉しかった。厳密に言えば桃吾は俺のせいで羽生に目をつけられたのだから俺が守っているというのは語弊があるかもしれないが、それでも俺のしたことで桃吾が安全に暮らせているというのは、自己満足とわかっていても俺を満たしてくれていた。
『前から思ってたけど、お前ってどっかネジ一本足りてねぇよなぁ』
「どこがだよ」
『俺にもよくわからん。まあいい、また何かわかったら連絡する』
「ああ」
藤貴との電話が終わり、俺は携帯をベッドの上に投げ捨てた。考えれば考えるほど頭が痛くなる。とりあえずこれからの事は明日にまわして、今日は早く休もう。俺は買ってきた弁当に手を伸ばし、冷めたご飯を頬張った。
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