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しあわせの唄がきこえる
005


保健室はサボりの場所としては理想的だが、今日まで使ったことはなかった。場所はばっちりマークしていたが、中に入ったことはない。暁はきっと真面目だから常習犯な俺と違って、体調の悪いふりをすればすぐにベッドに寝かせてくれるはずだ。あんまり演技がうますぎると親に連絡されかねないから程々にしておこう。坊っちゃん学校の保険医なんて、いかにも過保護そうだ。


保健室の扉を開けると、そこには誰もいなかった。外からの日差しが差し込み、ここで眠ったらとても気持ちが良さそうだ。誰もいないのであれば勝手に寝てしまおう。そう思った俺はベッドに近づいたが、人の気配がして思わず足が止まる。確かめようと閉められたカーテンの隙間からそっと除きこむと、そこには一人の男が横になって眠っていた。顔は見えなかったがその男の髪は燃えるような赤で、横になっていても背が高く体格もしっかりしているのがわかった。こんな時間に保健室で昼寝なんて、反抗しまくりの髪からいってもこいつは十中八九、不良だ。
きっと暁ならこんな不良丸出しの男を見ればすぐに逃げるだろうが、あいにく俺は暁ではない。こんな奴怖くもなんともないし、よくわからないサボり野郎のために出ていくのもごめんだ。

俺は濡れたブレザーとネクタイ、シャツを脱ぎ、近くにあったパイプ椅子に引っ掻ける。そしてそのまま4つあるうちの、赤い髪の男から一番離れたベッドに倒れ込み、ふかふかの布団を被って目を瞑った。カーテンで仕切ってあるため周りの余計に様子はわからなったが、とても静かだ。誰かが帰ってくる気配も、赤髪の不良が起きる気配もない。

……なんだか、とても疲れた。
シーツが冷たくて気持ちよかったせいか、俺はそのままあっという間に夢の中へと入っていった。






「ん……?」

圧迫感と腕に違和感を覚え、俺は目が覚めた。覚醒したと同時に目の前に男がいることに気がつき眠気が一気にふっ飛んだ。

「な、…んだよお前っ!」

その男の凶悪面を見た瞬間、敵だと認識した俺はそいつの頭をぶん殴ってやろうとしたが、いつのまにか手首が縛られていてまったく動かせない。頭上を見るとネクタイによってベッドにくくりつけられていた。すぐさま足での攻撃に移ろうとしたが、両足男の膝に押さえつけられていてびくともしない。

「なにしてんだよ! どけっ!」

赤い髪に馬鹿高い身長、さっきまですぐ近くで寝ていた男だ。知らない男に組み敷かれるなんて屈辱的な状況に、俺は奴に向かって吠えた。

「立川、随分生意気になったじゃねえか。誰に向かって口利いてんだ?」

「誰って……」

知らねえよ、とよっぽど吐き捨てたかったが口振りからこいつはどうやら暁の知り合いらしい。暁と関わりのある人間は少ない。あいつは要注意人物としてここの不良の名前をあげていたが、中でもこの学校のトップには気を付けろと言われている。奴を見たらとにかくすぐに逃げろ、が暁の指示だ。一発でそいつがボスだとわかる、なんて暁は褒めていたからどんなもんだと思っていたが、予想以上だった。

「羽生、誠」

暁がずっと追いかけていた不良のトップ、ニヤリと笑うその男の表情に悪寒がした。この男は危険だ、そう思った瞬間、殴られた。

「誰が呼び捨てにしていいっつったよ」

「……っ」

なんだこいつ、何なんだいきなり。何で俺は羽生に拘束されてんだ。こんな凶悪面した男がどうして金持ち校にいるんだよ。
訳がわからなくて叫びだしそうになるのを必死で堪える。こんな状況でなければもっと冷静になれたかもしれないが、手足の自由を奪われマウントをとられているのだ。まず勝ち目はない。奴の目的が何かはわからないが、いきなり殴ってきたからには暁になんらかの恨みを持っているのは確実だろう。弟子にしてくれアピールがそんなにウザかったのだろうか。こいつのしつこさは俺も嫌と言う程経験済みだが。

「ああ、顔に傷つけちまった……。いい気味だな」

唇を切って流れた血を雑に拭う羽生。ここから逃げる算段をしたいが、まともに頭が働かない上に目的がわからないと対策も立てられない。

「……羽生、さん」

「なんだよ」

「あの、はなしていただけませんか」

「やなこった」

暁らしくしおらしい声でお願いしてみるも効果はない。このままじゃ俺は奴にボコられる。唯一の希望は奴が俺を暁だと思っていることだ。油断させて手の拘束さえ解ければ勝てる見込みはある。

「どうして…こんなことするんですか」

「はぁ? 今更何言ってんだ、立川。テメーこそ、俺の横で呑気に昼寝とか頭沸いてんのか? しかも半裸で、馬鹿かよ」

「……」

そう言われれば確かに何の反論もできない。突然水をぶっかけられむしゃくしゃして、まともに判断できていなかったということもあるが、なぜこいつを見た時すぐにここを立ち去らなかったのか。

俺は、今まで逃げたことがない。両親の離婚と自分の問題で荒れてから、喧嘩を繰り返して誰よりも強くなろうと一人で突っ走っていた。そして頂点に立ってからは、逃げるなんて考えもしなかった。だから羽生誠を見ても、なんか邪魔な奴がいるなとしか考えなかった。

「相変わらず、お前の考えることはわかんねぇな。まとわりついてきたと思ったら今度は崎谷なんかになついて、俺から逃げまくる。かと思えばこうやって俺以外誰も寄り付かねぇ保健室で呑気にサボって昼寝。なぁ、お前なに考えてんだ? 気味悪ぃ」

暁の考えていることなんて、こっちが知りたい。俺に認めてもらうために強くなるなんて思考回路も理解不能だ。頭が痛くなる。

……ああ、さっきの言葉は訂正しよう。
俺が今まで逃げたことのある相手は、暁だけだ。母親にも桃吾にも向き合う決心をした今だって、暁と関わることから逃げている。鬱陶しくも似てない兄、俺が知っていることはこれだけでいい。

「俺はもう、先輩には関わりません。それでいいでしょう?」

「よくねぇよ、胸糞悪い。てめーを見るだけでぶっ殺したくなる」

「そ、そこまで恨まれる覚えはないんですが」

「……ああ、確かにな。なんでこんなお前にイラつくのか、自分でもわかんねぇ」

「はぁ?」

暁の奴、こいつの親でも殺したんだろうか。そう勘違いしそうになる程の凶悪な面をしながら、そんなことを言う羽生。捕まえた獲物をどういたぶってやろうか、そう考えている面だ。

「わからないって、羽生さんは俺をどうしたいんですか」

「……」

「俺を、殴るんですか」

もうすでに一発くらっているがこんなのが奴の本気でないことはわかる。もしこのままサンドバッグにされたら抵抗もできずに一発KOだろう。
羽生のゴツい手が伸ばされ反射的に身構える。やられると思ったが、奴は俺の腹筋を撫でまじまじと見て感心したように言った。

「……お前、意外と身体つくってんのな。ずっと鍛えてたのか?」

そりゃそこは暁と俺の見た目で一番違うところだ。暁も筋トレでもしているのか帰宅部の割にはまだついている方だが、俺の筋肉にはかなわない。

「あっ……」

奴の手が脇腹をなぞり、変な声が出た。そこと耳は俺の弱いところだ。シチュエーションもあいまって妙な気分になるからさわるのやめろ。

「なんだよ立川、男とは思えねぇ声出しやがって。崎谷に仕込まれたのか?」

「っ……」

馬鹿にするような口調に思わず顔が熱くなる。相手は崎谷ではないがそういう意味では俺の身体は完璧にできあがってしまっているわけで。今更すぎる気はするが、何も知らない男に指摘されるのは恥ずかしかった。

「お前ら、今は別れてんだっけ? でも、元恋人が俺にレイプされたって知ったら、崎谷どう思うかな?」

「は……?」

「きっとぶちギレんだろうなぁ。ははっ、あいつの怒り狂った顔、今から楽しみだわ」

「……」

羽生誠は崎谷一成を嫌っている。こいつが暁を襲う理由はわかったが暴力とはまた別の危険が迫っていることに、俺は戦慄した。


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あきゅろす。
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