しあわせの唄がきこえる
004
その次の日の休み時間、俺はメールで流生に入れ替わったのがバレてしまったと暁に報告した。返事はすぐに返ってきたが、すでに流生から聞いていたらしく特に驚いた様子はなかった。あいつなら仕方ないな、なんて軽く流していたから、俺が流生をそそのかした云々までは伝わっていないらしい。あれを暴露してしまうと暁を押し倒したことも言わなければならなくなるから、流生が言わないのは当然といえば当然だが。
俺と流生はその後もごく普通に友人同士として付き合っていくことになった。周りにはバレない様に気を使ってくれていて、それはとても助かった。他のクラスメートもうまく騙せている様で、俺を疑っている者もいない。桃吾もまったく気づいておらず、ぶっちゃけお前はもっと疑えよとボロを出している身としては思わずにはいられない。けれど奴の鈍感さに救われているのも事実で、俺は今日も安心して桃吾の側で飯が食えるのだった。
「なあ、暁。お前最近なんかあった?」
「え」
昼休み、桃吾が突然口にした言葉に硬直した。自分の今までの行動を振り返りどこにミスがあったのかと必死で考える。少し挙動不審なところを除けば完璧に暁を演じられていたと思ったのだが、桃吾が気にするなんて絶対何かあったんだ。
「何で? 別に何もないけど」
「いや、だっていつもと違うパン食ってるから。メロンパンははずせない、とか言ってなかったっけ?」
「へ」
しまった! 今日は流生のところから直接来たから購買で適当にパンを買ったのだ。いつもは弁当だから特に何も言われなかったが、そういうことにもちゃんと気を付けておくべきだった。
「いや、たまには別のもいいかなーとか思ってさ」
「ふーん」
当たり障りのない言い訳だったが、単純な桃吾はそれで納得したらしく次の瞬間にはおにぎりを頬張ることに夢中になっていた。気づかれないようにほっと息をつき、ちらりと桃吾を盗み見る。
悔しいことに、奴は相変わらず格好良い。おにぎりをむさぼっている姿にすら見とれてしまうぐらいだ。俺もあの口にかぶりつかれた……ってなにいってんだ、馬鹿じゃねえのか俺。自分がここに来た本当の目的を思い出せ。いくら見た目が好みだからって、昔のまんまじゃトラウマは消えてくれない。
「桃吾」
「んー?」
桃吾の膝についていた小さな葉っぱを拾う。できるだけゆっくり、膝に触れるような仕草でその葉を持ち上げ床に落とした。俺の方から桃吾に触れたことで密かにテンションが上がる。こうやって少しずつ慣らしていけばいい。毎日一緒にいれば嫌でも慣れてきて、いつもの調子を取り戻せるはずだ。
「ありがと。あ、」
「? なにーー」
すっと伸ばされた手が俺の口角に触れる。自然な仕草で唇を拭いすぐさま離れた手。その手を瞬き一つせず凝視していた俺を、桃吾は笑った。
「パンくずついてた」
「っ……!」
「あ、待ってこっちにも……」
「ぎゃあああ!!」
性懲りもなく再び伸ばしてくる桃吾の手を勢いよくはたき落とす。強く叩かれた桃吾はぽかーんと間抜け面をさらして俺を見ていた。
「……あきら?」
「さ、さわんなって…」
「ああ、ごめん」
あんなとこ触られたら絶対次こそ顔が爆発する。今だって顔が熱くてどうにかなりそうだ。なんであんなことが平気でできるんだ? この鈍感天然野郎!
「男相手に、妙なことしてんじゃねえよ。変だろ」
「そ、だな。確かにちょっとキモかったな。悪い」
「……」
キモい、という言葉を桃吾から聞いた俺はその場で硬直してしまった。気持ち悪い、なんて今まで俺のトラウマを刺激してきた言葉を本人から聞いてしまえばダメージがでかくなるのも当然だ。けどやっぱり、いつもみたいに胸くそ悪くなるだけじゃなくて悲しくなるのは、あの時の俺が本当に桃吾のことを好きだったせいなんだろう。
「暁? どした?」
こんな馬鹿げた感情を吹っ切るには、やはりここで桃吾を落とすしかない。こいつを暁に惚れさせて、そのフラれた姿を笑ってやるしかないのだ。
「ううん……なんでもねえよ」
桃吾といると、やっぱり胸が苦しくなる。ここに来る前は早く奴に一泡ふかせたくてウズウズしてたのに、今はもうこんなのは終わりにさせたい、なんて考えていることもあるのだ。復讐心をぐちゃぐちゃに踏み潰される前に、すべてに決着をつけるしかない。
「っ……ぼさっとしてんじゃねぇよ、のろま」
「………」
教室に戻る途中、新暁としては一度も話したことのないはずの男がぶつかり様に罵ってきた。桃吾のことを考えるあまりすっかり油断していた俺は壁に強く身体を打ち、肩に痛みが走る。唖然とする俺を鼻で笑いながら去っていく男に、一瞬後ろから飛び膝蹴りをくらわしたくなったがギャラリーが多すぎて我慢するしかなかった。
いわれのない理不尽な暴力を受けていた俺を見ていたはずなのに、周りの視線は好奇、驚愕、いい気味だといわんばかりの嘲笑を含んだ表情。やはりここには暁を妬む奴らや身体を狙うようなやつしかいない。ここに来たときからそうだった。けれどいつもは睨まれたりするぐらいで、直接攻撃されたのは初めてだ。だからあの男が殺気をぷんぷんさせて近づいてきても特に警戒しなかったのに、いきなりどうしたというのか。
そういえば、今朝からなんだか周りの様子が少し変だった気がする。何が、とはいえないがいつもよりずっと敵意丸出しだし、聞こえるような声で俺のことについて囁きあっているように感じた。自意識過剰、といわれればそんな気もするが実際に喧嘩を売られた後では勘違いとも思えなくなった。
「うわっ!」
物思いに耽りながら自分の教室の前まで来たとき、すれ違いざまに突然水をかけられた。水をぶっかけてきた男は水をいれていたペットボトルを俺の足下に投げつけ、走って退散していく。顔や制服がびしょびしょになり呆然とする俺に、周りの視線が突き刺さる。前の学校でそんなことをされたらぶちギレて犯人を追いかけタコ殴りにしてやるところだが、何をされたか理解するのに時間がかかった。
「あきくん……どうしたの、それ」
戻ってきた俺に気づいた流生が、なにやらかわいそうなことになっている酷い有り様に気付き遠慮がちに訊ねてくる。ブレザーも下のシャツも湿ってきて、不快感と共に怒りが遅れて込み上げてきた。
「うっぜー……」
「あ、あき君」
駆け寄ってきた流生にしか聞こえないような声で悪態をつく。まったく、いったい何だと言うのだ。やり返せないこの状況が恨めしい。
「大丈夫? 何があったの?」
「水かけられた。タオル持ってるか?」
「ちっちゃいやつなら」
「ならいい、次サボるから。教師には体調不良って言っといて」
「どこいくの?」
「保健室。こんなんで授業なんか受けられっか」
踵をかえす俺を流生が止めることはなかった。本物の暁だったらここでほうっておかれることはなかったのだろうが、イライラが爆発しそうだった俺には好都合だった。すれ違う生徒達の悪意さえ感じられる視線を振り切り、足早に保健室へと向かった。
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